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2011年12月

2011/12/24

松本幸四郎の俳句、松たか子の俳句

幾千の木漏日いだき山眠る  錦升

日経新聞の連載「私の履歴書」、今月は松本幸四郎が書いているのだが、今日の分はとくに面白かった。
1942年生まれの高麗屋が俳句を始めたのは二十代後半からということなので、句歴はざっと四十年以上になる計算だ。俳号は錦升。
最初の手ほどきは母親からお受けになったという。(このお母様が諸事にわたってすぐれたかたであったことが連載の冒頭に熱心に語られていたことも印象深い)母親の師匠は、その父(つまり幸四郎の祖父)である中村吉右衛門である。吉右衛門の俳句は、このブログでも以前、取り上げたことがある。(こちら

新聞をお読みになっていない方もおられると思うので、以下は今回の文章の引用――

祖父の句に「雪の日や雪のせりふを口ずさむ」というのがあった。中学生のころは、功成り名を遂げた名優がコタツにあたりながら詠んだ風流な句というような感じしかもっていなかったが、父の死をみとって大阪の襲名披露公演に戻る機中、ふいにその句が口をついて出た。実は自分が今出ている舞台で、雪のセリフをしゃべっていることに気がついたのである。祖父のその句は雪が降っても、親が死んでも、舞台でセリフをしゃべっている役者の宿命を詠んだものだったのだ。

役者というのは、毎日の肉体労働で心身へとへとになっているものだから、こういう短い十七文字くらいしか最後にはしゃべれない、つまりは役者松本幸四郎の労働句なんだよ、と韜晦しながらも、セリフはしゃべっていない時のほうが難しい、俳句はその一瞬の間を教えてくれる、という言葉にはさすがに説得力があるね。

ちなみに松たか子も俳句を詠むのだそうな。

打ち出して銀座は薫る月の道

オフィーリアを勤め終えての帰路に詠んだ句だという。いいですね、これ。

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2011/12/10

コールラビ

名前が面白くて一度聞いたら忘れられない。
人生にくたびれたウッディ・アレンが女友達に「ラビに電話しなさい」なんて言われている場面を勝手に想像してしまうが、もちろんぜんぜん関係ない。(笑)
もともとはドイツ語「Kohlrabi」。
「Kohl」はキャベツ、「rabi」はカブを意味しているらしい。英語のサイトでは別名を「turnip rooted cabbage」ともいうと書いてありますね。和名もいちおうあって「カブカンラン(蕪甘藍)」。まんまでありますな。
そういえば前のドイツ連邦共和国首相のヘルムート・コールさんが、たしかこの「Kohl」だったっけ。キャベツ首相。なかなかかわいいね。

畑で大きくすると、その姿がユーモラスで、わたしはなぜかこれを見るとウーパールーパーを連想する。収穫はだいたい野球のボール大が目安のようなので、先日、採ってかみさんに料理してもらった。皮を剥いてさっとソテーしたものと、賽の目に切ったものをスープの具にして試してみたが、ほんのり甘みがあってなかなかおいしい。まあ、お味のほうも、いかにも「カブカンラン」という、そのまんまの感じであります。

20111210

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2011/12/08

当尾の里の冬

最初、僕たちはその何んの構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの緋桃の木のうえに、突然なんだかはっとするようなもの、——ふいとそのあたりを翔け去ったこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなものが、自分の目にはいって、おやと思って、そこに足を止めた。それが浄瑠璃寺の塔の錆ついた九輪だったのである。

堀辰雄『大和路』

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昨日はいいお天気だったので、京都府加茂町は当尾(とうのお)まで紅葉を見に出かけました。クルマを走らせれば半時間くらいのところであります。
ここには浄瑠璃寺というけっこうなお寺がありまして、冒頭に引用した堀辰雄が訪れたのは春ですが、秋から初冬にかけても紅葉が池に映えてなかなか素敵です。ちょっと不便なところにあるので、それほど人も来ませんし、なにより拝観料をとっていないのが好感がもてます。でも、お庭の手入れもあるし、本堂や三重塔は国宝ですから維持管理も大変なのではないかとそれはそれで余計なことを考えたり。(笑)

ちょっと前のNHKの紀行番組で、夜、この本堂の阿弥陀如来様のライトアップされたお顔が鏡のような池に映っているシーンをやってました。池を挟んで本堂を眺めても深い庇でお顔は拝せませんが、池に目を転じるとありがたい極楽浄土の仏様が映っているという仕掛けなんですね。むかしから建築というのは舞台演出でもあった。

浄瑠璃寺のお参りをすませると、今度は山道を、はあはあ、言いながら登って岩船寺というお寺に参ります。
このあたりはそのむかし平安から鎌倉にかけて浄土信仰の一大修行地でしたから、山道のここかしこに石仏が点在しています。当尾は、鎌倉時代の文献には「塔尾」として出てくるそうですね。浄土信仰の伽藍や塔の多い尾根といった意味だったと思われます。
ところどころに無人の野菜や漬け物の直売所があって、鰹節の缶の蓋にピッグバンク風の切れ目があって百円玉を入れるようになっております。ダイコンのゆず漬けを買って帰りましたがたいへんおいしゅうございました。

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