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2012/12/14

追悼・丸谷才一4

あとは長谷川櫂の「玩亭先生、さようなら」から、興味深い箇所を引きたいと思う。
連句の捌きの依頼を承諾して半年ばかりたったころのことである。

梅雨の最中、歌仙も半ばをすぎて名残の折に入ったころ、丸谷さんから小さな小包が届いた。添え状をそのまま書き写す。

腎盂癌といふやつが見つかつて余命数ヶ月から数年ださうです。まあせいぜい一年ぐらいでせう。
原稿を書きながらぽつぽつ身辺の整理をしてゐます。それで出て来た硯を一つ差し上げようと思ひ立ちました。母から貰つた今出来の品ですが、あなたに使つていただければ格が上るでせう。
 五月闇いろに墨すれ客発句 玩亭

水色の紙に緑のインクで旧仮名の文面がしたためてある。箱から出てきたのは歌仙のとき、いつも使つておられた小ぶりの硯である。はじめて手にとって眺めると蓮の花びらをかたどってある。
手紙はもう一枚あって薄緑の紙に、

わたしの晩年は俳諧のおかげでずいぶん楽しいものになりました。御厚情感謝します。ありがたう。
二〇一二年六月二十日午後

最後に。
丸谷さんはかつて古希に『七十句』という句集を出しておられる。その流れで行くと傘寿には『八十句』となるわけだが、機を逸して果たせなかった。そこで、米寿に合わせて『八十八句』という句集を出そうと撰を長谷川さんに頼まれたということです。いま長谷川さんの手元には令息から預けられた句稿の写しがあるとか。
なお、新聞の記事によれば、丸谷さんの墓誌に刻まれた句はかつての句集『七十句』から採られているのだそうですね。いわく——

出羽鶴岡の人、小説家、批評家、玩亭はその俳号、大岡信撰『折々のうた』に『ばさばさと股間につかふ扇かな』がある

ご冥福を祈ります。



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