しづかな眸とよい耳
梨木香歩の『f植物園の巣穴』(朝日文庫)を読む。『家守綺譚』や『村田エフェンディ滞土録』と同系列のオハナシ。個人的には終わり方がアレでなくてもいいのになあ、と思ったが、まあ、そこは好きずき。
この人は草木や樹木について書かせるとほんとうにうまい。今回はなにしろ植物園の園丁が主人公だからなおさらだ。
しかし、今回、書こうと思ったのは、じつはこの小説についてではないんだなあ。
角川「短歌」8月号の特集「河野裕子のボキャブラリー」に梨木香歩が「発見する力」という文章を寄稿しているのだが、これがとてもいいのだ。
捨てばちになりてしまへず 眸のしづかな耳のよい木がわが庭にあり
『歩く』河野裕子
河野裕子が詠んだ歌のなかでも、そらで口に出すことのできる数少ない一首だが、はじめて読んだときから気になって仕方がない歌だった。意味がよくわからないのに、なぜかひかれるということがある。今回、短歌の専門誌で、歌人ではない梨木さんがこの歌を取り上げていることに不思議な驚きと感動があった。少々長いが、冒頭から前半分位を引用する。
一読の印象で、「わが庭」ということばを、家の庭、家庭とまっすぐにとらえ、ああ、そういう「木」がすうっと一本、確かに真ん中に立っている、と心のどこか、合理性の枷の届かぬところで深く納得した。その「木」のもつ「眸」は、ふと気づけば離れたところで黙ってこちらを観ているわが子の目の中に在ったり、その「耳」は、一人遊びをしながらも何が起っているのか感受しようと全身をそばだたせているようなわが子そのものに在ったりする。そして誰もいない午後、畳の上に、そんな「木」の長い影が浮かぶ。
梢は荘厳な光をもとめて天上世界へ届き、根は地獄の畜生道にまで達してなお暗闇を探るような、そういう「木」。家庭とは、そういう木をはぐくむ神聖な場所でもある。その「木」の視線を感じているから、生活には「捨てばちになり」えない。あだやおろそかに手を抜いて、投げやりに処せない。研ぎ澄まし、澄んだ心で対峙する。
なんだかこんなことが、初読のとき一瞬にして伝わってきた。そしてその印象は、それから幾度読み返しても変わることはなかった。
ああ、そういうことなんだよな、と長い間の問いに答えがみつかった喜び、いや、こうしてこころの片隅にこの歌を持ち続けた自分をねぎらうようなおかしな気分。
あえてつけくわえれば、この歌をわかりにくくしているのは「捨てばちになりてしまへず」という措辞だと思う。捨てばちにならず、と言うのではない。捨てばちになったってもう仕方ないじゃないかという、悲しみや苦しみや絶望のなかで、いったんは捨てばちになろうとしたんだよ、でもなってしまうことはできなかったよ。だって家族が自分にはいたのだから、ということなんだと思う。
重いけれど、深い共感をさそう一首だと思う。
それを解きほぐした梨木香歩の鑑賞は見事。
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コメント
このエントリーを何度も読み返しています。
歌に触れる機会の少ない僕にはかわうそ亭さんの道案内が無ければ、河野裕子さんにも、この歌にも出会う事は無かったと思いますが、味わい深いですね。
何度も読んでいると「なりてしまへず」という言葉がどんどん重く感じられてきます。かわうそ亭さんと梨木香歩さんのおかげで。
思えば僕も心にひっかかる何か、をいつも持っていました。古本屋で見つけたら買いたい本のタイトルとか、意味がわからなくて考え続けている言葉とか。
インターネットで何でも検索するようになってきれいさっぱり無くなってしまいました。とりあえずGoogle先生に聞けば答えがみつかるので。表層的でありきたりの事だとしても。
それは、とても大切なものだったのだとこのエントリーを読んで感じました。
「ああ、そういうことなんだよな、と長い間の問いに答えがみつかった喜び、いや、こうしてこころの片隅にこの歌を持ち続けた自分をねぎらうようなおかしな気分。」
少なくともまだ、こんな文章が素敵だと思える間に何かを立て直さないといけないのかもしれません。だからといって今からインターネットを切ってしまう訳にはいかないのですが・笑
投稿: たまき | 2012/08/29 12:29
このあいだのたまきさんのブログのエントリー(春になったら苺を摘みに)で奥さんが梨木香歩さんのファンであることを知りました。(*^-^)
うちもカミサンに教えてもらった口です。(笑)
インターネットは、もはや、それがない世界は考えられないというモノになっていますね、ぼくも。でも、それは悪いことではないように思います。
投稿: かわうそ亭 | 2012/08/29 19:50
久々にお邪魔してこのエントリーを発見。う~ん、何かの奇縁でしょうか。文学のわからん、朴念仁のrenqingがたまたま書いた記事も妙に本エントリーに感応しているような。TBさせて戴きます。
投稿: renqing | 2012/10/21 13:17
やあ、どうもご無沙汰しております。
投稿: かわうそ亭 | 2012/10/21 18:24