奇跡の農法なんてないんじゃね?(4)
ところで、自然農法の本には、虫が食うのは窒素肥料をやりすぎるからだなんて書かれていますね。まあ、一理ありますけれども、わたしだって硝酸態窒素の残留ということにはかなり危機感をもっているので、なんぼベテラン(つまりうちの年寄り)から「もっと○○(化成肥料とか硫安とか)をドカッとやらんにゃあ、大きくならんいーね、色がつかんいーね、実がならんいーね」と言われても、ヘイヘイと笑って、まったく取り合わないのであります。だって自分が食べるんだもの、市場に持って行くならともかく——って身も蓋もない言い方。(笑)
ということで、たとえば前回見ていただいたブロッコリーなどは、施肥量はむしろ少ないのだ。それでも、青虫は食うのである。連中にもそりゃあ好みはあるのだろうが、窒素が効いていようが効いていなかろうが、目の前に主食の葉っぱがそれしかなければ生き残るために必死で食うのであります。あたりまえじゃん。農薬使わないなら手で取るしかないのよ。(笑)
だから、農薬を使わず肥料もやらず雑草もとらずで、ご近所に阿呆扱いされ、指弾され、収入もなく財産も食いつぶしてもう首を縊るしかない人の農園に、最後の最後の年に神の恩寵のごとく実りがもたらされる。それから先はもう、土づくりだけで、病気も害虫も寄り付かない、味も香りも信じられないほどよくて、数週間たっても汚く腐敗したりしない奇跡のなんたら!なんてのはまあそれはそれでうつくしい話だとは思うし、それがウソっぱちだとも思わないけれど、はたして再現性があるかどうか、普遍化できるものなのかどうか、このあたりはかなり留保しなきゃならない。それに、例の人については話がだんだんオカルトになるきらいもあるから(ある夜、空飛ぶ円盤に拉致されて、後日そのとき出会った外人に再会してたんだぜぇなんて言われても、「はあ」としか言えんよ、わたしゃ)そういうのは少なくともわたしむきではない。
原理主義的な自然農法は、そんなうまくいったら苦労はないよ、というくらいのスタンスであります。
けっきょく、我が田に水を引くようなつまらん意見だなあ、と思われるだろうが、わたしは田舎の小さな農家が自家消費用につくっている野菜がベストではないにしても、普段食べる野菜としてはかなりいい選択だと思う。(コメはいまちょっと置いておきます)
日本の農業ということについては、零細で兼業で高齢の農家を大規模化、集約化、企業化して国際競争力をつければ恐くない、なんていかにも論客っぽい人は主張するわけだけれども、わたしはそれにはあんまりこころひかれないのね。(このあたりのことはTPPについての話でも書いた通り。TPPについて語る時にやつらの語ること)
ひじょうにざっくりした話だが、もしかしたら一般のご家庭が、専属専任の小規模農家を、たとえばかかりつけのホームドクターを選ぶようにお持ちになるのが、国の農業のあり方として成り立つのではないかという考えをいまわたしはもっています。このあたりは、もうすこし詰めないと安易に言挙げできないことではありますが。
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