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2010/04/06

小林秀雄『本居宣長』その二

小林秀雄の『本居宣長』を読みながら、なんとなく気にかかるのが丸山眞男のことだ。それは小林が宣長を語るために、まだ下克上の気風の完全には消え去らない慶長の中江藤樹の学風に遡り、そこから熊沢蕃山、伊藤仁斎へと筆を進め、ついに荻生徂徠に至るところで、次のような記述に出会うからである。

小林は「仁斎の学問を承けた一番弟子は、荻生徂徠という、これも亦独学者であった」とこのパラグラフを書き出す。「大学定本」「語孟字義」の二書に感動した青年徂徠は、仁斎こそまことの豪傑であるという内容の書簡を送り、仁斎もまた、古今に雑学者こそ多いが聖学に志す豪傑は少ないと「童子問」で嘆じた。ここで豪傑とは戦国時代から持ち越した意味合を踏まえて、「卓然独立シテ、倚(よ)ル所無キ」学者を言うのであると小林は補足する。「他人は知らず、自分は『語孟』をこう読んだ、という責任ある個人的証言に基いて、仁斎の学問が築かれているところに、豪傑を見た」のだと説明する。
そして、文章は次のようにつづく。これは小林の文章を切らずにそのまま引用しよう。

仁斎の「古義学」は、徂徠の「古文辞学」に発展した。仁斎は「住家ノ厄」を離れよと言い、徂徠は「今文ヲ以テ古文ヲ視ル」な。「今言ヲ以テ古言ヲ視ル」なと繰返し言う(「弁明」下)。古文から直接に古義を得ようとする努力が継承された。これを、古典研究上の歴史意識の発展と呼ぶのもよいだろうが、歴史意識という言葉は「今言」である。今日では、歴史意識という言葉は、常套語に過ぎないが、仁斎や徂徠にしてみれば、この言葉を掴む為には、豪傑たるを要した。藤樹流に言えば、これを咬み出した彼等の精神は、卓然として独立していたのである。

さらにしばらく読む進むと、やがて章をあらためて、次のような小林の声をわたしたちは聞くことになる。

歴史意識とは「今言」である、と先に書いた。この意識は、今日では、世界史というような着想まで載せて、言わば空間的に非常に拡大したが、過去が現在に甦るという時間の不思議に関し、どれほど深化したかは、甚だ疑わしい。「古学」の運動がかかずらったのは、ほんの儒学の歴史に過ぎないが、その意識の狭隘を、今日笑う事が出来ないのは、両者の意識の質がまるで異なるからである。歴史の対象化と合理化との、意識的な余りに意識的な傾向、これが現代風の歴史理解の骨組をなしているのだが、これに比べれば、「古学」の運動に現れた歴史意識は、全く謙遜なものだ。そう言っても足りない。仁斎や徂徠を、自負の念から自由にしたのは、彼等の歴史意識に他ならなかった。そうも言えるほど、意識の質が異なる。

ここで小林が言う「現代風の歴史理解の骨組」が、なんらかのかたちで丸山を念頭においていたのかどうかは、わたしにはまったくわからない。ただ、連想がそこに行ったというにすぎないのだが、小林秀雄が1960年代に伊藤仁斎や荻生徂徠を語りながら、そこにまったく丸山眞男の名前が登場しない事が、逆にいぶかしいとは言えるだろう。ちょうど集合写真の中にひとり白抜きにされた人物がいるような感じがするのだなあ。

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コメント

未だ(二)なので、此処で何か書き込むと後で後悔しそうな気がしますがー。
小林を読んで丸山に思いを馳せるのは流石ですね。
小林は「歴史」という概念が大嫌いなんでしょう。歴史観も歴史意識も大嫌い。まるで身体についた汚れを拭うように、歴史意識を拭い去ろうとしています。それは後のポスト・モダンにも通じます。
小林が丸山を先頭にする所謂「市民派」「近代派」を強く念頭においていたのは間違いない。でも何故小林はあそこまで「歴史」を嫌ったのか?分かりませんね。
一方丸山の小林批判は、(ご存知でしょうが)丸山眞男『自由についてー七つの問答』(SURE,2005年)に具体的に述べられています。これは鶴見俊輔たちを相手にした座談会の記録で、丸山著作集にも載っていない。未だでしたらご一読をお奨めします。

投稿: 我善坊 | 2010/04/07 10:35

たまたま図書館に行く予定だったので。さっそく『自由についてー七つの問答』を借りてきました。これもふくめて、「その三」で丸山眞男が小林秀雄をどのようにとらえていたのか考えてみようと思います。くわしくはそちらであらためて。取り急ぎ、お礼のみ。

投稿: かわうそ亭 | 2010/04/07 18:49

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