The Pillars of the Earth
ケン・フォレットの『The Pillars of the Earth』は、小さい活字のぎっしりつまったペーパー・バックでおよそ1千ページある。もっとも中身は、ローラーコースター型のオハナシだから、あんまり長さは苦にならない、するすると読めて、じつに面白い。
えー、ここまでやるか、もう、いいかげんに勘弁してやれよ、と思わず口にでるほど、善良な人々が苛まれる展開が延々と続く。主人公たちの小さな勝利は長続きせず、無政府状態の社会を絶好の機会にして悪と非道が栄える成り行きに読者の不満とフラストレーションは高まり続ける。もちろん最後は、1千ページのカタルシスといわんばかりにすべてが予定調和のなかに収まるのは、最初からわかっているので、こんな通俗的な勧善懲悪物語、長々読み通すのはただただご苦労様なことだ、といういやがらせみたいな言い方もできないことはない。
ただ、そう言ってしまってはみもふたもないので、じゃあ、つまんないのか、というと、最初に言ったように面白くて夢中になってしまうので困ってしまう。
まあ、ときにはこういう、白黒はっきりしたわかりやすい小説もまた必要ということで。
ケン・フォレットといえば『針の目』という出色のスパイスリラーを翻訳で読んで感心したけれど、この『大聖堂』が二十年ばかり前に新潮文庫ででたときはあんまり興味がもてずにパスしていた。ちょっと長いしね、さすがに。
今回、読んでみようと思ったのは、NHKのBSで、この作品のテレビドラマを放映するという宣伝を見たのがきっかけである。監督はリドリー・スコットで、8時間の長尺。番組の紹介をしていたのが、先日、亡くなった児玉清だった。放映されたのは3月、最後のほうは震災で放映予定が延びたように聞いている。
ドラマのメイキング映像が予告に使われていたが、リドリー・スコット監督はブタペスト郊外に、12世紀のイングランドの村をそっくり建設したらしい。ケン・フォレット本人も登場し、自分のイマジネーションのなかのキングズブリッジが現実のものとして再現されていることに感動したというようなことをしゃべっていた。
なんか、やたら面白そうだったのね。
ただし経験から言って、こういう長大な小説の映像化は、さきに本を読んでおいたほうがまず例外なしに楽しめる。
とまあ、そういうことで、いまさらではありますが、通勤の友に選んだというしだい。
でもねえ、小説で満足したから、再放送が8月にあるようなんだが、テレビ放送ではたぶんもう見ないんじゃないかな。(笑)
DVDになったら、気が向いたときに見るかもしれないけど。
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コメント
こんばんは。
2年くらい前に私も読みました♪
夢中になりすぎて、通勤電車で乗り過ごしてしまいました!朝!
それ以後英語の本を全然読んでいません。もう読めなくなっているかもしれません。。。
投稿: mimo | 2011/07/07 22:26
あ、やっぱり乗り過ごしましたか!わたしも、やっちゃいました。なにしろ、あっちの世界に完全にもっていかれてしまいますもんね。
投稿: かわうそ亭 | 2011/07/07 22:37
こんにちは超おひさしぶりです。
『大聖堂』わたしも今回のテレビ放送をきっかけに(なのにテレビは結局みていないのですが)読みました。もちろん日本語でですが。
職場でまわし読みしていて、1ヶ月くらいその話題でもりあがりましたよ。
魔女に関する語り口が(常套かもしれないけど)おもしろかったです。それと背景は中世なんだけど人の行動や心理が現代的で、というかちょっと古い1970年代的で、たのしかった。とくに選挙のシーンなんかにそれを感じました。
投稿: 登貴 | 2011/08/02 15:09
いや、ほんと、おひさしぶりです。お元気ですか。
今回のテレビ放送がきっかけという読者、案外
多いのかも知れませんね。
ジャックがトレドでアカデミックな大学町の空気の中でイスラームの最先端の学術を吸収し、自由で開明的なコスモポリタンになりながら、野蛮で未開で不寛容なイングランドに帰って行くあたりが、わたしはなかなかいいなと思いました。
投稿: かわうそ亭 | 2011/08/02 22:16