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2012年8月

2012/08/17

しづかな眸とよい耳

梨木香歩の『f植物園の巣穴』(朝日文庫)を読む。『家守綺譚』や『村田エフェンディ滞土録』と同系列のオハナシ。個人的には終わり方がアレでなくてもいいのになあ、と思ったが、まあ、そこは好きずき。
この人は草木や樹木について書かせるとほんとうにうまい。今回はなにしろ植物園の園丁が主人公だからなおさらだ。
しかし、今回、書こうと思ったのは、じつはこの小説についてではないんだなあ。

角川「短歌」8月号の特集「河野裕子のボキャブラリー」に梨木香歩が「発見する力」という文章を寄稿しているのだが、これがとてもいいのだ。

捨てばちになりてしまへず 眸のしづかな耳のよい木がわが庭にあり
『歩く』河野裕子

河野裕子が詠んだ歌のなかでも、そらで口に出すことのできる数少ない一首だが、はじめて読んだときから気になって仕方がない歌だった。意味がよくわからないのに、なぜかひかれるということがある。今回、短歌の専門誌で、歌人ではない梨木さんがこの歌を取り上げていることに不思議な驚きと感動があった。少々長いが、冒頭から前半分位を引用する。

一読の印象で、「わが庭」ということばを、家の庭、家庭とまっすぐにとらえ、ああ、そういう「木」がすうっと一本、確かに真ん中に立っている、と心のどこか、合理性の枷の届かぬところで深く納得した。その「木」のもつ「眸」は、ふと気づけば離れたところで黙ってこちらを観ているわが子の目の中に在ったり、その「耳」は、一人遊びをしながらも何が起っているのか感受しようと全身をそばだたせているようなわが子そのものに在ったりする。そして誰もいない午後、畳の上に、そんな「木」の長い影が浮かぶ。
梢は荘厳な光をもとめて天上世界へ届き、根は地獄の畜生道にまで達してなお暗闇を探るような、そういう「木」。家庭とは、そういう木をはぐくむ神聖な場所でもある。その「木」の視線を感じているから、生活には「捨てばちになり」えない。あだやおろそかに手を抜いて、投げやりに処せない。研ぎ澄まし、澄んだ心で対峙する。
なんだかこんなことが、初読のとき一瞬にして伝わってきた。そしてその印象は、それから幾度読み返しても変わることはなかった。

ああ、そういうことなんだよな、と長い間の問いに答えがみつかった喜び、いや、こうしてこころの片隅にこの歌を持ち続けた自分をねぎらうようなおかしな気分。
あえてつけくわえれば、この歌をわかりにくくしているのは「捨てばちになりてしまへず」という措辞だと思う。捨てばちにならず、と言うのではない。捨てばちになったってもう仕方ないじゃないかという、悲しみや苦しみや絶望のなかで、いったんは捨てばちになろうとしたんだよ、でもなってしまうことはできなかったよ。だって家族が自分にはいたのだから、ということなんだと思う。
重いけれど、深い共感をさそう一首だと思う。
それを解きほぐした梨木香歩の鑑賞は見事。

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2012/08/13

『うたの動物記』小池光

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小池光の『うたの動物記』(日本経済新聞出版社)は装丁もきれいで楽しい本だ。もともとは日経の日曜版に2年あまり連載されたもの。見開き2ページで一回分なので、どこから読んでもいいし、どこで中断してもきりがいい。
目次を最初の方から拾うと、馬、秋刀魚、キリン、コオロギ、とんぼ、カバ、鹿、鳩、駱駝・・・とつづいて、105回分。ただし馬がなぜか二回取り上げられているので登場する生き物は全部で104種。もっともなかには河童という種族もいるけれど。(笑)

「あとがき」で、小池さんはたとえば茂吉の『赤光』が、多種多様な動物にあふれていることを指摘しているが、わたしのたよりない記憶では、ご自身の歌がまさにそうではなかったか。

交接の馬曇天に果てるまでさむざむと見て引き返しきぬ

きみはむかしゆかいな兵士 一匹の老犬眠る合歓の木の下

膃肭獣のももいろの仔の犇めける渚踏まむかわれは素足に

象の眼を仰ぎて見ればほのかなるくれなゐやどす桜ちる日に

これらの小池さんの歌がそうかどうかは定かではないが、多くの場合、詩歌に出てくる動物はじつは詩人その人である。それが端的にわかる例は、たとえば、本書にも出てくるカナリア…

唄を忘れた金糸雀は 後の山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は 背戸の小藪に埋けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

生活のために詩を断念するべきか否か、西条八十の私生活上の煩悶がこの童謡のモチーフなんだそうな。しかし詩では食えない男がたかだか商売人になるか、勤め人になるかという当たり前のことを、山に棄てられるとか、薮に生き埋めにされるとか、ふつうのサラリーマンに対して失礼じゃないかなあ。(笑)

本書のなかで、ことに好きな動物が出てくる詩歌は雲雀。いや正確には雲雀料理。

ささげまつるゆふべの愛餐、
燭に魚蠟のうれひを薫じ、
いとしがりみどりの窓を開きなむ。
あはれあれみ空をみれば、
さつきはるばると流るるものを、
手にわれ雲雀の皿をささげ、
いとしがり君がひだりにすすみなむ。

雲雀料理
『月に吠える』
萩原朔太郎

この朔太郎の詩へのオマージュとしてつくられた現代短歌を二首、小池さんはあげている。

前橋の「雲雀料理」を売る店をあまたたびわれ夢におとなふ

皿の上に零ぼれるあわき血しずくの  雲雀料理やわれの愛餐

前の方が岡井隆、あとのほうが福島泰樹。わたしもひとつこのささやかな歌の花束に付け加えてみよう。

雲雀料理の後にはどうぞ空の青映しだしたる水を一杯
尾崎まゆみ



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