そんなに分厚い本ではない。(400ページほど)
とくに難解な本でもない。(ただし単語はけっこう特殊なものが多い)
なのに読了するのにずいぶん時間がかかった。
なにしろ夜になるとバタンキューで熟睡モードに入るので、このごろは本を読むのがだんだんダメになっているのであります。ただし、この本に関しては、たぶんもうひとつ理由があって、すごく面白いのだが、なにしろシンドイお話なんですね。ふう、と一息ついてあれこれ考え込んで読めなくなる、というようなことが多かった。
マーガレット・アトウッドは、これまでに読んだのは『Alias Grace』と『The Blind Assassin』と『The Handmaid's Tale』の三作品だけと思うが、どれも一言でいえば美しい残酷物語だったという記憶がある。
本書はマッドアダム三部作(THE MADDADDAM TRILOGY)の第一作で、人類の滅亡の年の前後を描いています。語り手はスノーマンという、もしかしたらホモ・サピエンス・サピエンスの最後の一人。
現在形で語られるパートが、人類滅亡後の世界。
遺伝子操作で人工的に創造された「人間」の一群がおり、またもともとは幹細胞から培養される移植用の臓器を大量生産する目的でつくられた豚(pigoon)の群れや、もとはおもちゃとしてつくられたかわいい小動物(rakunk)、攻撃用としてつくられた犬狼(wolvog)、猛毒の鼠(snat)なんて生き物が地に満ちている。「洪水」前の生態系は滅びて行き、その隙間を人工のミュータントが繁殖して置き換わっていく世界。
過去形で語られるパートが、スノーマンがジミーと呼ばれていた子供時代から、「洪水」(文字通りの意味ではない)によって人類が滅んで新しい世界が始まるまで。
この過去形で語られる世界は、いまわたしたちが生きている2010年代から、さてどのくらい先の話なんだろうか。天才児たちがインターネットで「種の絶滅ゲーム」で戦略を練り特定の生物種を絶滅させる腕前を競っているとか、iPS細胞技術が商業ベースにのって移植用の豚が工場で大量生産されているとか、大企業の幹部や研究員などは、一般の住民が入れない城塞のような町で仕事も買い物も余暇も過ごしているとか、気象変動で自然の農作物や食肉が希少価値をもっているので食料はバイオ技術でつくられた人工的なものに頼っているとか——。
しかしどれもよく考えたら、いまのわたしたちの世界から、ほんの一歩のところにあるか、すでにそうなっているかであることに気付く。本書はもちろんディストピアもののSFだが、たとえば『Riddley Walker』のように、人類の文明が滅んだあとの世界が暗黒時代になるというのではない。むしろ逆にいまのテクノロジーと資本主義が不可分に結合した西欧文明を拡大鏡で見たら、こんなひどい世界はないだろうという見立てであり、人類という種が滅べば、もういちどやり直すことができる、もしかしたらこんどの新種の人類こそユートピアでくらせるかも(そうでないことは予想できるけれど)というものである。
現世人類を絶滅させる戦略を練ったのはスノーマンの幼なじみのクレークだが、かれが遺伝子操作で創造した新種人類について、こんなことを言い残す。現世人類の文明の要約でもある。(「Linear B」は線文字B、文脈では文字の発明のことだろう)
Watch out for art, Crake used to say. As soon as they start doing art, we're in trouble. Symbolic thinking of any kind would signal downfall, in Crake's view. Next they'd be inventing idols, and funerals, and grave goods, and the afterlife, and sin, and Linear B, and kings, and then slavery and war.
スノーマンは望むと望まざるとにかかわらず、新種人類を見守る役割を果たしている。
かれらは、緑色の目をし、紫外線耐性の皮膚と美しい肢体を持ち、自然の植生の草をそのまま食べて消化吸収できる生態に設計されている。ほかの哺乳類と同様に交尾期以外には性欲が皆無。現世人類のリビドーは、生化学者のクレークによって、遺伝子レベルで排除されている。イノセントと言えばこれほどイノセントな人類はいないだろう。そして「パラダイス」と呼ばれる、エアロックされたドームの中で、同じようにイノセントな魂をもったオリックスという美女によって教育を受けているのだ。
オリックスがイノセントな魂をもった女であることは、もうひとつの本書の作者による皮肉と言えなくもないが、これはまた長い話になるので割愛。
最後に、本書で一番、考え込んだ箇所は、やはり「農業」のオハナシ。
主人公のジミー(スノーマン)が成長した人類文明最後の時代には、気象変動によって、まともな食料が手に入りにくくなっていることは、前に説明したとおり。でも、大企業にとってはこれは逆に大きな利益を上げるチャンスでもある。チッキーノブという「鶏肉」がコンビニで大ヒットしている。これは大企業が工場で操業している「農業」によって大量生産される。鶏の胸肉が何ダースも一つの身体から次々に大きくなる生き物(形状は電球みたいで不気味)を、ニワトリをベースに遺伝子工学によってつくっているのですね。移動の能力はない。それどころか、頭は躰の中央あたりにあって脳の機能は取り除かれ消化吸収と成長だけをする植物的な鶏である。本来の頭があるべきところには口がイソギンチャクのように開いており、生産ラインで上からエサをここに注ぎ込むだけで、一本(?)のチッキーノブからいくらでも「鶏肉」が収穫できるのであります。
もちろん、これによって、爆発し続ける人類の人口を支えることができりゃ、結構な技術じゃないか、という人もいるだろうが、まあ、たいていの人は気分がわるくなるだろう。実際、これを目の当たりにしたジミーも、しばらくはチッキーノブを口にする気になれない。
でもねえ、じゃあ、これと遺伝子操作で自然状態では得られないような収穫を可能にし、「競争力のある」農業を大企業でやらせようという思想はどのくらい、かけ離れているのでしょうかね、とわたしなんかは考え込むわけでございますだよ。
ま、そんなんで、なかなか、はかどらない読書をしておりました、という今日この頃です。
さ、第二作の『THE YEAR OF THE FLOOD』が到着したので、とりかかろう。
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