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2014/03/30

千本の記事

まったく自分にしか意味のないことで恐縮だが、今日のこのエントリーがブログ版「かわうそ亭」のちょうど1000本目の記事になる。2004年3月21日に最初の記事を書いてから10年たった。
ブログをはじめる前には、ホームページ版の「かわうそ亭」があり、こちらのほうはカミサンの粘土工房サイトをつくったついでに、お遊びではじめたので、たぶん1998年創業(笑)であります。およそ16年、かわうそ亭という号をつかって主に本にまつわる話題を綴って来たことになる。

ブログに移行して、いろんな記事を書いて来た。
1000本のなかには、これはもう消した方がいいかなあと思う文章ももちろんたくさんあるが、(あまり大きな声では言えないが)我ながらよく書けてるじゃないか、と思うようなものもないわけではない。とくにいろいろな方から寄せられたコメントで、蒙を開かれたり、刺激を受けたりした記事には、とても愛着がある。
吉川幸次郎がこんなことを言っている。

中国のことわざに、文章自己的好、老婆人家的好、文章は自分のがよく、女房はよそのがよい、というのがある。文章は自分のが、他の誰のものよりよく見える。これに反し、女房はどうもよその奥さんの方がよい奥さんに見える、というのである。なるほどその通り、少なくともこの諺の前半はその通りであって、私は新しい仕事につかれたときなど、よく自分の旧著をとり出して読む。つかれがほぐれて爽快な気持ちになる。時には、自分の文章に読みふけりながら、深更に至ることがある。
ところでかく自分の文章を読んで爽快な気持ちになること、これにはうぬぼれというものの作用があるにはちがいないが、単にそればかりではないように、私には思われる。私は、私なりのささやかな誠実が、私の書物にあらわれているのを、愛しているのであるように思う。それすなわちうぬぼれの一種だといわれれば、それまでだけれども、人間の世界に普遍であるはずの誠実、それが私のようなもののなかにも何がしか流れていることを、私は私のためばかりでなく、人間全体のために祝福しているように思われる。つまり私自身という一ばん身近なものを資料として、人間の誠実が、証拠だてられることを、祝福しているといってはいけないであろうか。大へんせおってるようだが、私はそう思っている。
吉川幸次郎全集20
「自分の文章」

いや、もちろんあんまりレベルが違いすぎて、引き合いに出すのはどうかとも思うが、要はそういうことなんである。(笑)
とりあえず千本の記事ごくろうさんと自分をねぎらってやろうと思う。

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コメント

かわうそ亭さん、千本の記事、おめでとうございます。
これからもお元気で記事を更新なさってくださいませね。たのしみにしています。

投稿: きよみ | 2014/03/30 21:22

きよみさん、コメントありがとうございました。これからもマイペースで更新していきますね。

投稿: かわうそ亭 | 2014/03/30 21:56

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