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2012/01/06

最後の城の跡地

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あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、福岡県豊前市の千束というところに千束八幡神社というのがありまして、わたしにも縁のある土地なので、お参りをして参りました。南無八幡大菩薩というくらいで、神仏習合で日本全国に広がった、「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日」、といった体のまあ言ってみればどこにでもあるようなありふれた八幡社なのでありますが、秋の奉納の薪能舞台もあるなかなかちゃんとした聖域であります。また、じつはここはちと面白い場所でもある。
明治維新のとき長州藩が小倉小笠原藩と戦をしますが、これで城を焼かれた小笠原が日本で最後の城を築いた場所なんでありますね。築城は明治三年、翌年には新政府の廃城令で取り壊された短命の城でもある。
以下、神域内の説明板から——

旭城跡(千束城)

千束八幡神社の敷地とその周辺が城跡です。江戸時代には現在の豊前市と新吉富村の一部は新田藩と呼ばれる小倉藩小笠原氏の支藩でありました。
藩主の居城は、領内になく小倉城下の篠崎にありましたので、篠崎藩とも呼ばれていました。

慶応二年(一八六六)小倉藩と長州藩との戦いで、小倉城、篠崎邸ともに焼け落ちたため、当主の小笠原貞正は、小倉藩主小笠原富千代丸とともに田川郡香春に逃れました。

その後貞正は領内の当郡に来て安雲(新吉富村)の光林寺に入り、明治二年(一八六九)、塔田原と呼ばれていたこの地に居館を構えることにしました。ここにはかつて多くの古墳があり、その古墳の石を使って石垣を築き、明治三年(一八七〇)に完成して、旭城と名付けられました。

しかし時代は明治の新政府によって激動の時を迎え、明治四年(一八七一)の廃藩置県さらに廃城令が出される中、築城間もない旭城はその使命を終えます。短命であったこと、そして全国で最後に築かれた城と言う意味で、歴史にその名を残した城でもあります。
現在も城跡である千束八幡神社の周辺には多くの石垣が残されており、当時の名残をとどめています。

豊前市教育委員会

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