『聖書をわかれば英語はもっとわかる』西森マリー(講談社/2013)。この本はなかなか面白い。
たとえば、マタイの福音書5章、いわゆる山上の垂訓で、クリスチャンでなくても誰でも知っている箇所ですが、
「目には目を、歯には歯を」と書かれているとあなたがたは聞いている。しかし、私はあなたがたに言う。悪人に手向うな。だれかがあなたの右の頬を打ったら、その者にもう一方の頬も向けなさい。
たいていの人はこれを絶対平和主義、非暴力主義の意味で受け取っていると思う。わたし自身も、そう理解して、その上でこりゃないわな、と考えていた。たとえ殴り返せないような相手でも、もう一発どうぞ、それで気が済むなら、なんて自己陶酔もはなはだしい。相手が自分の行為を恥じるはずだと計算しているのかも知れないが、相手は「悪人」である。なめんじゃねえ、とさらにはり倒されるのが目に見えているじゃん。
しかし、なるほど言われてみてはじめて気がついたのですが、この言葉、頭の中で映像にしてみると、ちょっとおかしなことに気がつく。
立場を変えて、自分が向き合った相手の右頬にびんたを食わせる動作をしてみてください。ふたつありますね。
左手の手のひらで打つ。あるいは右手の甲で打つ。
ただ世の中は右利きの方が多いから、相手の右頬を打つという行為は、ふつう手の甲をつかってバックハンドで打つという形になりますね。
そして、この形は相手を対等の者と認めていない場合に多く発生する。主人が奴隷や使用人を叱るなんてときの形であるというのですね。
実際手のひらでたたく時は、それが怒りであれ愛であれ、真剣に向き合っている感じがしますね。甲で叩く動作にはなんとなく軽い侮蔑が混じるような気がする。猪木の闘魂注入だってあれがバックハンドではたぶん共感は得られない。
だから、右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ、というイエスの言葉は、打つならこちらを打て、自分はお前と対等な人間だと、毅然と示せということかも知れない、という解釈もあるのだそうです。面白いね。
まあ、その場合も、相手が左手の甲で打って来たらアウトですけどね。
誰ですか?目には目をだ。やられたらやりかえす、10倍返しだ!のほうがわたしゃ共感できる、なんていうてるんは。目には目を、というのは同害報復といいまして、片目をつぶされたら報復は目が一個だけでっせ、両目ともつぶしたらあきまへんで、ということですからね。ましてや10倍返しだなんて、あなた、そんな野蛮な。(笑)
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