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2010年4月

2010/04/19

小林秀雄『本居宣長』その五

前回書いたように、『本居宣長』は面白し、といふといへども理解しがたし、なのでありますね。そこをどう乗り越えるかが本書を読み通すポイントなのですが、それについては小林秀雄自身がこんなふうに言っていることをそのまま書き写すのがよさそうです。
『全作品28』に収録された「本の広告」という一文にこうあります。

彼の文体の味わいを離れて、彼が遺した学問上の成果を、いくら分析してみても駄目なことです。

つまり宣長がどういうお方であったかは、その文をお読みなさい。そうすれば、いやでも宣長という人がどういう人だったのかはわかります。それを面白がればよいのです、ということでしょう。
では、宣長らしい文体とはどういうものか。それに対して、小林秀雄はなにもむつかしい学問をもちだすことはないといいます。たとえば、といって紹介するのは、宣長の家業である医薬の宣伝文なんですね。いまで言えば、広告のコピー・ライティング。
さっそく読んでみましょう。本居医院で販売しているお薬「六味地黄丸」の口上。
ちょっとむつかしいところはカッコで補足しておきました。

六味地黄丸効能ノ事ハ、世人ヨク知ルトコロナレバ、一々コヽニ挙ルニ及バズ、然ル処、惣体薬ハ、方ハ同方タリトイヘドモ、薬種ノ佳悪ニヨリ、製法ノ精麁(せいそ)ニヨリテ、其効能ハ、各別ニ勝劣アル事、是亦世人ノ略(ほぼ)知ルトコロトイヘドモ、服薬ノ節、左而巳(さのみ)其吟味ニも及バズ、煉薬(れんやく)類ハ、殊更、薬種ノ善悪、製法ノ精麁相知レがたき故、同方ナレバ、何れも同じ事と心得、曾而(かつて)此吟味ニ及バザルハ、麁忽(そこつ)ノ至也、因茲(これゆえに)、此度、手前ニ製造スル処ノ六味丸ハ、第一薬味を令吟味(ぎんみせしめ)、何れも極上品を撰ミ用ひ、尚又、製法ハ、地黄を始、蜜に至迄、何れも法之通、少しも麁略(そりゃく)無之様ニ、随分念ニ念を入、其効能各別ニ相勝レ候様ニ、令製造(製造せしめ)、且又、代物(代金)ハ、世間並ヨリ各別ニ引下ゲ、売弘者也(売り弘むるものなり)

面白いですねえ。このしつこいというか、馬鹿丁寧なというか、なあなあで呑み込んでくれないというか、あんまりサラリーマンの世界では出世しませんが、いますよね、こういうタイプの人。わたしは好きです。よその部署にいるかぎり。(笑)

さて、ではこのシリーズの締めくくりに、小林秀雄が宣長にならって本書を宣伝した口上を、同じく「本の広告」から引用して終わりにしましょう。

さて、この宣長の教えに従って、言わせて貰う事にしたいが、私の本は、定価四千円で、なるほど高いと言えば高いが、其の吟味に及ばないのは麁忽の至なのである。私の文章は、ちょっと見ると、何か面白い事が書いてあるように見えるが、一度読んでもなかなか解らない。読者は、立止ったり、後を振り返ったりしなければならない。自然とそうなるように、私が工夫を凝らしているからです。これは、永年文章を書いていれば、自ずと出来る工夫に過ぎないのだが、読者は、うっかり、二度三度と読んで了う。簡単明瞭に読書時間から割り出すと、この本は、定価一万ニ、三千円どころの値打ちはある。それが四千円で買える、書肆としても大変な割引です、嘘だと思うなら、買って御覧なさい、とまあ、講演めかして、そういう事を喋った。

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2010/04/18

小林秀雄『本居宣長』その四

20100418

なんとか読了はしたが、小林秀雄の『本居宣長』については、あんまり読みましたと大きな声では言いたくないような気がする。こういう展開がありそうだからだ。
ははあ、あなた、あれをお読みになりましたか。ほお、おもしろく読んだとおっしゃる。ふむふむ。ところで、後学のためにおうかがいしたいのじゃが、あなたは、あれを、なにが書いてあるのかおわかりになって読んでおられたのじゃろうか?
いや、笑い話ではないのだ。これは困るよ。
じっさい、正直に言うが、わたしは読みながら、これは面白い、と思っていたのも事実だが、なにが書いてあるのかわからずに途方に暮れていたのも事実なのである。
いちばん、まいったのは、最終章の「答問録」で宣長が門人達の問いに答えたこういう文である。

拙作直毘霊の趣、御心にかなひ候よし、悦ばしく存候、それにつき、人々の小手前にとりての安心はいかゞと、これ猶うたがはしく思召候条、御ことわりに候、此事は誰も誰もみな疑ひ候事に候へ共、小手前の安心と申すは無きことに候

文脈が解りづらいとおもうが、門人たちが聞いて来たのは、ほかならぬ自分が死ぬとはどういうことか、死に対していかにすれば安心が得られるのでしょうか、というような質問である。(たぶん)
そして、この門人達の質問に対して宣長は、いや諸君の疑いはもっともだよ、このことは誰もみんな知りたいことなんだけどね、そういう自分の死に対する安心というのは無いんだなあ、というのが先生の回答であったというのでありますね。いや、門人たちも途方にくれただろうが、わたしだって途方にくれるよ、これは。(笑)

宣長はこんな意味のことを言うのですね。

あのねえ、そりゃ自分が死んだらどうなるのってのは、わたしらにとっていちばん切実な疑問ですよ。いちばんこわいこと、いちばん不安なのは、ここなんだよね。
だから、死んだって大丈夫、ちゃんとこういう風になってるんだから、みんな安心していいんだよ、って誰かが言ってくれればさ、みんなそれになびいちゃうわけ。ほら日頃は信心なんかしてなかったようなやつが、いまわのきわに心細くなっちゃって、信仰に入ったりするのってよくあるでしょ。あれだよね。
でも、そういうのってさ、よく考えると、こうすれば安心が得られるじゃんって、誰かが考えたんだってことは明白でしょ。みんなが、ああそうか、それなら自分はもう死ぬこともこわくはない、っていうような面白そうなおオハナシを並べ立てているだけだよね。よく考えたら、わかるだろ、みんな。
それに対して、そういう、へんにこざかしい理屈が入ってくる前の、わたしたちのご先祖様たちはちうがうんだなあ……

以下は、宣長の原文に帰ります。じっくり読んでみましょうか。

御国にて上古、かゝる儒仏等の如き説をいまだきかぬ以前には、さやうのこざかしき心なき故に、たゞ死ぬればよみの国へ行物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく、これを疑う人も候はず、理屈を考る人も候はざりし也、さて其よみの国は、きたなくあしき所に候へ共、死ぬれば必ゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也、然るに儒や仏は、さばかり至てかなしき事を、かなしむまじき事のやうに、いろいろと理屈を申すは、真実の道にあらざる事、明らけし

うん、そりゃまあ、そのとおりだとは思いますけれども——ねえ。
わたしが思いうかべたのは(なにしろフォーク世代なもので)加川良の「伝道」でありました。「かなしいときにゃかなしみなさい。気にすることじゃありません」って。(笑)
でも、先生、それじゃあ、答えになってません!と詰め寄る門人たちに、共感しないでもないなあ。どうでしょうねえ、こまっちゃうでしょ。

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2010/04/17

『遊星の人』多田智満子

巻末の高橋睦郎による「心覺えに」から。

二〇〇二年秋、すでに遠くないこの世との別れを覺悟した多田智満子に、託されたものが四つあつた。
一つ目は句稿。これはその後何度か通ひ、膝づめの共同作業で手を入れ、遺句集『風のかたみ』として、翌年一月二十五日・二十六日の通夜・葬儀參列者に配つた。題名も故人の意志による。二つ目は詩稿。これは高橋の責任においてまとめ、葬儀次第二册本にして書肆山田から一周忌に合はせて出版した。遺詩集『封を切ると』である。題名は詩稿中の詩行から高橋が恣意に選んだ。
そして、三つ目が歌稿。これも高橋の責任において編集した。すなはち、この歌集『遊星の人』である。

以前、多田智満子と高橋睦郎のことはこちらに書いた。とくに私自身がくわしいわけでもないのだけれど。
今回は、こころに残った歌をできるだけたくさん書き写したいと思う。

鈴懸は何科ならむと植物の圖鑑開けばスズカケノキ科

身のあはひ風するすると抜けてゆく半身は海半身は山

まどろめば鬱金空木のうつらうつら咲くやほのかに眼裏を染め

鐵塔に高壓線は唸りつつ凩山の稜線を切る

夜の果に穴あり道路工事中赤きランプの圍める秘密

水死者は黒髪ひろげうつ伏せに夜の水底にまなこひらける

六連發ピストルのなか輪になりて六つの夢のあやふく眠る

父もはや文字が讀めずと送り來ぬ漢詩數巻秋深むころ

晩く生まれいとほしまれしわれならば遂に見ざりき若き父母

古き海山に昇りて凝りしやアンモナイトは渦潮の形

山深きアンモナイトは幾重にも渦まき過ぎし海の疑問符

裏木戸に見憶えもなき草箒前世に誰ぞ置忘れたる

山頂より裾野めがけて駆けおるる瀧よ孤獨なる長距離走者

みどり濃きこの遊星に生まれきてなどひたすらに遊ばざらめや

ちなみに高橋が託されたものは四つあったと書かれていた。句集、詩集、歌集……残るひとつは能楽詞章「乙女山姥」であるそうな。
本書には別冊の栞が挟まれており、岡井隆、小島ゆかり、穂村弘がそれぞれ一文を寄せている。穂村の感想が面白かった。いわく「歌人の作に比べて、日常の現実から象徴次元へ飛躍するための助走距離が短く、且つ、その通路が透き通っているようだ。」 

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2010/04/10

音楽とミステリーの話

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『六本指のゴルトベルク』青柳いずみこ(岩波書店)は、岩波の「図書」に連載されていたエッセイを単行本にしたもの。連載のときに読んだものもあるが、大半ははじめて(たぶん)読む文章だ。とても面白い。国内、海外の小説のなかから、音楽がからんだものをとりあげて、どこでどんな音楽が使われているのかをていねいに解説してくれている。
全30話のなかには、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』やロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』なんてちょっと格調高いものもあるけれど、これはさすがにちと食指がうごかない。(笑)わたしが通勤電車の車内で、これはこんど読もっと、と書名と作者をiPhoneにメモしたのはもっぱらミステリーである。
しかしわざわざメモするまでもなかったんだなあ。巻末にちゃんと書名索引がついていた。これをコピーすればよかっただけのことだった。
しかし、せっかくメモをしたので、ここに転記しておこう。こんなふうにミステリが楽しめるのは素敵なことでありますね。
ちなみに書名の『六本指のゴルトベルク』で、あ、レクター博士だ!と気づいた方は鋭い。(笑)

『悪魔に食われろ青尾蠅』ジョン・フランクリン・バーディン
『ケッヘル』中山可穂
『ピアノ・ソナタ』S.J.ローザン
『負け犬のブルース』ポーラ・ゴズリング
『ベル・カント』アン・バチェット
『ラヴェル』ジャン・エシュノーズ
『鳥類学者のファンタジア』奥泉光
『いざこと問はむ都鳥』澤木喬
『ある夜クラブで』と『さいごの恋』クリスチャン・ガイイ
『死の泉』皆川博子

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2010/04/07

小林秀雄『本居宣長』その三

小林秀雄は『本居宣長』で戦後知識人の限界を冷厳な目で見極めているのだという読み筋、そしてそのような戦後知識人の一人として丸山眞男を思い浮かべることもかならずしも的外れではないように思う。

では反対に丸山眞男は小林秀雄をどのように見ていたのか。
これについては、たしか『日本の思想』になにか書いてあったなと思いながら、この際だから、きちんと調べてみることにした。岩波の『丸山眞男集』の別巻の人名索引をみれば、小林秀雄への言及は一通り拾えるはずである。大阪中央図書館でメモをとりながら半日お勉強。(笑)

参考に今日のメモを転記しておこう。行末の数字はページ番号である。

7巻:「日本の思想」(1957年)199/235
8巻:「近代日本の思想と文学」(1959年)112/113/119/120/130/147/150/151/153-155
9巻:「日本の思想(あとがき)」117/118
11巻:「森有正氏の思い出」(1979年)107
12巻:「金龍館からバイロイトまで」(1985年)243

全部に目を通してみて、やはりいちばん重要なのは「日本の思想」の次の箇所だと思った。すこし長いが切らずに引用する。

小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほど早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時にあって突如として「思い出」として噴出することになる。

この小林批判に対しては、丸山の予想を超える反感が寄せられたらしく、9巻の「日本の思想(あとがき)」はやや歯切れが悪い。さすがにわたし(丸山)も「感覚的に触れられる狭い日常的現実にとじこもる代表として小林氏をとりあげるほど盲目ではないつもりである」という弁明的な書き出しに始まる一文。

小林氏は思想の抽象性ということの意味を文学者の立場で理解した数少ない一人であり私としては実感信仰の一般的類型としてではなく、ある極限形態として小林氏を引用したつもりだったのである。

8巻の「近代日本の思想と文学」では、小林秀雄が戦中にとった態度(「戦争の渦中にあつてはたつた一つの態度しか取ることが出来ない。戦では勝たねばならぬ」)にたどりついた小林秀雄の精神のドラマがつぎのように解剖される。

普遍者のない国で、普遍の「意匠」を次々とはがしおわったとき、彼の前に姿をあらわしたのは「解釈」や「意見」でびくともしない事実の絶対性であった(そはただ物に行く道こそありけれ—宣長)。小林の強烈な個性はこの事実(物)のまえにただ黙して頭を垂れるよりほかなかった……

さて、どうだろう。今回の丸山の引用を読み、そしてもういちど、前回の小林秀雄の「本居宣長」からの引用を読み返してみて欲しい。わたしは、ここで両者のあいだにどのような思想上の剣戟の火花が散ったのかかすかにしか察することはできないけれど、まあ、名人の真剣勝負をみるような思いがいたしますねえ。(笑)

ところで、全集には載っていないが、丸山眞男が小林の宣長論に直接言及した発言をいま読むことができる。ひとつは加藤周一が聞き役になってまとめた『翻訳と日本の近代』(岩波新書)である。こういう内容だ。

宣長においては、古道論と歌道論との間の矛盾というのは、宣長論の核心ですね。つまり歌道論のほうは模範は『新古今』であり、これは神代からはるかに遠い時代で、漢心に汚染されている時代のものです。古道論だと、神代がもっともすなおに人間性が歌われた時代なのに、歌論だと、『古今』『新古今』が歌の「真盛り」で、最高の時代になる。だから宣長の場合、歌道論と古道論との関係づけというのはいちばんむずかしい問題だな。ぼくは小林秀雄の宣長論からいっこう学ばなかったのは、まさにその問題なんです。宣長を書くとき、ぼくがさんざん頭を悩ました問題なのに……
丸山真男・加藤周一
『翻訳と日本の近代』(岩波新書)p.39

また、前回のコメントで我善坊さんにご教示頂いた、『自由についてー七つの問答』(SURE)という、これは鶴見俊介が聞き役になった本でも(まだ途中なので他にも言及があるのかもしれないが)ほぼ同じ内容の批判が語られている。この『自由についてー七つの問答』は面白い。これについてもいろいろ考えたいことが出てくるけれどすでに長くなったので今回はここまで。

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2010/04/06

小林秀雄『本居宣長』その二

小林秀雄の『本居宣長』を読みながら、なんとなく気にかかるのが丸山眞男のことだ。それは小林が宣長を語るために、まだ下克上の気風の完全には消え去らない慶長の中江藤樹の学風に遡り、そこから熊沢蕃山、伊藤仁斎へと筆を進め、ついに荻生徂徠に至るところで、次のような記述に出会うからである。

小林は「仁斎の学問を承けた一番弟子は、荻生徂徠という、これも亦独学者であった」とこのパラグラフを書き出す。「大学定本」「語孟字義」の二書に感動した青年徂徠は、仁斎こそまことの豪傑であるという内容の書簡を送り、仁斎もまた、古今に雑学者こそ多いが聖学に志す豪傑は少ないと「童子問」で嘆じた。ここで豪傑とは戦国時代から持ち越した意味合を踏まえて、「卓然独立シテ、倚(よ)ル所無キ」学者を言うのであると小林は補足する。「他人は知らず、自分は『語孟』をこう読んだ、という責任ある個人的証言に基いて、仁斎の学問が築かれているところに、豪傑を見た」のだと説明する。
そして、文章は次のようにつづく。これは小林の文章を切らずにそのまま引用しよう。

仁斎の「古義学」は、徂徠の「古文辞学」に発展した。仁斎は「住家ノ厄」を離れよと言い、徂徠は「今文ヲ以テ古文ヲ視ル」な。「今言ヲ以テ古言ヲ視ル」なと繰返し言う(「弁明」下)。古文から直接に古義を得ようとする努力が継承された。これを、古典研究上の歴史意識の発展と呼ぶのもよいだろうが、歴史意識という言葉は「今言」である。今日では、歴史意識という言葉は、常套語に過ぎないが、仁斎や徂徠にしてみれば、この言葉を掴む為には、豪傑たるを要した。藤樹流に言えば、これを咬み出した彼等の精神は、卓然として独立していたのである。

さらにしばらく読む進むと、やがて章をあらためて、次のような小林の声をわたしたちは聞くことになる。

歴史意識とは「今言」である、と先に書いた。この意識は、今日では、世界史というような着想まで載せて、言わば空間的に非常に拡大したが、過去が現在に甦るという時間の不思議に関し、どれほど深化したかは、甚だ疑わしい。「古学」の運動がかかずらったのは、ほんの儒学の歴史に過ぎないが、その意識の狭隘を、今日笑う事が出来ないのは、両者の意識の質がまるで異なるからである。歴史の対象化と合理化との、意識的な余りに意識的な傾向、これが現代風の歴史理解の骨組をなしているのだが、これに比べれば、「古学」の運動に現れた歴史意識は、全く謙遜なものだ。そう言っても足りない。仁斎や徂徠を、自負の念から自由にしたのは、彼等の歴史意識に他ならなかった。そうも言えるほど、意識の質が異なる。

ここで小林が言う「現代風の歴史理解の骨組」が、なんらかのかたちで丸山を念頭においていたのかどうかは、わたしにはまったくわからない。ただ、連想がそこに行ったというにすぎないのだが、小林秀雄が1960年代に伊藤仁斎や荻生徂徠を語りながら、そこにまったく丸山眞男の名前が登場しない事が、逆にいぶかしいとは言えるだろう。ちょうど集合写真の中にひとり白抜きにされた人物がいるような感じがするのだなあ。

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飛耳長目という言葉

「前原誠司は、『首相の器』なのか/坂本龍馬を意識する国交相」という記事が、朝日のThe GLOBE に出ている。記者は梶原みずほ。
べつに前原誠司に肩入れする気もないのだが、読んでいたら、前原が坂本龍馬に自分を重ねあわせていることが強調されていて、龍馬を形容する時に「飛耳長目」という言葉が使われるという一節がある。前原にとっての「目や耳」となったのは副大臣の辻元清美なんだそうな。あんまりに低レベルで笑っちゃうね、どうでもいいけど。

龍馬の形容として「飛耳長目」という言葉が使われるというのは、なにが出典なのかはわからないが、たまたま、この言葉を荻生徂徠がつかっていることを山内昌之の『鬼平とキケロと司馬遷と』(岩波書店)で目にしたので、その部分を孫引きしておく。徂徠がこの言葉をつかったのは歴史の役割とはなにかというコンテキストであった。

惣じて学問は飛耳長目之道と荀子も申候。此国に居て、見ぬ異国之事をも承候は、耳に翼出来て飛行候ごとく、今之世に生れて、数千載の昔之事を今目にみるごとく存候事は、長き目なりと申事に候。されば見聞広く事実に行わたり候を学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。(「徂徠先生答問書 上」『荻生徂徠全集』第一巻、みすず書房1973年)

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2010/04/04

小林秀雄『本居宣長』その一

20100404

いま小林秀雄の『本居宣長』をゆっくり読んでいる。

テクストは、新潮社の『小林秀雄全作品』の27巻(と28巻だが、こちらにはまだたどりついていない)。
このシリーズは2002年に完結した第五次の『小林秀雄全集』が底本になっているのだそうだ。ソフトカバーの装丁なので、軽くて持ち運びがしやすいのがうれしい。
また、見開きの二頁をひとつのまとまりとして、脚注がついているのだが、この脚注があまりうるさくもなく、さりとて不親切でもない、ちょうどわたし程度の古文の読解力に見合った絶妙の注釈でありがたい。
この作品に対しては、小林秀雄がこんなことを最初の方で断っている。

宣長の述作から、私は宣長の思想の形体、或は構造を抽き出そうとは思わない。実際に存在したのは、自分はこのように考えるという、宣長の肉声だけである。出来るだけ、これに添って書こうと思うから、引用文も長くなると思う。

じっさい、宣長のものだけでなく伊藤仁斎、荻生徂徠、賀茂真淵などの著作の引用がたっぷりとつづく。むしろ、小林秀雄は、これらの人々の「肉声」をどのような順番で読者に聞かせるのが、いちばんいいだろうかということだけを考えていたようにも思える。
わたしがいちばん意外だったのは、馬鹿みたいな話だが、この近世の人々の書いた文が現代文を読むのとさほどかわりなく「わかる」ということだった。その助けになるのが、適切な脚注であって、これがないと意味を取り違えそうな箇所もたしかにあるのだが、そういう一種の文章上の難所はさほど多くはなくて(だからこの脚注もさほどうるさくもないわけだが)案外すらすらと古人の文は口に唱えて頭に入ってくるということだった。

もともとこの「本居宣長」は1965年から1976年にかけて「新潮」に連載されたものだ。もちろん、リアルタイムでわたしはこの作品を読んではいないけれど、さほど熱心な読者とは言えないながら、新潮文庫の『モオツァルト・無常という事』『Xへの手紙・私小説論』『ゴッホの手紙』などは、とうぜんの必読書として(だって当時は小林秀雄も読んでないようなやつは相手にしてもらえなかった。よい時代である(笑))読んでいた。しかし、当時のわたしはこの『本居宣長』が単行本として上梓されたときは、ぱらぱらと最初のほうを読んで、これは無理だ、とあきらめたことを覚えている。まあ、読みたい本もたくさんあるし、本居宣長はパスでいいやと、思ったわけなのであります。
はや、それから三十数年。ずいぶん長いあいだ放置した宿題を、いまになってようやくやっているような塩梅だと思う。
もしかして同世代の方で、おなじように若き日にパスした方もいらっしゃるかもしれない。いま読んでどうですか、面白いですかと尋ねられたら、こう答えるでしょう。

いや、これはほんとうに面白いです。面白いと思っている自分が不思議で面白い。ようやく、なにかに追いついた、そんな気がしてこころ休まる、そういう類の本であります。

追記
このソフトカバー版の『小林秀雄全作品』、上に書いたように、廉価版だしハンディだし、脚注の内容もレイアウトもすばらしいのだが、一点、わたしにとっては残念でならないことがある。それは、これ引用部分以外は現代仮名遣いに変更されているのですね。だから、ちょっと軽い。やはり、ここは小林秀雄の地の文章も原文どおりにしてほしかった。こだわる方は、これはダメとおっしゃるかもしれない。

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2010/04/01

2010年3月に読んだ本

『鑑真』東野治之(岩波新書/2009)
『ナボコフ短篇全集〈1〉』諌早勇一他訳(作品社/2000)
『千年の祈り』イーユン・リー/篠森ゆりこ訳(新潮社/2007)
『剣客商売 九 待ち伏せ』池波正太郎(新潮文庫)
『石垣りん詩集 挨拶-原爆の写真によせて』(岩崎書店/2009)
『剣客商売 十 春の嵐』池波正太郎(新潮文庫)
『水戸学と明治維新』吉田俊純(吉川弘文館/2003)
『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』カズオ・イシグロ/土屋政雄訳(早川書房/2009)
『剣客商売 十一 勝負』池波正太郎(新潮文庫)
『ぐるりのこと』梨木香歩(新潮社/2004)
『進化考古学の大冒険』松木武彦(新潮選書/2009)
『剣客商売 十二 十番斬り』池波正太郎(新潮文庫)
『ナボコフ短篇全集〈2〉』諌早勇一他訳(作品社/2001)
『食卓一期一会』長田弘(晶文社/1987)
『狂気』ハ・ジン/立石光子訳(早川書房/2004)
『ユークリッジの商売道』P.G. ウッドハウス/岩永正勝・小山太一訳(文藝春秋/2008)
『ディフェンス』ウラジーミル・ナボコフ/若島正訳(河出書房新社/2008)
『幸いなるかな本を読む人』長田弘(毎日新聞社/2008)

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2010年3月に見た映画

ワールド・オブ・ライズ
BODY OF LIES
監督:リドリー・スコット
出演:レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ、マーク・ストロング

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