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2009/12/06

『文学は別解で行こう』

20091206 『文学は別解で行こう』鹿島茂(白水社)を読む。
いや、これは面白いね。
1989年から2000年までの11年間に書いた文芸評論を中心にまとめたものだそうですが、全部で17本、これを四部構成にして一冊に仕上げている。
11年間で17本というのは少ないようでもあり、いやしかし、昨今のフランス文学の「不人気な御時勢」を考えるとけっこう注文があったほうかもしれないよ、とご本人が「あとがき」で書いているような見方もあるいはあるかもしれない。

仏文関係がいまや不人気業界であるということについては、ちょっと前に、内田樹氏も書いていた。(「どうして仏文科は消えてゆくのか?」

理由はいくつかある。
英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。
フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。
文学についての知識や趣味の良さを文化資本にカウントする習慣が廃れたこと。
語学教育がオーラル中心にシフトしたこと。
などが挙げられる。

でもって、内田先生の見立てによれば、最初の二つはグローバルな事情によるものだから日本がどうこうできる問題ではない。残る二つが日本の国内の問題であるが、とくに三番目の「文学についての知識や趣味の良さを文化資本にカウントする習慣が廃れたこと」について、それはけっきょく、「現に日本社会で権力や威信や財貨や情報などの社会的リソースを占有している人々に教養がないからである」と言っておられますな。まあ、なんかヘンだなと思わないでもないが、長くなりますから、それはまたべつのお話ということにしておきましょう。

仏文業界が不人気だというのは、ニワトリが先がタマゴが先か、みたいなことになるけれども、たとえばフレンチ・ポップスやシャンソンというのもかつては立派な(?)ジャンルだったし、フランス映画はハリウッドにだって十分に、はりあっていた。それが、いまは、やはりぱっとしないみたいですね。
わたし自身はそもそも文学部の出身でもないので、どっちにしてもさほど思い入れはありませんが、仏文というと、秀才ぞろいの知的エリートという印象があって、個人的にはむかしからフランス文学と聞くと、反射的に「けっ」と思ってしまう。
いや、あるいは赤塚不二男の「おそまつ君」でイヤミが、「おフランス」を連発していたあたりがじつは忌避の刷り込みの大元かもしれん。(笑)
しかし、東大の仏文が定員割れするような時代であれば、こういう偏見または劣等感みたいなんものは、もういまの若い人にはあんまりないのかもしれません。

さて、前置きが長くなったが、まあたぶんそういう理由で、わたしはあんまりフランス文学関係の本は好まない。鹿島茂さんについても、正直、食指は動かなかったのですが、偏見がしょせんは偏見に過ぎないという見本みたいなもんですね。この方の書く文章はオモシロイですねえ。
一例として、本書から「予想屋マルクスによる二月革命リーグ戦展望」という10ページくらいの短い文章をあげてみましょう。

まず鹿島さんは、マルクスで一番まじめに読んだのは、フランス現代史三部作(『フランスにおける階級闘争』、『ルイ・ボナパルトのブリューメル十八日』、『フランスにおける内乱』)であると語りだす。そして、この三部作に比肩する同時代の著作はトックヴィルの『フランス二月革命の日々』しかないと言って、なにしろマルクスというのはたいした歴史家であるよと言うのですね。だが、これらの三部作を読みながら、つねに頭の隅を離れないひとつの疑問は、マルクスはどの党派の贔屓だったのかしら、ということであるという。
うん、これは面白い視点です。もちろん、この二月革命の時点で組織された産業プロレタリアートという階級があれば、これを応援したにきまっているわけですが、1848年のフランスにはそういう党派はまだ存在しなかった。
そこで、鹿島さん、二月革命からルイ・ナポレオンのクーデターまでの期間をプロ野球のペナントレースに見立てて、マルクスが解説者だったらどういう予想を立てるだろうかという戯文を綴っているのですが、これが傑作。
そのペナントレースの出場チームは以下の通り。

王党ブルボンズ
王党オルレアンズ
金融ブルジョワズ
産業ブルジョワズ
商業プチブルズ
農業プチブルズ
三色旗レピュブリカンズ
赤旗レピュブリカンズ
空想ソシアリスツ
革命ブランキスツ
革命ルンプロズ
ナポレオン・ボナパルツ

それぞれに下したマルクスの勝敗予想は、鹿島さんの文章をお読みいただくことにして、マルクスの予想は、少なくともこのペナントレースに限っては(つまり二月革命からルイ・ナポレオンのクーデターまで)はぴたりと当たって、お見事ということになる。しかし、問題は、予想屋マルクスの大誤算ということで、これはもう鹿島さんの文章をそのまま転記してみなさんに味わっていただくしかない。わたしは、こんな愉快な(そして正鵠を射た)マルクス批判を読んだことがありませんよ。

「商業プチブルズ」はマルクスからすれば、好きも嫌いも、まったく視野の外にあるチームだった。産業が発展し、必然的に社会主義に移行するなら、このチームは、その昔の高橋ユニオンズのように自然消滅するしかないというのがマルクスの考えだった。ところが、そうは行かなかった。ここがマルクスの最大の誤算である。根が生真面目で、服は着られればよく、家は住むことができればそれでかまわず、食べ物も美食などもってのほかと考えていた清貧主義者マルクスにとって、消費の喜びとか、浪費の快楽などはまったく無縁の概念だった。せっかく『資本論』で商品のアウラという概念に行き当たりながら、それを実生活で実感することのなかったマルクスは、後に共産主義社会を築いた国の民衆が、ただ自由に消費をしたいがために、それを放棄するとは予想だにしなかった。このチームの実力を軽視したことがマルクスの敗北の遠因になるのである。「商業プチブルズ」は十九世紀後半から「商業ブルジョワズ」と名前を変え、強打の「産業ブルジョワズ」を尻目に、二十世紀後半からは常勝チームに育ってゆくのである。予想屋マルクスの完敗である。

はは、わたしはいまの日本に置き換えて、思わずユニクロ一人勝ちを連想してしまいましたよ。(笑)

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