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2010/04/18

小林秀雄『本居宣長』その四

20100418

なんとか読了はしたが、小林秀雄の『本居宣長』については、あんまり読みましたと大きな声では言いたくないような気がする。こういう展開がありそうだからだ。
ははあ、あなた、あれをお読みになりましたか。ほお、おもしろく読んだとおっしゃる。ふむふむ。ところで、後学のためにおうかがいしたいのじゃが、あなたは、あれを、なにが書いてあるのかおわかりになって読んでおられたのじゃろうか?
いや、笑い話ではないのだ。これは困るよ。
じっさい、正直に言うが、わたしは読みながら、これは面白い、と思っていたのも事実だが、なにが書いてあるのかわからずに途方に暮れていたのも事実なのである。
いちばん、まいったのは、最終章の「答問録」で宣長が門人達の問いに答えたこういう文である。

拙作直毘霊の趣、御心にかなひ候よし、悦ばしく存候、それにつき、人々の小手前にとりての安心はいかゞと、これ猶うたがはしく思召候条、御ことわりに候、此事は誰も誰もみな疑ひ候事に候へ共、小手前の安心と申すは無きことに候

文脈が解りづらいとおもうが、門人たちが聞いて来たのは、ほかならぬ自分が死ぬとはどういうことか、死に対していかにすれば安心が得られるのでしょうか、というような質問である。(たぶん)
そして、この門人達の質問に対して宣長は、いや諸君の疑いはもっともだよ、このことは誰もみんな知りたいことなんだけどね、そういう自分の死に対する安心というのは無いんだなあ、というのが先生の回答であったというのでありますね。いや、門人たちも途方にくれただろうが、わたしだって途方にくれるよ、これは。(笑)

宣長はこんな意味のことを言うのですね。

あのねえ、そりゃ自分が死んだらどうなるのってのは、わたしらにとっていちばん切実な疑問ですよ。いちばんこわいこと、いちばん不安なのは、ここなんだよね。
だから、死んだって大丈夫、ちゃんとこういう風になってるんだから、みんな安心していいんだよ、って誰かが言ってくれればさ、みんなそれになびいちゃうわけ。ほら日頃は信心なんかしてなかったようなやつが、いまわのきわに心細くなっちゃって、信仰に入ったりするのってよくあるでしょ。あれだよね。
でも、そういうのってさ、よく考えると、こうすれば安心が得られるじゃんって、誰かが考えたんだってことは明白でしょ。みんなが、ああそうか、それなら自分はもう死ぬこともこわくはない、っていうような面白そうなおオハナシを並べ立てているだけだよね。よく考えたら、わかるだろ、みんな。
それに対して、そういう、へんにこざかしい理屈が入ってくる前の、わたしたちのご先祖様たちはちうがうんだなあ……

以下は、宣長の原文に帰ります。じっくり読んでみましょうか。

御国にて上古、かゝる儒仏等の如き説をいまだきかぬ以前には、さやうのこざかしき心なき故に、たゞ死ぬればよみの国へ行物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく、これを疑う人も候はず、理屈を考る人も候はざりし也、さて其よみの国は、きたなくあしき所に候へ共、死ぬれば必ゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也、然るに儒や仏は、さばかり至てかなしき事を、かなしむまじき事のやうに、いろいろと理屈を申すは、真実の道にあらざる事、明らけし

うん、そりゃまあ、そのとおりだとは思いますけれども——ねえ。
わたしが思いうかべたのは(なにしろフォーク世代なもので)加川良の「伝道」でありました。「かなしいときにゃかなしみなさい。気にすることじゃありません」って。(笑)
でも、先生、それじゃあ、答えになってません!と詰め寄る門人たちに、共感しないでもないなあ。どうでしょうねえ、こまっちゃうでしょ。

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