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2012年2月

2012/02/14

恐竜の尻尾

警察っていうのは、豆粒大の脳みそをもった恐竜みたいなもんだ、身動きできないし、足もとさえ気をつけてりゃいともたやすくだしぬける。

ジョナサン・ケラーマン『少女ホリーの埋もれた怒り』

子どもの頃になじんだ理科の知識が、いつの間にか時代遅れとなっているということがある。大げさに言えば、パラダイムシフトってことになるのだろうが、何万年、何億年前のことは、もうはるか時の彼方の変えようのない事実なのに、それがなんであったのかということが、現代のたかだか数十年でころころ変ってしまうのはなんだか可笑しい。

たとえば、わたしが子どもの頃に眺めていた百科事典で、大好きだったのがジュラ紀や白亜紀の想像図である。巨大な羊歯類、いろんな草食恐竜、それを襲う肉食恐竜、遠くに火山の噴火なんてのがお決まりのカラー図版だが、むかしは恐竜は、その巨大な尻尾を、ずりっ、ずりっと、地面に引きずるような感じで描かれていましたね。
ひどいのは大型の肉食恐竜で、垂直に突っ立って、異様に小さな前肢をちょっこと突き出し、後ろに倒れないように長い尻尾を地面にのばして躯を支えていた。緑色の稲妻形の模様なんかを躯につけていたりして。子供心に、こいつら、かっこ悪いよなあと思っていましたな。
百科事典の解説に、恐竜は身体があまりに巨大であるために神経の伝達に時間がかかり、尻尾の先に岩が落ちてきても、脳にその信号が伝わるまで数十秒の時間がかかるのです、なんて書かれていたりした。ほとんど間抜け呼ばわり。(笑)

ところが、やがて、恐竜は鳥と同じように俊敏に動く生き物だったというコンセプトになり、ジュラシックパークの映像で、ああ、どうやらこっちのほうが本当みたいだなとみんなが思ったのじゃなかろうか。わたしは、あれにすごく納得して、子どものころの、かっこ悪いなあという不満を取り払うことが出来た。

リチャード・フォーティ『生命40億年全史』(草思社)によれば、大英自然史博物館のメイン展示ホールにある復元模型は、1990年代まで、その復元イメージは旧来タイプだったとあります。

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背骨の長さ25メートルという巨大なディプロドクスの復元ですが、その尾っぽは元気のなく後方に垂れ下がり、一番端っこのほうがダリの画のように小さな支柱でささえられていたらしい。目の前にこの尻尾の先があるので、この先端部分の骨——といってももちろん石膏のレプリカ——は頻繁に盗まれてしまった。そのため、展示ホールの裏の小部屋にはその骨の複製をたくさん入れた専用の箱があって、盗られても翌朝の開館までにすぐ修復していたのだそうですから笑ってしまうね。

しかし、恐竜の尻尾の機能を力学的に解析すると、あれは長い首とバランスをとるためのもので、東京ゲートブリッジではないが、尾はもっと高く掲げられ、鞭のように元気よく打ち振られていたという新しい解釈が主流になりました。
てなことで、ようやく、大英博物館もその復元模型の再構成をすることになり、尾っぽの先端部分が人の手の届かない高い場所につり下げられることに。こうして、このジュラ紀の巨大恐竜は悩まされていた盗難被害とおさらばできたのだそうです。めでたし、めでたし。

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2012/02/10

オリエント急行の殺人

Screencapture

デビッド・スーシェによる名探偵ポアロの新シリーズがBSプレミアムで4夜連続で放映されている。イギリスのTVドラマは丁寧な作り込みで大好きである。最近ではBBCの「SHERLOCK シャーロック」の3つのエピソードがよかったなあ。録画して三回も見てしまった。あのスタイリッシュな映像、はやく第2シリーズを放映してほしい。

さてポアロである。昨夜は「オリエント急行の殺人」。
まあ、いまさらオリエント急行でもないか、映像化ならバーグマンが助演賞を穫ったむかしの映画で十分だ。パスしようと思ってたのだが、家族につきあって見てみたら(見はじめたほうは例によって途中ぐうぐう寝てましたが)これが意外や意外、じつに面白かった。

いかにミステリの古典中の古典といえども、はじめて読む(または見る)という世代は次々にでてくるわけだから、そのトリックをべらべらしゃべるのはエチケットに反する。——というわけで、これはアレですよ、としかここでは書かないが、ポアロの灰色の脳細胞が導き出した真相はもちろんアレである。その点ではエンディングを知っている人にはなんの目新しさも意外性もないのだけれど、それでもわたしはこれをたいへんよくできた原作の新解釈として評価するなあ。

とくにこれは映像化であるからして、ほかにもあるとはいえ、わたしのようなふつうのミステリファンや映画ファンが比べるとすれば、上に述べたシドニー・ルメット監督の遺作、1974年の映画であろう。あれもたいへんよくできた映画だったけれど、ラストがとくにそうであったように印象は明るい。
今回のオリエント急行は、あれと違う、かなり苦い味わいに仕上げている。たぶん、クリスティの原作は前者に近いと思うが、いまさらオリエント急行なんて、というわたしのような先入観が多くの視聴者にあるのは間違いないだろうから、そういう一種のハンデを背負った役者や製作スタッフがああでもないこうでもないと、徹底的に討議した(かどうかは知らないが)結果、こういう解釈で戦おう(?)ということになったのではないかしらん。

その解釈がどういうものであるか、ということもまあネタバレになるからここでは書かないが、真相のアレはさほど重要じゃないというのがまあ新しいのね。でもって、わたしが面白いなあと思ったのは、現代のわたしたちの感覚からすると、そんなんあたりまえじゃんという「裁き」のありかたに対して、ポアロが見せる苦悩でありますね。考えてみると、現代のわたしたちにはこういう苦悩がすっぽり抜け落ちている。ラストシーンに出てくるポアロの数珠のクルスが象徴するものをもういちど考えてみるのもいいかもしれない。
まあ、ミステリはもっとお気楽な人殺しのほうがいいなあ、とも思いますが、そういう方向ではこの作品の映像化は二番煎じになりますから、これはこれで大正解ではないかと思います。

オンデマンドでも見ることが出来るようですので、クリスティの愛読者には、ひと味違う映像化としてお勧めの一編ではないかと。

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