« 北村薫の「円紫さんと私」シリーズ | トップページ | コールラビ »

2011/12/08

当尾の里の冬

最初、僕たちはその何んの構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの緋桃の木のうえに、突然なんだかはっとするようなもの、——ふいとそのあたりを翔け去ったこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなものが、自分の目にはいって、おやと思って、そこに足を止めた。それが浄瑠璃寺の塔の錆ついた九輪だったのである。

堀辰雄『大和路』

6470409183_b3ac910bc8_b

昨日はいいお天気だったので、京都府加茂町は当尾(とうのお)まで紅葉を見に出かけました。クルマを走らせれば半時間くらいのところであります。
ここには浄瑠璃寺というけっこうなお寺がありまして、冒頭に引用した堀辰雄が訪れたのは春ですが、秋から初冬にかけても紅葉が池に映えてなかなか素敵です。ちょっと不便なところにあるので、それほど人も来ませんし、なにより拝観料をとっていないのが好感がもてます。でも、お庭の手入れもあるし、本堂や三重塔は国宝ですから維持管理も大変なのではないかとそれはそれで余計なことを考えたり。(笑)

ちょっと前のNHKの紀行番組で、夜、この本堂の阿弥陀如来様のライトアップされたお顔が鏡のような池に映っているシーンをやってました。池を挟んで本堂を眺めても深い庇でお顔は拝せませんが、池に目を転じるとありがたい極楽浄土の仏様が映っているという仕掛けなんですね。むかしから建築というのは舞台演出でもあった。

浄瑠璃寺のお参りをすませると、今度は山道を、はあはあ、言いながら登って岩船寺というお寺に参ります。
このあたりはそのむかし平安から鎌倉にかけて浄土信仰の一大修行地でしたから、山道のここかしこに石仏が点在しています。当尾は、鎌倉時代の文献には「塔尾」として出てくるそうですね。浄土信仰の伽藍や塔の多い尾根といった意味だったと思われます。
ところどころに無人の野菜や漬け物の直売所があって、鰹節の缶の蓋にピッグバンク風の切れ目があって百円玉を入れるようになっております。ダイコンのゆず漬けを買って帰りましたがたいへんおいしゅうございました。

|

« 北村薫の「円紫さんと私」シリーズ | トップページ | コールラビ »

j)その他」カテゴリの記事

コメント

当尾に住んでいるものです。
なにがなしに過ぎる在所の日々もこのように美しい紀行日記で読むと別世界みたいに思えます。
楽しい記事の多いブログと気づき、時々読みに来たいと思いました。
雪の日の浄瑠璃寺、岩船寺もいいものです。またお出かけください。

投稿: Yoh | 2011/12/25 15:11

Yoh さま
こんにちわ。コメントありがとうございました。わたしにとって漢詩はこれから勉強したいことのひとつです。どうぞよろしくお願い致します。

投稿: かわうそ亭 | 2011/12/25 18:36

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 当尾の里の冬:

« 北村薫の「円紫さんと私」シリーズ | トップページ | コールラビ »