〈スポイル・アラート〉
べつにネタバレをするつもりはないのだが、今回のエントリーは村上春樹の新作の一部にかかわる。読書のお楽しみを奪ってはいけないので、これから『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読むかもしれない方はどうぞパスしてくださいませ。
「良いニュースと悪いニュースがある」と本の腰巻きにも引用されているくらいだから、ここは多くの読者にとっても印象深い箇所だということなのだろう。アカが別れ際につくるに聞かせるエピソード。アカは高校生時代は典型的な秀才タイプ、東大にもラクに入れる学力だったけれど地元の名古屋大学の経済学部を出ると学問の世界に入るのだろうという周囲の予想とは違って銀行に就職し、やがてそこも辞めていささかあぶない街金融の世界に入り、そして今は独立して企業の従業員教育を請け負う会社を経営しているという、まあ小説の中でもかつての友達にさえ毛嫌いされているいやな男である
はなしは新入社員研修の技法である。オリエンテーションの、いわゆる「最初の一撃」だ。
インストラクターであるアカは会場をぐるっと見回して適当な新入社員を立たせると、こんなふうにいうのだ。
君にとって良いとニュースと悪いニュースがひとつずつある。まず悪いニュース。今からきみの手の指の爪を、あるいは足の指の爪を、ペンチで剥がすことになった。気の毒だが、それはもう決まっていることだ。変更はきかない。
そうしてカバンの中からでっかいペンチを出してみんなに見せて、今度は良いニュースとして手の爪にするか足の爪にするかを選ぶ自由は与えられていると説明する。どっちか決められなければ両方剥ぐことにする。10秒以内に決めてくれ。さあどっちにする?と言いながら、ペンチを持ってカウントダウンするとだいたい8くらい数えたところでそいつは「足にします」と言う。「いいよ、じゃあ足にしよう。ところでひとつ教えてほしいんだが、なんで足にしたんだい?」と尋ねると、そいつは「だってどっちかにしなきゃいけないから仕方なく選んだんです」と言う。そこで新入社員研修のインストラクターは一言。「本物の人生にようこそ。ウエルカム・トゥー・リアル・ライフ」。
これ読んだときは、思わず笑ってしまったなあ。あほくさ。
ヤクザの事務所に連れ込まれ、逃げ道ふさがれて、これをやられたんなら理解はできる。たぶん、全員がおなじ反応になる。しかしねえ、企業の新入社員研修会場で、かつてのメガネ君だかイワシミズ君(年がばれる)みたいなやつだったに違いない研修インストラクターがでっかいペンチを持って「さあどっちだ?7、6、5、4」と迫ってきたら、たいていの人間は「どっちもいやです」と言うだろうし、それでもペンチを振りかざしてくるなら、さっさと逃げるわな。なかにはもっけのさいわいと正当防衛にかこつけて足払いをかけて床にたたきつけるというやつだって出るにちがいない。
それが、まあ本物の人生というやつだと思うよ。
すくなくともわたしが百姓をやっている理由のひとつは、そんなときに「どっちもごめんだね」と言い放つことができるためだと思うなあ。
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