千本の記事
中国のことわざに、文章自己的好、老婆人家的好、文章は自分のがよく、女房はよそのがよい、というのがある。文章は自分のが、他の誰のものよりよく見える。これに反し、女房はどうもよその奥さんの方がよい奥さんに見える、というのである。なるほどその通り、少なくともこの諺の前半はその通りであって、私は新しい仕事につかれたときなど、よく自分の旧著をとり出して読む。つかれがほぐれて爽快な気持ちになる。時には、自分の文章に読みふけりながら、深更に至ることがある。ところでかく自分の文章を読んで爽快な気持ちになること、これにはうぬぼれというものの作用があるにはちがいないが、単にそればかりではないように、私には思われる。私は、私なりのささやかな誠実が、私の書物にあらわれているのを、愛しているのであるように思う。それすなわちうぬぼれの一種だといわれれば、それまでだけれども、人間の世界に普遍であるはずの誠実、それが私のようなもののなかにも何がしか流れていることを、私は私のためばかりでなく、人間全体のために祝福しているように思われる。つまり私自身という一ばん身近なものを資料として、人間の誠実が、証拠だてられることを、祝福しているといってはいけないであろうか。大へんせおってるようだが、私はそう思っている。吉川幸次郎全集20「自分の文章」
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