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2014/04/12

対テロ戦争時代のスパイマスターたち

Wikipediaでジョン・ル・カレの著作リストを見ると、1961年の『死者にかかってきた電話』から昨年の『A Delicate Truth』まで23冊が上がっている。わたしが初めて読んだのはエドガー賞を取った『寒い国から帰ってきたスパイ』だったと思うが、この23冊中19冊を読んでいることがわかった。わが偏愛の作家のひとりといってもよろしい。

ただし、スマイリー三部作のあとは、あまりぱっとせず、新作がでるたびに英語のハードカバーで追いかけていたが、1999年の『Single and Single』で、「あ、こりゃもうだめだ」と見限った。すくなくとも英語で読むのは、やーめた、と決めた。わたしのレベルでは、ちとむつかしいということもある。『The Honourable Schoolboy』などは読む苦労をものとしない深い満足が得られたけれど、どうも近作は苦労が報われない感が強かった。

この「あれ、なんでだろ。ぜんぜん面白くないじゃん」という気持ちになる原因は、ひとつには、やはり冷戦の終結で、かつてのスパイ小説の枠組みが大きく崩れたことがあるだろう。KGBあってのサーカスであり、カンパニーであったというわけだ。
ところが、ひさしぶりにル・カレの小説を手に取ると、冷戦の枠組みではなく、対テロ戦争といういささかこぶりに見える舞台にもかかわらず、またあのころと同じような面白さがよみがえっていると感じた。

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『われらが背きし者』(岩波書店)と『誰よりも狙われた男』(早川書房)の二冊を読んだが、どちらも、静かさと熱狂、無垢と汚辱、善意と悪意、といったコインの両面がくるくると宙に舞い、そしてなるほどこれ以外にはありえないだろうな、という苦くやるせないエンディングがやってくる。
結局、これは初期のル・カレの傑作と同じかたちだ、懐メロみたいなもんだ、と呟きながら、まあ、いいか、面白ければと思うのでありました。
時代おくれと言わば言え。

『誰より狙われた男』のなかに最近の諜報機関についてのこんな記述がある。

すなわち、戸棚にどれほどスパイの最新のおもちゃをしまっていようと。魔法の暗号をどれだけたくさん解読しようと、音のひずんだ会話をどれだけ傍受して、敵の組織の構造や、そもそも構造がないことや、内輪もめについてすばらしい推論をしようと、はたまた、飼い慣らされたジャーナリストが、偏った手がかりやこっそりポケットに入れる褒美と引き替えに、怪しげな情報をどれだけ提供しようと、最終的に頼りになる知識を与えてくれるのは、胡散臭い導師や、恋に破れた秘密工作員や、賄賂しか頭にないパキスタンの防衛技術者、昇進に見放されたイラン軍の中堅幹部、ひとりで眠れなくなった潜伏員(スリーパー)たちなのだ。かれらが提供する確実な情報がなければ、あとは地球を滅ぼす法螺吹きとイデオローグと政治狂いに食わせる飼い葉でしかない。

時代遅れの叩き上げがいつもプロの世界のぎりぎり本質的なところを担っている、というのはじつは、スパイの世界だけの話ではないと思うのだけれど。



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