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2013年5月

2013/05/31

タヌキのことなど

トマトの雨よけアーチの作業をしていたら、すぐ後でかさこそと音がした。なんだろうと、振り返ると、びっくりしたなあ、タヌキ(たぶん)である。テレビなら、「じぇ、じぇ、じぇ〜」と叫ぶところである。なにしろ文字どおり目と鼻の先である。さして臆する様子もなく、堂々たる領土侵犯。気を取り直して、こぶしを振り上げ「がおぉぉぉ!」などと威嚇しながら足を踏み出すと、やっと逃げ出したが、ちょっと離れて、またこちらをじっと見ている。

じつは、思いあたることがある。

昨日の朝のことだ。

道路際のうちの畑に、クルマにはねられたらしき、動物が投げ込まれていたのだ。ご丁寧に、引いた草を重ねた山の上に置かれている。はねられた動物が偶然、そんなところに着地するとは思えないので、たぶん道路に放置された障害物を、ドライバーが引きずり蹴落とすかなにかしたのだろうと思われる。うんざりしたが、うちの畑だから放置もできない。道路は小学生の通学路でもある。カラスがたかったりしては剣呑だ。
どこかに埋めてやろうかとも思ったが、けっこう大きな動物だから穴を掘るのも大変だし万一衛生上の問題が起こったりしてもいけないので、市の保健衛生課に電話して、焼却処分を頼むと、ありがたいことにすぐに取りにきてくれたのだ。

その屍骸が、たぶんタヌキで(市役所の若手二人組も「これなんですかねえ。タヌキかなあ」なんて言うておりました)、今日、うちの畑にやってきたきた動物と同じ種類だったわけである。
見た感じでは、今日のタヌキ、昨日の屍骸と同じような大きさに見えるので、親子ではないだろう。夫婦であろうか。「あのぉ、うちのが帰ってこないんですが、なにかご存じないですか?」というわけだろうか。話ができりゃ、なにがあったか教えてやれるんだけどねえ。
なんまいだ。


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2013/05/19

良いニュースと悪いニュースがある

〈スポイル・アラート〉
べつにネタバレをするつもりはないのだが、今回のエントリーは村上春樹の新作の一部にかかわる。読書のお楽しみを奪ってはいけないので、これから『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読むかもしれない方はどうぞパスしてくださいませ。
 
 
 
「良いニュースと悪いニュースがある」と本の腰巻きにも引用されているくらいだから、ここは多くの読者にとっても印象深い箇所だということなのだろう。アカが別れ際につくるに聞かせるエピソード。アカは高校生時代は典型的な秀才タイプ、東大にもラクに入れる学力だったけれど地元の名古屋大学の経済学部を出ると学問の世界に入るのだろうという周囲の予想とは違って銀行に就職し、やがてそこも辞めていささかあぶない街金融の世界に入り、そして今は独立して企業の従業員教育を請け負う会社を経営しているという、まあ小説の中でもかつての友達にさえ毛嫌いされているいやな男である
 
はなしは新入社員研修の技法である。オリエンテーションの、いわゆる「最初の一撃」だ。
インストラクターであるアカは会場をぐるっと見回して適当な新入社員を立たせると、こんなふうにいうのだ。
 
君にとって良いとニュースと悪いニュースがひとつずつある。まず悪いニュース。今からきみの手の指の爪を、あるいは足の指の爪を、ペンチで剥がすことになった。気の毒だが、それはもう決まっていることだ。変更はきかない。
 
そうしてカバンの中からでっかいペンチを出してみんなに見せて、今度は良いニュースとして手の爪にするか足の爪にするかを選ぶ自由は与えられていると説明する。どっちか決められなければ両方剥ぐことにする。10秒以内に決めてくれ。さあどっちにする?と言いながら、ペンチを持ってカウントダウンするとだいたい8くらい数えたところでそいつは「足にします」と言う。「いいよ、じゃあ足にしよう。ところでひとつ教えてほしいんだが、なんで足にしたんだい?」と尋ねると、そいつは「だってどっちかにしなきゃいけないから仕方なく選んだんです」と言う。そこで新入社員研修のインストラクターは一言。「本物の人生にようこそ。ウエルカム・トゥー・リアル・ライフ」。
 
これ読んだときは、思わず笑ってしまったなあ。あほくさ。
 
ヤクザの事務所に連れ込まれ、逃げ道ふさがれて、これをやられたんなら理解はできる。たぶん、全員がおなじ反応になる。しかしねえ、企業の新入社員研修会場で、かつてのメガネ君だかイワシミズ君(年がばれる)みたいなやつだったに違いない研修インストラクターがでっかいペンチを持って「さあどっちだ?7、6、5、4」と迫ってきたら、たいていの人間は「どっちもいやです」と言うだろうし、それでもペンチを振りかざしてくるなら、さっさと逃げるわな。なかにはもっけのさいわいと正当防衛にかこつけて足払いをかけて床にたたきつけるというやつだって出るにちがいない。
それが、まあ本物の人生というやつだと思うよ。
すくなくともわたしが百姓をやっている理由のひとつは、そんなときに「どっちもごめんだね」と言い放つことができるためだと思うなあ。

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2013/05/04

モンティ・ホール問題について

畑の草引きは、人によっては退屈な仕事だったり、場合によっては苦役のようなものかも知れないが、わたしは結構これが好きである。手だけを無意識に動かしながら、考えごとができる時間だからだ。今日は、とある本で知ったこんな数学の問題を小一時間ばかり考えていた。専門的には、モンティ・ホール問題といい、数学おもしろ話の定番のひとつらしい。もしご存知でなければ、わたし同様に考えてみていただきたい。

こういう問題である。
いまあなたの目の前に、A・B・Cという三つのドアがあります。そのうちひとつはピカピカの新車の置かれた部屋のドアで、残るふたつはヤギがいる部屋のドアであります。
Let's make a deal というクイズ番組の司会者、モンティ・ホール氏があなたにどれかひとつ選ぶように言います。「中にあるのを差し上げますよ。さあどうぞ」

あなたがA・B・Cのドアのどれかを選んで指差した後で、モンティ氏は残りのふたつのうちヤギがいるのはどちらであるかを教えてくれます。たとえば、あなたがAのドアを指差したとすると、「ヤギがいるのはBですよ」(あるいは「ヤギがいるのはCですよ」)というふうに教えてくれるわけ。かならずヤギがいるほうのドアを教えることになっています。どっちもヤギの場合は、適当にどちらかを言うのね。

さて問題はこれからで、このあと、あなたはもういちどだけ選択を変更することができるというのですね。司会者はこんな風に問いかけます。「ヤギがいるのはBですよ。Aのままでいいですか?それともCに変更しますか?」

草引きをしながら、頭の中で考える。

ええと、最初に選んだ時点でAが新車である確率は三分の一だよな。そして司会者がハズレのドアはBだと教えてくれた時点で、新車はAかCのどちらかになるわけだから、確率は二分の一にあがるけど、それでもどっちが新車であるかはわからない。ということはどっちも確率は同じ二分の一。常に最初の選択のままでいくか、必ず変更するか、そのつどどっちにするか選ぶか、この三つの戦術があるが、そのどれが一番有利なのか?うーん、なんかへんだぞ・・・・

ということで、草引きしながら脳みそのなかでは解決できなかったので、書斎に帰ってから、おもむろに花札を取り出して実験してみました。100回くらいやってこの三つの戦術に差がでるかどうか実際にやってみようという原始的な方法。
ところが三枚の札のうち一枚を偶然に選んで、のこる二枚のうちハズレがどれかを知ってから、かならず変更するやり方を数回やって、「げげっ」と驚愕の真相に気付いてしまった。
花札でもトランプでもいいから、確率の実験をやってみてください。100回も試す必要はありません。ほんの数回で理解できる。(ここで読むのを中断して、実験するときっと楽しめます)

以下は、花札を使ったモンティ・ホール問題の簡単な解説。

P5040002

2回目の選択のときにかならず変更するほうがなんと確率は二倍になります。
最初の選択を堅持した場合に、それが当たりである確率は約33パーセント。
逆に言うと最初の選択にもれたふたつの札に当たりがある確率は約67パーセントであります。(写真のパターンね)そして、その場合、ふたつのうちハズレの一枚は教えてもらえるので、常に機械的に選択を変更すれば67パーセントの確率で当たりを引き当てることができる。
直感で最初の選択堅持と思ったあなたはギャンブルはやめたほうがいいと思うよ。(笑)
ま、草引きしながら考えるようなことでもないけれど。


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