『遊星の人』多田智満子
巻末の高橋睦郎による「心覺えに」から。
二〇〇二年秋、すでに遠くないこの世との別れを覺悟した多田智満子に、託されたものが四つあつた。
一つ目は句稿。これはその後何度か通ひ、膝づめの共同作業で手を入れ、遺句集『風のかたみ』として、翌年一月二十五日・二十六日の通夜・葬儀參列者に配つた。題名も故人の意志による。二つ目は詩稿。これは高橋の責任においてまとめ、葬儀次第二册本にして書肆山田から一周忌に合はせて出版した。遺詩集『封を切ると』である。題名は詩稿中の詩行から高橋が恣意に選んだ。
そして、三つ目が歌稿。これも高橋の責任において編集した。すなはち、この歌集『遊星の人』である。
以前、多田智満子と高橋睦郎のことはこちらに書いた。とくに私自身がくわしいわけでもないのだけれど。
今回は、こころに残った歌をできるだけたくさん書き写したいと思う。
鈴懸は何科ならむと植物の圖鑑開けばスズカケノキ科
身のあはひ風するすると抜けてゆく半身は海半身は山
まどろめば鬱金空木のうつらうつら咲くやほのかに眼裏を染め
鐵塔に高壓線は唸りつつ凩山の稜線を切る
夜の果に穴あり道路工事中赤きランプの圍める秘密
水死者は黒髪ひろげうつ伏せに夜の水底にまなこひらける
六連發ピストルのなか輪になりて六つの夢のあやふく眠る
父もはや文字が讀めずと送り來ぬ漢詩數巻秋深むころ
晩く生まれいとほしまれしわれならば遂に見ざりき若き父母
古き海山に昇りて凝りしやアンモナイトは渦潮の形
山深きアンモナイトは幾重にも渦まき過ぎし海の疑問符
裏木戸に見憶えもなき草箒前世に誰ぞ置忘れたる
山頂より裾野めがけて駆けおるる瀧よ孤獨なる長距離走者
みどり濃きこの遊星に生まれきてなどひたすらに遊ばざらめや
ちなみに高橋が託されたものは四つあったと書かれていた。句集、詩集、歌集……残るひとつは能楽詞章「乙女山姥」であるそうな。
本書には別冊の栞が挟まれており、岡井隆、小島ゆかり、穂村弘がそれぞれ一文を寄せている。穂村の感想が面白かった。いわく「歌人の作に比べて、日常の現実から象徴次元へ飛躍するための助走距離が短く、且つ、その通路が透き通っているようだ。」
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