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2010/04/06

飛耳長目という言葉

「前原誠司は、『首相の器』なのか/坂本龍馬を意識する国交相」という記事が、朝日のThe GLOBE に出ている。記者は梶原みずほ。
べつに前原誠司に肩入れする気もないのだが、読んでいたら、前原が坂本龍馬に自分を重ねあわせていることが強調されていて、龍馬を形容する時に「飛耳長目」という言葉が使われるという一節がある。前原にとっての「目や耳」となったのは副大臣の辻元清美なんだそうな。あんまりに低レベルで笑っちゃうね、どうでもいいけど。

龍馬の形容として「飛耳長目」という言葉が使われるというのは、なにが出典なのかはわからないが、たまたま、この言葉を荻生徂徠がつかっていることを山内昌之の『鬼平とキケロと司馬遷と』(岩波書店)で目にしたので、その部分を孫引きしておく。徂徠がこの言葉をつかったのは歴史の役割とはなにかというコンテキストであった。

惣じて学問は飛耳長目之道と荀子も申候。此国に居て、見ぬ異国之事をも承候は、耳に翼出来て飛行候ごとく、今之世に生れて、数千載の昔之事を今目にみるごとく存候事は、長き目なりと申事に候。されば見聞広く事実に行わたり候を学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。(「徂徠先生答問書 上」『荻生徂徠全集』第一巻、みすず書房1973年)

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コメント

どーも。

「飛耳長目」。随分前に司馬遼太郎の小説で吉田松陰にまつわる何かで目にしたことがありました。
そこで気になり調べたところ、徂徠先生のご指摘の、『荀子』にはありませんでした。中国語サイトの中國哲學書電子化計劃で、全文検索をかけたのですが。検索語が長いとヒットしにくいと思い「飛耳」でやってみたのですけど。

若干のサイトで『管子』の出典が書いてありましたので、上記
中國哲學書電子化計劃『管子』
http://chinese.dsturgeon.net/text.pl?node=48661&if=gb
で検索をかけたところ、《九守》の巻に、「一曰長目,二曰飛耳」とあり、確認できました。

とまあ、ご報告だけ。

投稿: renqing | 2010/05/02 02:46

おお、ありがとうございました。
なにしろ孫引きの引用ですので、考えられることは、
(1)小生が山内氏の本から書き写す際に間違えた
(2)山内氏がみすず書房の全集から書き写す際に間違えた
(3)みすず書房の全集が校定を誤った
(4) 徂徠が勘違いをしていた

のいずれかでありましょう。いちばんたよりないのは、いうまでもなく小生ですが、それを棚にあげて推理すると、3が可能性が高そうな気がするなあ。

投稿: かわうそ亭 | 2010/05/02 07:50

たぶん、(4)ですよ。今、手元に徂徠のテキストがないので(どかに岩波日本思想大系版があったような気がする・・)、決定的とは申せませんが、

日本国語大辞典(小学館)「飛耳長目」の項

に、こうあります。

*太平策〔1719~22〕「荀子に学問を飛耳長目の道といへり。耳を飛し、目を長くするとよみて、坐ながら数千里の外をも聞き、数千載の昔をも見るは、学問の道也」

大辞典の筆記者が、引用を間違える確率は、いくらなんでも低いでしょう。とすれば、十中八九、徂徠が勘違いしたまま記憶している可能性が高い。

ただし、徂徠が指示する「荀子」なるテキストが300年後の我々が目にしている「荀子」テキストと違えばそれまでですし、徂徠の指しているテキストが、「荀子」ではなく、荀子の著作、という意味なら、もう素人の追跡を断念しなければなりませんが。

あの Max Weber でさえ、引用書名を何度も繰り返し間違えているのですから、徂徠が間違ったっていいんですが。下記ご参照。
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2008/01/1989_fec5.html

投稿: renqing | 2010/05/02 17:50

なるほど、なるほど。
わたしが(3)じゃないかと思ったのは、みすず書房が拠った「徂徠先生答問書」の書体が漢籍にあるように一字一字はっきり視認できる字体ではなくて、連綿体風の判読しづらい書体だったのではないかしら、という推理でした。
くずし字で徂徠が書いていた「管」を「荀」と見間違えたのじゃないかな、と思った次第。もっともくずし字にしたところで、このふたつの漢字が識別しにくいものかどうか、よく知らないので、あんまり説得力はないですね。(笑)
ちなみに、庄内藩がもっていた「徂徠先生答問書」の徂徠直筆の書簡の写真がこちらにあります。小さくて、よくわからないけれど、やはり連綿体風の字体のように見えますね。
http://www.tsuruokakanko.com/ca02/chidokan/kyoiku02.html

投稿: かわうそ亭 | 2010/05/02 22:21

どうも。

「徂徠先生答問書」にしても、「太平策」にしても、活字で起こしてある資料集では、おそらくすべて《荀子》で判読しているんじゃないですかね。それぞれ、古文書原資料を研究者が校訂・校合しているはず。異なる研究者たちが異なるテキストで《荀子》と判読しているなら、オリジナルも《荀子》となっている確率は高い。

いえ、もう一つ可能性がありました。徳川18世紀は出版物(木版)の点数、部数が爆発的に増えた時代です。すでに当時出回った出版物レベルで、誤植(誤彫?)あった可能性もありますね。ただ、当時の木版出版は、著者の肉筆原稿をそのまま彫師が板にじゃんじゃん彫っていくものですから、植字工による活字拾いミス(読み間違い)っていうのありえません。それからしても、徂徠先生の、上手の手から水が漏れた可能性は低くない、という気がします。

ま、せめて、岩波日本思想大系ぐらいは、確認しないと。さて、どのダンボールにあるのやら・・・。

投稿: renqing | 2010/05/03 01:40

研究者による原資料との校訂・校合というのは、まあ、まさにそのためにかれらが専門家としての存在意義があるわけだから、たしかに信頼性は高いですね。たしかにそうかもしれないなあ。
しかし、たった一字の「管」と「荀」とでさえこれですから、歴史資料などの編纂事業というものには頭が下がる。大日本史なんて、なんでそんなに時間がかかるんだよ、と思ってたけど、きちんと調べ始めたらきりがないですよね、これは。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2010/05/03 07:53

いや、全く。

誰かがやらねばならないが、桁違いのエネルギー、コストがかかりますね。こういう方面は、ビジネスとしてはまず無理ですから、どうしてもパトロネージュが必要なんですが。小泉改革以降、人文系の予算は削られるばかりと言いますし、日本の寄付税制はやたらと使いにくいようですし。日本の The humanities も風前の灯でしょうか。

投稿: renqing | 2010/05/03 11:25

どうも。こちら話題をパクリまして、記事を書いてしまいました。早速、リンクを貼り付けましたので、御笑覧ください。

投稿: renqing | 2010/05/03 16:45

いや、おかげさまですっかり納得しました。たしかに徂徠先生に誰かが問い質しておくべきやった。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2010/05/03 17:51

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 岩波日本思想大系36・荻生徂徠 、太平策、p.453下段、本文にこうある。 荀 [続きを読む]

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