もと日銀総裁の福井俊彦氏が、日本経済新聞(8月17日)に登場していた。いまも進行中の「新しい日本へ――復興の道筋を聞く」というシリーズ記事である。福井氏の現在の肩書きはキャノングローバル戦略研究所理事長。
ちなみにこの研究所(CIGS)は、TPP推進と農業の集約化、大規模化を主張するイデオローグであるところの山下一仁氏も研究主幹として抱えており、これから零細農家になろうという予定のわたしにとってはちと一物含むものがあるのだが、まあそれはまたいずれあらためて。
さて、定期的にここをのぞいてくださっているみなさんはご存知のように、ちょっと前にわたしは「バイバイ原発」という文章を書いて、そのなかで次のように述べた。
しかし、わたしは思うのだが、べつに生活レベルを50年くらい、場合によっては100年くらいむかしの水準に戻して、それでも不幸のどん底に落ちることにはならないのじゃないかなあ。いや、むしろそのほうが幸せになれるような気さえする。
じつは、今回、日経新聞で「おや、おや」と思わず、口をついたのは、福井氏が以下のやりとりを記者としたかたちになっていたからなのだ。
――昔の生活に戻れという人もいる。
「違う。国際的な生存競争に勝たないと、失う一方になる。安全で快適に暮らそうと思ったら、ほかの国よりも貧しくてはダメで、自分たちだけ成長を止めるわけにはいかない。「昔」とはいつか。都合のいい時期まで時計の針を戻す器用な方法などない。」
インタビューのかたちをとった記事だから、かりにこの通りの談話であったとしても、じっさいの語気の鋭さまでは想像するほかないが、わたしの受ける印象では、けっこう気合の入った発言のように思える。
なにもそんなにむきにならなくても、ねえ、という感じなのだが、逆にいえば、いまの生活レベルを落とせばいいじゃん、といった単純素朴な意見は意外に多いのかもしれないなあ。
まずなんの留保もなしに無条件に同意できることは、「都合のいい時期まで時計の針を戻す器用な方法などない」という意見。はい、そのとおりだとわたしも思います。
「自分たちだけ成長を止めるわけにはいかない」というのは、まあそうだよね、と同感する部分。
だが、以下のふたつの見解にはまったく賛同できない。
ひとつ目は「国際的な生存競争に勝たないと、失う一方になる」という見解。
まずもって国際的な生存競争というキツい言葉が意味するものが、わたしにはよくわからない。この部分の主語はたぶん「日本」だろうが、日本はいまその生存をかけて競争しているという認識を福井氏は示しているのだろうか。(研究所の金づるのキャノンが生存をかけて競争しているというならそりゃよくわかるけどさ)
負けると生存できないというのは、主権を奪われるという意味で言ってるのかな。いまはアメリカの属国だが、下手するとそのうち中国の属国にされちゃうよ、という意見なのか。まあ、ここは記者がおおげさに見栄をきって書いちゃった言葉かも知れないけれど。
さらにわからないのは「失う一方になる」というパセティックな言葉だ。
歴史は、どれくらいの長さでそれを見るかによって多少ずれはあるけれども、敗者が失う一方であったということはないことを示していると、わたしは思いますがね。1945年に戦争に負けて、日本は途方もないものを失ったわけだが、その後の復興と経済成長のことを考えれば、決してそれが「失う一方」ではなかったと云えるのではないかしらん。
二つ目は、「安全で快適に暮らそうと思ったら、ほかの国よりも貧しくてはダメ」というところ。ダメって言われたって、ほかの国より貧しい(あるいはほかの国より豊か)かどうかは、どこの国と比べるかだけのオハナシで、そんなものではないことは明白。だから、ここはわかりやすく言えば、北朝鮮みたいになったらダメという意味だろうね、実際に言いたいことは。
しかし、北朝鮮がダメなのは貧しいからというより、貧しい国にしている別のものが絶望的にダメだからである。
安全で快適に暮らすための条件は、ほかの国より豊かであることだと、かつての中央銀行総裁はおっしゃるのであろうか。いやみに揚げ足をとれば、ほかの国のほうがビンボーだったらわが国は安全で快適である、ト?
核発電(もうわたしは個人的には「原子力発電」という表記は止めました)でじゃぶじゃぶ電気を使って経済をまわし、カネがうなるほどあっても、それがもし、いまの中国のような国になるということだったら、わたしはそんなのぜんぜんいいとは思わないけどな。
ただし、公平に言って、福井氏の考えは、なにがなんでもいまの核発電体制を維持せよというのではない。核発電を組み込んだ日本のエネルギー政策を、徐々に核抜き発電にソフトランディングさせていく現実路線以外はオハナシになりまへんでとおっしゃっているのである。(たぶん)
現実論として、これが国の政策としては、まあ妥当なものだろうとわたしも思う。
できうることであれば、新設の核発電所はもうあきらめて、現役の核発電を10年くらいで順次、廃止、解体するのがよいと思うが、この点に関しては、率直に言ってわたしは悲観的である。たぶん、国のエネルギー政策という言葉は、国の安全保障という言葉と同じように使われて、エリートのみなさんのお手盛りで、核発電の割合を四分の一程度にするとかなんとかいうあたりに落ち着くのだろうと思う。
そして、そのときにきっと、福井氏のような支配層のみなさんは、「国際的な生存競争に勝たないと、失う一方になる。安全で快適に暮らそうと思ったら、ほかの国よりも貧しくてはダメ」とわたしたちにむかって説教なさるでありましょう。
くそをくらえ、であります。
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