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2011年4月

2011/04/26

THE SHADOW OF THE WIND

20110426

スペインの作家カルロス・ルイス・サフォン の世界的なベストセラー『風の影』を読む。たぶん探せば日本語訳もあるとは思ったが(集英社文庫の上下巻があるのを読後に知った)どうせ同じ翻訳なら英語で読むほうがいいやと、ペンギンのペーパーバックで読んだ。訳者は Lucia Graves となっている。さすがに英語圏の翻訳家にまではなじみがないが、たいへん読みやすく、また美しい文体に感動した。たぶん翻訳の技量ももちろんすぐれているのだろうけれど、この場合、おそらくはスペイン語の原文がいいのだろうと想像がつく。

ペーパーバックだから、いろんな作家や新聞書評などの推薦文が見返しに並んでいるが、いちばん頭にでんと載っているのが、スティーヴン・キングであります。いわく——

もしあなたが本物のゴシックノベルは19世紀とともに死んだと思っているなら、どっこいその考えは捨てたほうがいい。『風の影』は、まことに半端ではない傑作、豪華絢爛で、派手な仕掛けに満ちあふれた小説、どんな小さなサブプロットにさえ、さらにそのサブプロットが組み込まれているような小説・・・これぞ素晴らしき読書体験。

いやはや、これはまさに私好みの小説で、いまのところ、わたしの本年度ベストですね。スペイン内戦終結後のバルセロナが舞台の、少年が大人になっていく物語ですが、ミステリーの要素、幽霊屋敷物語の要素、ユーモア小説の要素、悲恋物語の要素、父と息子の愛憎ドラマの要素、いろんなものが渦を巻くように読者に襲いかかるが、見事にすべてがおさまるべきところにおさまる超人技巧的なオハナシ。ま、登場人物やあらすじなど、話し出したらきりがないので省略。

ただ、これだけ派手な仕掛けにもかかわらず、読者をしらけさせないのは、あちらこちらにちりばめられた気の利いた文章にあると見ました。通勤電車の中で、iPhone でメモをした抜粋を以下、ならべて御覧にいれます。

With women the best part is the discovery. There's nothing like the first time, nothing. You don't know what life is until you undress a woman the first time. A button at a time, like peeling a hot sweet potato on a winter's night.

In this world the only opinion that holds court is prejudice.

People talk too much. Humans aren't descended from monkeys. They come from parrots.

He would stare at you without saying a word, and you wouldn't know what he was thinking, and so, like an idiot, you'd tell him things it would have been better to keep to yourself…

Someone once said that the moment you stop to think about whether you love someone, you've already stopped loving that person forever.

"Don't be offended, but sometimes one feels freer speaking to a stranger than to people one knows. Why is that?” I shrugged. “Probably because a stranger sees us the way we are, not as he wishes to think we are."

You cannot understand such things right now, because you're young. But in good time you'll see that sometimes what matters isn't what one gives but what one gives up.

As I was saying. Love is a lot like pork: there's loin stake and there's bologna. Each has its own place and function.

There are few reason for telling truth, but for lying the number is infinite.

You' re shown a pair of nice boobs and you think you've seen Saint Teresa - which at your age can be excused but not cured. Just leave her to me, Daniel. The fragrance of the eternal feminine no longer overpowers me the way it mesmerizes you. At my age the flow of blood to the brain has precedence over that which flows to the loin.

People who have no life always have to stick their noses in the life of others.

Nobody had noticed, nobody had paid attention, but, as usual, the essential part of the matter had been settled before the story had begun, and by then it was too late.

Fools talk, cowards are silent, wise men listen.

Three heads think better than two, especially if the third one is mine.

Statistics prove it: more people die in bed than in the trenches.

Once she told me she was sorry she'd been a disappointment to me. I asked her where she'd got that ridiculous idea. "From your eyes, Father, from your eyes," she said. Not once did it occur to me that perhaps I'd been an even greater disappointment to her. Sometimes we think people are like lottery tickets, that they're there to make our most absurd dreams come true.

"Making money isn't hard in itself,” he complained. “What's hard is to earn it doing something worth devoting one's life to."

Lives with no meaning go straight past you, like trains that don't stop at your station.

Time has taught me not to lose hope, yet not to trust too much in hope either. Hope is cruel, and has no conscience.



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2011/04/23

スーちゃん、ユーミン、イースター

べつに大ファンだったとか、そういうことではないのだが、田中好子さんが亡くなったことを知ったとき、なんだかがっくりと気落ちした。スーちゃんは1956年の生まれだから、もしも学校がいっしょだったら、わたしのいっこ下になる。
これまたもしも同じ学校だったら、いっこ上には1954年生まれの松任谷由実がいるという年回りである。

そういえばユーミンのファースト・アルバムである「ひこうき雲」が出たのは1973年で、この年わたしは親元を離れて一人暮らしを始めた。18歳だった。なつかしいね。
このアルバムに収録されている「ベルベット・イースター」という曲、好きだったなあ。

空が低くて、天使が降りて来そう、いつもとちがう日曜日というリフレイン(歌詞をコピーすると叱られますから書けませんがどうぞ歌える方は歌ってくださいませ)はときどき口をついて出てきますね。

あしたが、その復活祭、イースターであります。雨もあがってビロードのような日曜日の朝がやってくることを願いましょうか。
だらだらと思いつくままのエントリーでした。おやすみなさい。

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2011/04/21

SHOT NOTE と Evernote

20110421

いまちょっと注目の文房具。
キングジムの「SHOT NOTE」というのがそれ。
一見、なんの変哲もないただのメモ用紙だが、けっこういい値段がする。Mサイズ、70枚で450円。べつに特別の紙質というわけでもない。同じようなサイズのメモ帳なら、たぶん文房具の安売り店に行けば百円もだせば買えるだろう。

じつは、これこのメモだけでは意味がないのですね。

iPhone の専用アプリでこのメモを写真に撮ると、簡単にEvernoteに追加してくれるのであります。
四隅のマーカーがみそで、このマーカーに位置合わせをすることでノートにしてくれる。
雑誌の切り抜きなんかを、貼ってスクラップにするなんてのもいいかもしれない。

まだやってないけど、このメモ帳、四隅のマーカーがあれば、iPhone への取り込みができるなら、たぶんコピーしても使えるんじゃないかなあ。こんど、やってみよう。


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2011/04/16

バイバイ原発

ほんとうかどうかわたしにはわからないが、現代の都市文明を支える規模の電力をつくる方法は現実的には

1)化石燃料を燃やして熱をつくりこれで発電する
2)核燃料を「燃やして」熱をつくりこれで発電する

というふたつしかないのだそうです。

水力や風力や太陽光や潮力や地熱やいろいろな再生可能なエネルギーと呼ばれるものはあるが、どれひとつとして現代の都市文明を支えるに足るほどの発電量はない。こんなものをいくらつくっても追っつかないし、それぞれいくらでも不都合な問題点をあげることができるといいますな。

火力発電所は稼働中は常時大気を汚染している。中東の地政学的な不安的さに左右される。
原発は、今度のようなことさえなければ、環境に与える負荷は小さい。国際的な影響も受けにくい。
だから冷静に検討すれば原発はもちろん危険で悪いものだが、電源としてはこれ以上のものはいまはないというのですな。
池田信夫氏などは、原発で死んだ人とクルマで死んだ人の数を比べてみなさいよ、とまでいう。まあ、たしかに。いまのところは。

だから問題は、つまるところ梅原先生ではないが、いまの文明――というのはちと大げさで、むしろ先進諸国のライフスタイルといったほうがいいような気がするが――をどうしても維持したいのか、それとも手に入る核以外のエネルギーでまかなえる文明にギヤを入れ替えるのかということであります。
しかしこの点で、押しなべて経済学者をはじめとする自称リアリストは悲観的で、人間というものはいったん手に入れた安楽な暮らしは絶対に手放さないという確信があるようだ。
姉は水くみに弟は柴刈の重労働に酷使された安寿と厨子王のような時代に帰れますか、というわけである。そんなん、わしはともかく、あんたらには無理やろ、というのである。

しかし、わたしは思うのだが、べつに生活レベルを50年くらい、場合によっては100年くらいむかしの水準に戻して、それでも不幸のどん底に落ちることにはならないのじゃないかなあ。いや、むしろそのほうが幸せになれるような気さえする。

もともと、あるものでなんとかする、というのが人間の「野生の思考」である。
危険で汚い原発を捨てたら電力は半分になるで、というなら、いまの半分の電力で生きていく工夫をすればいいのである。世界から取り残されて、貧乏な三等国になってもいいのか、というなら、わしらぜんぜんかまわない、といえばいいのである。家族が飢えずに生きていければそれでいい。原発がなくなったら、日本人は何万人も飢死にするんでっか、そこまで原発はんはエライんでっか、と反対に訊けばいいのである。そこまでの覚悟をしたら、あとはそうならないように知恵をめぐらせばいいのである。

与謝野馨は、原発推進をしてきたことは間違っていなかったし、これからも原発の増設推進は必要だと語っていますね。なるほど、これもひとつの立場である。きちんと将来を指し示してみせるということでこの発言は正直で、ある意味立派です。
つまりこういうことだ。

現にそうなったように、40年に一回くらいは原子炉のメルトダウンが起こって居住できないエリアはこれからも出るだろうが、できるだけそうならないようにはするけど、ま、どうせみんな過疎地だし、そういうリスクは許容範囲として、電源はやっぱり原子力で行こうぜ、みんな。おー!

与謝野がいた自民党や官僚や、もうすぐつぶれる民主党や、大企業や、そういう日本のエスタブリッシュメントさまたちの国策とやらはこれであろう。

好きにしろ、とわたしは匙を投げる。ほんとうにバカばっか。

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2011/04/15

tumblr.

最近、わりと重宝しているインターネットのサービスに tumblr. というのがある。
いろいろな用途に使えると思うのだが、わたしの場合は、読んでる最中の本の気に入った文章をメモしたり、ほかのサイトの写真や記事をクリッピングする、一種のスクラップ・ブックとして考えている。
とくに本の引用は、通勤電車の中が一番よく本を読んでいる場所だから、iPhone 経由でさくさくと転送できるサービスがいい。 evernote に溜め込んでいくという方法を薦める人がいるが、あれは3G回線のiPhoneではちょっと重いのが難点。
その点、この tumblr. は、ダッシュボードというエントリー用の画面がすぐに起動して、ちゃちゃっと書き込めてアップロードも早い。デザインを適当に選んでおけば、自動的にブログにしてくれて、公開したければ簡単にできる。
どちらかというと、テキスト主体のわたしのような使い方は少数派で、画像や音声や動画をクリッピングしていくツールというのが強みかも知れない。

だんだんインターネットとのかかわり方も不精になっていくが、便利といえば便利ではある。

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2011/04/13

又兵衛桜に逢う

大宇陀の又兵衛桜を見に行く。
ちょうど満開で、しみじみこころにしみるような感動を味わう。涙ぐみたくなるようなけなげさ。有り難さ。

後藤又兵衛は、黒田如水の家臣、豊臣方で大坂の役を戦い討ち死にしたというのが、定説であるが、命を拾われてここ宇陀の山里に隠遁したという言い伝えもある。
その屋敷跡とされる石垣に、いまも樹齢三百年以上とされる枝垂桜が残る。
瀧のように落ちる瀧桜とも、また館の主の名をとって又兵衛桜とも呼ばれる。

多くの人が訪れて静かに飽かず眺めていた。
野暮な花見客などいなかった。

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2011/04/12

それでも春は

朝の畑仕事の帰り道、川沿いの公園の桜が遠くから見えた。
近くで幼稚園の入園式でもあったのだろうか、田んぼや畑に囲まれた公園にはスーツ姿のパパやママと一張羅(とは最近は言わないか)の園児が桜や菜の花畑をバックに写真を撮っていた。
こんな穏やかな日々は、日本中どこにでもあると思っていたが・・・
あれから一ヶ月がたった。あらためて黙祷を捧げる。

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