The Windup Girl
『The Windup Girl』を読む。
たまたまTPPをめぐる日本国内の政争がたけなわだったことや(なんでいきなりTPPがここに出てくるかは読んだ人にはわかる)、タイ王国の洪水という物語の光景が現実と重なったりと、不思議なめぐりあわせを覚えながらページを繰ることになったが、なかなか面白かった。
たしかに『ニューロマンサー』がそうであったと同じような意味合いで、このジャンルのメルクマールになる作品だとわたしも思う。ひさしぶりに面白いSF小説を読んだなという充実感があった。そういえば、作品のなかにもギブソンへの明らかなオマージュもあるな。
ただ、ここに描かれている未来と、わたしたちがいままさに生きている現代との間に(おそらくは百年とか二百年とかの時間だろうが)具体的にどんな歴史が刻まれたのか、いったいなにがあったためにこんなひどい世界になってしまったのかということについては、読者のみなさんもすでにご存知ですよね、という前提でオハナシがどんどん進んでいく仕組みのために、最初はなにがどうなっているのかわからずかなりフラストレーションがたまる。
まあ、そこを読者が楽しみながら妄想できるかどうかが、本書の評価になるのだろうと思う。インターネットで感想を拾うと、わかりにくくて途中でやめちゃったという声もけっこうあるようだ。
もったいないなあ、センス・オブ・ワンダーは自発的なものだよ、と思わないでもないが、このことは逆に本書が大人の鑑賞にたえるものであることのひとつの証でもあるだろう。
とは言うものの、どうやら、この「空白」は先行する著者の短編でかなり埋められるものらしいので、じつはわたしはさっさと注文して読むことに。 ("Pump Six: And Other Stories" Bacigalupi, Paolo)
ネットの中でわたしが共感したのは、こちらの書評で、わたしも核エネルギーについてまったく同じことを考えた。【書評サイト「三軒茶屋」別館(アイヨシさん)】
どんなオハナシかは、この方の書評ほどうまくは紹介できないので、上記のリンクをそのまま参照してもらえば十分。
なので、ここでは、わたしがここ数日、本書を読みながら妄想していたことを多少書いて終わりにする。
以前に「自然が一番はウソなのか」というエントリーのなかで、ラウンドアップ大豆のことをすこし書いた。【ここ】
わたし自身は、こと農業ということに関しては「自然が一番」という消費者の思い込みにはうんざりしている。わたしたちが毎日のように食べているコメもトマトもキャベツも、もともとの自然植物からはかけはなれた人工的なものだということをまず認める必要があると思うからだ。農業という営みはあくまで自然を人間にとって都合のいいように改変する技術である。農作物の品種改良だって広い意味ではバイオテクノロジーの一種だろう。そのことを確認した上で、しかし、やはりここから先へは進まないほうが賢明だろうなあ、という領域があることも事実で、具体的には各国の企業がいまがんがん進めている遺伝子操作技術で生まれる自然には絶対にありえない作物の開発である。
遺伝子操作によって新しく生み出された作物は、病害虫にも強く栽培もラクで生産性も上がるから価格も安くなり、ひいては世界の飢餓にも貢献できるということになる。今後の人類の人口増と食糧の安全保障を考えるとこれは重要な技術だよね、わたしゃべつに気にしないよという方も多いかもしれない。しかしではこう聞いたらあなたならどうお答えになるだろうか。
ええと、このイチゴにはハエの、この大豆にはクモの遺伝子構造を組み込んでいるんですけど、べつにいいですよね。あくまで遺伝子構造をすこし組み入れただけの工学的な処置で別にハエやクモの味になるわけではないんですから。
みなさんはどうか知らないが、わたしは「うげっ」となりますね。いや絶対にかんべんしてほしい。
だから、遺伝子組み換え作物を売りたい人たちは従来型の作物と自分たちの商品である遺伝子組み換え作物を区別しないでもらいたいはずである。一応「科学」的な安全性が「確認」されたら、栄養的には同じなんだから、表示を義務付けるなんてそれは区別じゃなくて差別だよね、そんなことをする「不公正」な国があったら、国際ルール違反で、莫大な損額賠償を請求するけんねという「正義」を主張なさるであろう。
日本の経団連も当然そうだそうだと大合唱をなさるにちがいない。なにしろアメリカさまがおっしゃるグローバル・スタンダードと通商の自由は絶対であります。これに疑いをはさむ人間は知性のかけらもない無知蒙昧の輩である、とこういうことになるのであります。まあ、経団連や政治家やお役人様たちは金にあかせて従来型の食品を口になさり、愚かでビンボーな国民だけが、食べ物が安うなって、コメもただ同然やし、ほんまええ国やなあ、かあちゃんというだけのことであろう。
さて、ここからが妄想ですが、もし、世界中のいまの穀物や野菜や果実が疫病によって猛毒をもつようになり、豚や牛や鶏がウィルス感染でこれまた人間には食べることができなくなったとしたら、と考えてみよう。そんなことは起こりえない。自然の浄化力はそんなもんじゃないよ、という穏健な意見もあるだろうが、ここはイフである。もしかしたら、人間がつくった、農薬耐性のあるラウンドアップ・レディのような改良農作物が進化のなにかの引き金を引いてしまったのだと、まあ、とりあえず考えてみる。
そして、いくつかの国の先端的な技術をもった企業が遺伝子操作技術によって、そんな世界の疫病と死の行進の中でも、かろうじて食べても毒のないコメや小麦や大豆を作れるのだとしてみよう。
おそろしいことである。
地球上の70億人の人間が、ある日、周りの農作物が毒に変わり、海洋で飲み水を求めながら喉の渇きで死んでいくように飢餓のふちに立たされる。
軍が農作物や家畜の疫病の蔓延を防止するために、異常のあった農場を急襲し、田んぼを畑を家畜を焼き払う。そしてごく数社の先端技術を行使できる多国籍企業がいまの産油国なみの富を築く。多くの国が暴動と戦争とジェノサイドによって消滅する。
豊穣な生物多様性をほこる国は、国境を封鎖し、外国の汚染された農作物を検疫によって排除し、自国民だけをかろうじて養おうとするが、もちろんそんなふうに自給できる国は限られる。日本は——日本は、さてどうなるのでしょうねえ・・・
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コメント
ねじまき少女、評をありがとうございました。
ほんとうにタイムリーに読んだと、私も思います。
非文化的街に住んでいますので、本屋さんと言っても、そんなに期待できない。にもかかわらず、この小説も、また次の小説も、偶然自ら手ににしました。東京に行かなくても少し遅れても、ま、本との出会いはあるんですね。次のは、日本の作家です。かわうそ亭さんなら、やはりすでにご存じかも。ねじまきと同様、近未来(?)小説で、小心な私は最初から恐怖感に捕われましたが、読んでいると、どんどん引きこまれました。言葉と意識の記述があって、思わず、あ~と。
伊藤計劃「虐殺器官」ハヤカワ文庫 2010年2月に発行され、今年5月20日で35刷です。この作家は、1974年生まれですが、すでに2009年亡くなっています。物語の主人公はアメリカ人、人名・地名はカタカナ表記ですが、英語の翻訳はないかも!(笑)
思い出したら、読んでみてください。
投稿: Wako | 2011/11/15 18:29
いや、いつも面白い本を教えていただき感謝です。伊藤計劃「虐殺器官」というのは、まったくわたし知りませんでした。こんど読んでみますね。
投稿: かわうそ亭 | 2011/11/15 21:09