五吟歌仙 峡深くの巻
筑摩書房の『定本柳田國男集 第二巻』の配本月報(昭和43年7月)に中村汀女の「連句の会」という一文が掲載されている。汀女がどういういきさつでかはわからないが、柳田國男(柳叟)、加藤武雄(青城)、松井驥(鴑十)、宇田零雨(零雨)、小宮豊隆(蓬里雨)といった先生方を連衆とする連句の会に加わっていたときのことが書かれている。
「宇田零雨氏のお世話で、加藤武雄氏のお宅で毎月つづけられてゐた会である。」とのこと。
調べてみるとこのメンバーのなかでは加藤武雄が亡くなっているのが、昭和31年なので、たぶんこの月例の歌仙興行は昭和20年代の後半のことではないかと思われる。
加藤武雄は新潮社の編集者から作家になった人。こちら参照。
松井驥(き)という人はわたしは不勉強で知らなかったが、ネットでは「辞書の家」松井栄一氏ロングインタビューというホームページがあって、へえ、そういう方だったのかと驚いた。俳人の大須賀乙字はこの松井驥のお姉さんの旦那さんだったとのこと。
宇田零雨は俳誌草茎の主宰。芭蕉を研究テーマにしてはじめて文学博士となったそうだけれどわたしはどういう方なのかはよく知らない。こちら参照。1996年に90歳くらいで亡くなられているのでこの連句の会のときは、40代の半ばくらいだったと思われる。
小宮豊隆はよく知られているので説明の必要はなかろう。
汀女によれば、加藤武雄が「連句とは、井戸の中で長刀を使ふことだ、あつちこつちに突つかえてばかり」と言ったそうだが、これはじつに言い得て妙であります。この連衆が巻いた歌仙一巻が参考に、と掲載されていて、これがなかなか面白いものだった。古いものだし、全集の配本月報掲載ということで、あんまり目にふれる機会もないかもしれないので、ここに転載しておきます。どこかの本に収録されていたらごめんなさい。
五吟歌仙 峡深くの巻
峡深くわが追憶の雪残る 零雨
虻鼓打つ川沿ひの窓 柳叟
芹摘のもどりはまたも声かけて 汀女
都なつかし夕雲の紅 青城
葛結ふ小屋も今宵は月あらん 鴑十
竈馬離れぬ酒樽の口 零 (竈馬:いとど)
女郎花老いて歌人のうつつなや 柳
その横顔をしかと覚えつ 汀
スターなれや裏紫のマスクして 青
朝の歩廊に雨しぶくなり 鴑
ほろほろと小さき柩を抱き上げ 零
長き旅路をかたるかりがね 柳
裏戸より訪れ来るも月の客 汀
闇で買ひたる新蕎麦の味 青
定紋の会席膳を自慢にて 鴑
気狂ひじみた法華三代 零
百万の子を見つけたる嵯峨の花 柳
南座を出て春宵の橋 汀
ポッコリの重たき裾をさばきかね 青
いつも泪にうかぶ俤 零
雲の波君を隔つる三千里 柳
思ひ返して青簾吊る 汀
風軽く心字の池の白あやめ 青
葉巻の香り残す米兵 鴑
ジャズ鳴らすケーブル駅の待合所 零
亀は背を干す苔の巌に 柳
電話よく聞えし後の沙羅の月 汀
水より淡き秋の灯 青
板葺の関屋は霧の中にして 鴑
灸こらえる骨太の臑 零
虫ばめり笈の持仏に供養せん 柳
母を見守る子の年あはれ 汀
細路次に煤ふりやめば黄昏るゝ 青
枡をこぼれて蛤の落つ 鴑
花の香に日癖となりし潮曇り 零
柳は遠し吹浦象潟 柳 (吹浦象潟:ふくらきさがた)
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