コメでは食えん話
地主の支配人たちが蔵入れの日、俵をかついでやってくる小作たちを一人一人検分して、目の前で俵の米をゆするようにして、正規の小作料のほかに、サシ米、継米などと呼ばれる余分の米を俵につめさせた。
どんな目減りもあり得ないようにした上で、酒を振舞い、小作たちの頭の働きを停止させた。
≪さあ、ちゃんと山に盛れ、升をゆすってな≫
といったかけ声を、厭味でなく大声で叫ぶことができ、酒を上手に振舞える差配が、番頭になれる人材だったそうだ。
『浦島草』大庭みな子
太宰治が、生れてきてすみませんといった気持ちもわからんではないような光景ですが、戦前の大地主と小作人というのは、多かれ少なかれこういう世界に生きていたのでしょう。もちろん戦後生まれのわたしは実見したことはない。
さて、ここで番頭が、升をゆすれと言っているのは、同じ一升でも、升をゆすれば隙間ができてさらにコメが入るからであります。
一合のコメを計量カップに入れて計ると、だいたい150グラムになるそうですが、カップの底をトントンとカウンターにうちつけてやれば、嵩が減って、けっきょく165グラムくらいは入れることができるようですね。
だからご飯を炊くときは、計量カップで計るより、はかりで重さを1合150グラムとはかったほうが、むらがなくていいらしい。(え?そんなめんどくさいことしてへんわ、勘よ勘、ですか。ハイ、失礼しました)
1合のコメが150グラム見当であれば、一石はこの一千倍ですから150キログラムということになる。
『農業入門』(週刊ダイヤモンド編)という本によれば、一反の田んぼで7俵から10俵の収穫があるんだそうですね。とりあえず8俵として、1俵60キログラムですから、480キログラム。これを石に換算すればおよそ3石あまりの反当たりの収量となる。かつて一反と一石がリンクしていたとすると、これは肥料や農薬、石油をがんがん使った動力機械で農業革命が起った結果なんでしょうか、それとも一石と一反がリンクしていたというわたしの理解がまちがっているのであろうか。諸賢のご教示を待ちたいと思いますが、ともあれ、話を先に進めよう。今回書こうと思っていたのは、カネの話だ。
一反の田んぼから480キロのコメを収穫できて、しかもそれを全部売ることができていったいナンボになるのか。
これは簡単ですね。農林水産省の平成22度米の相対取引価格をみますと玄米60キロ当たりの全銘柄平均は12,711円であります。
ざっくり60キログラム12,000円とすると、12,000×8=96,000円となります。
一反の田んぼで上手にコメをつくって売り上げ10万円にもならない。
もちろん、籾代、肥料代、農機のコスト、ガソリン代、農業資材だので経費はかかります。おなじく『農業入門』によれば、コストは自分の田んぼで、借地料を払わずにすんだとしても5万5千円。すると、1反での手取りはせいぜい4万円たらずである。
手取り400万円にしようと思えば、1反の田んぼ百枚をやらなきゃならんわけだ。面積は10町歩になりますな。そんな、農地をもってる個人農家はどれだけいるのか。
つまり何十ヘクタールという広大な農地を集約して企業や農事法人にして集団耕作する以外に日本の農業が生き残る道はない。コメや野菜ををつくって父ちゃん母ちゃんがたかだか七反、八反の田畑で食っていくことはもう不可能なのだ、というのが残念なカン・ソーリーらTPPの推進派の、あるいは財界のといってもいいが、意見であります。ま、たぶんそうなのだろう。
しかし、わたしは、もう、そういうマクロな見方には興味があんまりないのだなあ。
父ちゃん母ちゃんの農業で、そこそこ食える暮らしも大事じゃないかてなことを考えるのですが、さて・・・。
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