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2011/10/01

「わたし」という密航者(上)

意識という言葉はたいへんむつかしい言葉で、「あれはぜったい意識的にやっているよ」とか「ちと意識過剰じゃないの」といった感じで、ふだんの日常会話でもよくつかわれるが、たとえば哲学用語としての意識には、それぞれ哲学者によって精緻な定義があるだろうし、心理学用語としても医学用語としてもそれぞれの定義があると思う。
まあ学問的なことはさっぱりわからないので、ここでは、ごくあたりまえにどなたにも「わたし」というものがある、その「わたし」のことをとりあえず意識ということにしておく。

さて自分の死のことを考えると誰しも足元が崩れて無限の深淵が広がっているような不安を覚えるわけだが、これはほかならぬ「わたし」が消滅したあとも宇宙は永遠に続くと考えるからだと思う。だから死ぬのは身体だけであって、「わたし」というのは消滅しない、「わたし」は姿を変えかたちを変えてやはり宇宙と同じように永遠に存在を続けるのだと、心底納得できれば、死の恐怖はかなり減るだろう。信仰というのはつきつめて言えばそういうことではないか。

ところで、これまたよく考えてみると不思議なことだが、かくもかけがえなく貴重なものと思い、その消滅を打ち震える思いで恐れる「わたし」というものは意外とたよりないものである。なぜなら、わたしたちは毎晩、眠りとともに「わたし」を見失っているからである。
朝、起きた後で考えると、いまここにある「わたし」は眠りの間にはなかった、としか思えない。だとすれば、「わたし」――意識は人間の生存にとって本質的なものではないのではないのか?なぜなら、意識があろうとなかろうと眠りの間も生命の維持には何の問題もなかったのだから。

いや、それは違うだろうと、すぐに言う人がいると思う。
それは意識のレベルの問題で、覚醒した意識に比べるとたしかに睡眠中は低くなっているけれども、なにか刺激があればすぐに、意識のレベルは高くなる。睡眠中であれ別に「わたし」は消滅しているわけではないのだと。

おそらくはどちらも正しいのだろう。
むしろ問題の立て方は、人間の生命維持にとって、「わたし」がクリアにあると自覚できる状態が自然なのか、「わたし」の存在がぼんやりしたり、もはやあると自覚できないないような状態が自然なのか、ということなのかも知れない。
そしてもし問題がそのようなものであれば、おそらく答えは後者のほうであろうとわたしは思うのだが、どうだろうか。
なぜなら動物は、人間の「わたし」のような形の意識があるようにも見えないが、自然界のなかできちんと生存を続けているのだから。

この話、もう少し続ける。

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