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2014/04/02

名著としか思えない『あたらしい哲学入門』

これはもしかしたら素晴らしい名著かもしれない——といま書きながら、いやまてよ、あの自分の助手にさえ軽くあしらわれるツチヤ教授の講義だからなあ、いくらなんでも名著のはずはないだろうという疑問に苛まれる。(笑)
『あたらしい哲学入門』土屋賢二(文春文庫/2014)は、お茶の水の一年生と二年生向けの講義「哲学」に手を入れたもの。よく「自分のアタマで考える」なんてわかったような台詞を聞かされることがあるが、そういうことを言う人に限って、自分ではなにも考えていない、他人の意見の丸写しであることが多くてうんざりする。ひところ流行った「自分探し」なんてバカ丸出しのことを言うやつもこれまた同様。
それがなぜか、ということがこの本を読むとよくわかる。

哲学書といえば、読んでもわからないものだというのが通り相場だと思うのだが、それでもわかったような顔をして、ああヘーゲルね、うんハイデッカーはねえ、いやヴィトゲンシュタインはさあ、などと言いたいのが若気の至りというもの。だけど、こういう切り口があったのかというのが本書の驚きである。なにしろ、分からないのが当たり前で、分からなくても構わない、という哲学の入門書のくせに、この本では講義の方針を最初にこう述べるのである。

この授業では、みなさんに100パーセント理解して納得してもらうことを目指しています。といっても実際には、議論がこみいったりすると簡単にはいかないんですけどね。でも、何となく分かったとか、大体の気分がつかめたとか、そういう分り方をしてほしくないんです。
たとえば、「フランスの首都はどこか?」という問題に「パリだ」と答えたら、何となく分かったということはまずないですよね。完全に分かるか、まったく分からないかどちらかですよね。「気分」が入り込む余地がありません。その点では、数学や物理学と同じです。最終的には完全に分かるか、完全に分からないかです。
僕は哲学でも、本来はそうだと思うんです。でもこれは、簡単に分かるということではありません。ぼくが言いたいのは、哲学の問題には、きちんと考えていけば納得できるような答えがあるということです。その答えをできるだけみなさんに納得してもらえるように説明したいんです。

いや、学問と言うのは、すごいもんですな。
わたし、すっかり見直してしまいました。御本人の(されまいという必死の)努力にもかかわらず、思わずうっかり尊敬してしまうかもしれません。

わたしなりに考えると、本書の結論は、「意識とは言語のことである」ということではないかと思えます。以前、書いた「わたし」という密航者、というエントリーになんとなく関連するような気がしますね。

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