源氏は寝て読め
源氏物語を現代語訳で読むのは、なんだかなさけないよなあ。べつに外国語で書いてあるわけじゃないんだし、やっぱり、どうせ読むなら原文読むほうがカッコいいよな、と思っておられる方もおられるかもしれない。
たしかにカッコはいいかもしれないが、たとえば岩波文庫で原文読みはじめても、たぶん途中でお手上げになりますね。
以下は、源氏は現代語訳でお読みなさいという趣旨の文脈ではないけれど(大学入試の国語関係の出題がよろしくないことを憂えた1975年の丸谷才一の「国語入試問題のこと」という文章)、源氏物語はかなり専門的な訓練を受けていないと読めない代物でありますよ、という意見である。
いはゆる古典のほうにも文学史的出題はちらほら見かけるが、この方面で目立つのは、解釈問題に『源氏物語』から取つたものがおびただしいことである。無理な話だ。あんなむづかしい文章が高校三年生に読めるものか。
このことに関しては、わたしの意見では弱いかもしれないから、専門家の説を引く。国語学者、大野晋は、いつぞやわたしとの対談の折に(「すばる」十六号)、大学の国文科の演習で『源氏』を取り上げたら、学生がついて来られなくて、まづ九分通りは失敗すると語つた。当然である。第一に、書いてあるのが男女の仲の最も微妙ないきさつである。恋の山路に迷ふ体験の乏しい年少者に見当すらつくはずがない。第二に文体が洗練を極めてゐて、いちいち露骨な言ひまはしを避け、ほのめかしの連続で行つてゐる。大学院生にだつて読めるかどうか。そして、大学生に歯が立たないものを大学の入学試験に使ふのは、滅茶苦茶もいいところであらう。
ええと、わたしのしょうもない意見もつけくわえますると、原文だけで、それもひとりで源氏読むのは、まあ、ふつうのおっさんには無理でありますので、どなたかの現代語訳にくわえて、大和和紀のコミック「あさきゆめみし」全7巻をまず昼寝の友にされるのがよろしいかと。
源氏は寝て読め、なんですよ。
え、そんなのプライドが許さん、って?困った人だなあ。
大和和紀、いいですよ。
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