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2011年3月

2011/03/08

自然が一番はウソなのか(4)

農産物の遺伝子操作の例としてよくとりあげられる作物に大豆があります。
具体的には除草剤耐性大豆というものがある。日経新聞などでラウンドアップ・レディなんて名前を目にされた方も多いでしょう。ラウンドアップというのは多国籍企業モンサント社の農薬のことであります。レディはladyじゃなくて、ready 準備できてるぞ、っていうほうですね。

さて、このラウンドアップ・レディという遺伝子組み換え大豆は、基本的には、どうすれば農薬を減らすことができるかというところから発想はスタートしているのですね。

ただしそれは、もしかしたら多くの消費者が思い描くかもしれない、ほらやっぱりこれからは環境にやさしく安全な食物がトレンドだものねえ、といった甘っちょろい発想ではありません。いや、まあそれもイメージ戦略、マーケティングとしてはあるわけですが、メインの理由はそれではない。

穀物メジャーが軌道上の静止衛星から観察してるようなスケールの大豆農家にとって農薬の問題はなによりコストとしてとらえられます。大豆が生長する環境下では雑草もまた猛烈に繁殖します。これを放置すれば大豆が収穫できなくなる。かといって人力で草を刈ることも、できっこありません。結局、収穫までに何回か安全基準の範囲内で、ヘリやセスナから何トンもの農薬である除草剤を散布するしかありません。これは莫大なコストがかかりますわな。
しかし、たとえば、最初と途中の二回農薬撒くだけで済むようにできれば大きなコストダウンになりますよね。
しかし、そんなうまい方法があるんだろうか。

そこでモンサント社が考えたのはこういう作戦です。(ただし、わたしは専門家ではないので、たぶん間違いがあると思う。ご叱正をまちたい)

除草剤には二種類あるんですね。ひとつは選択性の除草剤で、ターゲットとなる雑草が決まっております。もうひとつは非選択性の除草剤で、これはなんでもかんでも植物すべてを枯らしてしまう。ヴェトナムで米軍がジャングルに撒いた非人道的な化学兵器みたいなもんだと思えばいいのでしょう。
農薬は、とうぜん選択性のものです。だって、非選択性のクスリ撒いたら肝心の作物、この場合は大豆も枯らしてしまいますもんね。しかし、選択性の農薬は、ターゲットにする草しかやっつけてくれません。何種類もの雑草を懲らしめるためには、何種類もの農薬が必要です。だから農薬の量が多くなる。

頭のいい人はここで、ははあ、と思ったでしょう。

よくハリウッドのハリボテ映画なんかで、細菌兵器とワクチンなんてしょうもない小道具が出てきますよね。極悪の天才科学者が、全世界に猛毒性のウィルスをばら撒くと政府を脅す。でも、大丈夫、エリートの皆さんには、このワクチンを差し上げます。あらかじめこれ打っとくと、感染しませんからね。劣等人種どもが絶滅した後、もういちど、理想の世界を一緒につくりましょう。ちなみにお値段のほうは・・・・
なんてやつね。

つまりラウンドアップ・レディのアイデアは要するにこれなんであります。

バイオテクノロジーで遺伝子組み換えを行って、非選択性の除草剤に耐性をもつ大豆、自然界には存在しない筈のラウンドアップ・レディをつくっちゃうんですね。そして、非選択制の除草剤ランドアップを種蒔きと成育中に二回ばかり撒く。すると、あら不思議、大豆畑は雑草のないきれいな状態になってラウンドアップ・レディ大豆だけが元気に育つではありませんか、というお話。
まあ、これを雑草のないきれいな畑と見るか、除草剤で汚染された過酷な畑と見るかは立場によって違うことでありましょうけれど。
しかし、このラウンドアップ・レディは、ほとんど手をかける必要がないので、不耕起の自然農法に近くなるという意見もある。

もっとも、そんなうまい話がありますかいな、という皆さんも多い。大豆のほうは遺伝子操作で除草剤に耐性をつけたんだろうが、雑草だって、そのうち突然変異でそういう耐性持つやつがでてくるんじゃないのという疑問は誰だって思いつく。院内感染のウィルスと抗生物質のいたちごっこと同じことがここでも始まるだけだという冷めた意見もあるようですな。また、実際はラウンドアップでもそんなに農薬は減らないみたいよ、という報告もある。ま、これも一種のマッチポンプかもしれない。

ところで、そんな遺伝子組み換え作物なんて禁止されてるのではないの、と思われている方もおられると思いますが、現にアメリカでは総作付面積の75%(2002年米国農務省発表)の大豆がこれであります。アルゼンチンでは95%が遺伝子組み換えだと言いますな。日本はEUと同じように、まだこれを認めておりませんがさてどうなるのでしょうね。

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2011/03/06

自然が一番はウソなのか(3)

わたし自身が現にそうであるが、朝から晩まで空調の効いたビルでデスクワークをしているサラリーマンから見ると、農業は自然にもっとも近い働き方のように思える。
空気もいいし、ややこしい人間関係の軋轢も、ノルマや納期に追われるストレスもないように見える。土を耕し、種を蒔き、収穫するというサイクルもいかにものんびりして人間らしい生き方がそこにあるように思う。なにしろ人間は自然が一番なのだ、というお気楽な都会人の憧れ。

しかし、そんな空想は真剣に農業経営をしている農家に失礼というものだろう。現実逃避の夢を勝手に農業に持ち込むのはやめてほしい、と言われるのではないかと思う。
サラリーマンの世界にあるストレスはすべて農家にあるよ、あたりまえじゃん、と諭されるに違いない。

そもそも農業は自然を相手にしているように見えるが、ほんとうはやむをえずそうしているにすぎない。趣味で楽しむ家庭菜園とは違うのである。生きるたつきとして考えれば、収量を上げるために、気温、日照、雨、肥料、病害虫、すべての条件を、できることなら自分の手でコントロールしたいのである。しかし経済活動には採算というものがある。だから、なんとか自然環境で生育できる作物は運を天に任せて露地栽培するのである。せいぜい、ビニールでトンネルをつくるとか、虫除け、鳥除けのネットを張るとかするくらいに留めるのである。

しかし、そういう、やむを得ず自然に任せた農業さえ、ほんとうはまったく自然ではないんだなあ。

わたしたちが毎日食べる野菜は、まず間違いなく、種苗会社のタネから育ったものだ。なんで農家が毎年、種苗会社のタネを買うかといえば(だって農家なんだもの、作物の一部から自家採種しようと思えばできるし、現にそうしている人もいないことはない)、それが一番儲かるからだ。なんで儲かるかといえば、種苗会社のタネから育つ野菜は、消費者好みの味だったり、収量が多かったり、病害虫に強かったり、栽培期間が短かったりするからであります。

じつは種苗会社のタネは、そうした(人間にとって)好ましい形質を生み出すように、まったく違った遺伝形質をもつ親同士を交配させた雑種なんですね。
うん、それはわかるよ、そりゃ大企業がカネをかけてつくってるんだものね。でも、それなら、その種苗会社のタネから野菜を育てて、その野菜から自分でタネをとればいいじゃん、と思ったあなたはたぶん高校の授業をさぼった人であります。

そうです、ご明察。要はメンデルの法則なんですよ。

Mendelian

種苗会社のタネは雑種の一世代目なんですね。これをF1品種と呼びます。(FはFilialの略)
異なる形質をもつ親同士をかけあわせた雑種の第一代は、優性形質は発現しますが劣性形質はかくれたままになります。ところが、このF1の次の世代になると表に出したくない形質もかならず一定の割合で発現してしまうわけですね。つまり、F1の野菜からタネをとると次の世代の一部は、育てにくかったり、味が悪かったり、収量が少なかったりかもしれない。少なくともF1品種のように結果の予測ができません。

だからほとんどの農家は、毎年、毎年、最初から種苗会社のF1品種のタネを買って栽培をするわけであります。
いつもF1。
野菜たちは自然の繁殖でF2、F3と子孫を広げることは許されません。野菜の身になるとなんだか悲しい。しかし、それが、毎日わたしたちが通勤電車から眺めている沿線の畑の作物というものなのですね。
畑は自然でいいなあ、なんて思っているようではナイーヴに過ぎるのであります。

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2011/03/01

自然が一番はウソなのか(2)

キューピーの野菜工場については、その栽培方法があまりにわれわれの農業のイメージとかけはなれているので、不自然なものを感じるのではないかと思う。
土を使わない。温度や湿度だけでなく、炭酸ガス濃度や植物の生長に欠かせない光もナトリウム灯やLEDによる人口照明で最適に制御される。肥料は作物の成長にあわせて水から補給。たしかに人間の手によってコントロールされすぎて、どこにも自然なものがないようでありますね。

しかしながら、出荷された野菜を商品として見た場合はどうだろうか。

徹底管理された屋内の水耕栽培だから病害虫の心配がほとんどない。だから農薬を使う必要がない。肥料成分は必要量のみ与えられているので、収穫後に過剰な硝酸塩などの残留物がない。清浄で安全性が高いという宣伝は説得力がないだろうか。
皮肉なことに、ここまで「不自然」につくられた野菜だから、かえって純粋に自然なものであるという印象を与えるということはないだろうか。

一般の消費者としては、値段が違わないなら、こうした工場生産された野菜と、在来農家がつくった野菜とどちらを選ぶかは、好みの問題だと思うが、虫喰いも残留農薬も過剰な硝酸塩などの問題もないのだから、こちらを選ぶ人が多いかもしれない。

ただ、農家にとってありがたいことに、この工場生産の野菜は、なにしろ野菜工場のプラントが数億円というような設備投資が必要なものだから、当然コストが高くなる。
少々高くても品質が工業製品のように保証された、安全で見た目もきれいな野菜を選びますか、それとも同じように見た目もきれいで安いけれど農薬も使用されているかも知れない、肥料の過剰投与もあるかもしれないような一般農家の野菜を選びますかというハナシになるわけであります。もちろん、どちらもダメで有機栽培とか自然農法とかを謳ってその筋の認定マークをつけた野菜がベストだと思う人もいるでしょう。

ところで、意欲的な専業農家というのは、農業経営を現代的なものにするために、消費者の選好を求めて、これまでどんどん人為的なものを慣行農法に加えていったと思うのです。露地栽培から施設栽培という個人経営にしてはかなり高額な投資を行い、肥料や農薬を(農業試験場などの)科学的な実証データに基づいて用いて、大きさやかたちも均質で安定的な出荷が適当な時期に行えるように努力してきた。いわば、できるだけ自然の不確定な要素を減らして、自然を予測、計算できる人為的なコントロールの下に置こうとしてきたのですね。

これは、考えてみればあたりまえのことで、もともと農業という営みは、自然の生物を、人間の都合のいいように改変して行くという技術であった。コメも小麦も肉牛も豚もタマゴも、野生の自然からすでにかけ離れたものになっています。

そうであれば、農業は、商業資本主義の狗にすぎない広告代理店などが好んで宣伝文句に使用するエコなんたら、とか、自然との共生がどうたらとか、気色の悪い地球に優しいなんたらかたら(けっ)だとか、そういう口当たりのいいものとは、もともと違うものだったといえるのではないでしょうか。
もし農業をそういう側面からみれば、キューピーの野菜工場は、これぞ農業の王道だと言ってもいいものなのでしょうか。

でも、やっぱりそれはなにか変だと心の中でささやくものがありますね。ありませんか?
それはいったいなんなんだろう。

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