スティーヴン・キングの長編で訳者が白石朗とくれば、これはもう安心保証付きみたいなもんである。だからもちろん大いに楽しんだ。面白かった。堪能した。
しかし、傑作かと問われれば、残念ながらいまひとつかなという感想。
1945年8月15日という日が日本人にとって説明不要であるように、1963年11月22日は、アメリカ人にとっては、J・F・ケネディの暗殺の日として記憶に刻み込まれているのだろう。わたし自身のかすかな記憶にも、実験中の衛星中継で流れた白黒のニュースの映像が焼き付いている。
本書の「著者あとがき」によれば、キング本人は、積み上げれば自身の身長ほどになる関連書籍を渉猟した上で、真相は退屈なウォレン調査委員会の報告がまちがいないだろうという立場である。すなわち、リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯説。まあ、これについてはわたしには、知識が欠けているので適否は判断しようがない。ただ、本書のなかで描写されるオズワルドの横顔は、なるほど暗殺者はこうして生まれるものかもなあ、というリアリティがあった。もう細かい内容は、すっかりこぼれ落ちたが、ジェームズ・エルロイの『American Tabloid』の断片にも通じる。
だが、読了されたされたみなさんからは、いやそうじゃなかろう、本書の紹介をするなら、全然別の切り口が必要じゃないか、と責められるだろう。たしかに、本書は現代史のうんちくを得るためのオハナシじゃないのですね。ではなんであるか。ズバリ、これは「ある愛の歌」なんですなあ。
そして、ここが、まさにわたしが残念ながら傑作とまでは言いかねると評するゆえん。だってね、タイムトラベルに男と女の愛をからめれば、これは過去のこのジャンルの定型といってもいいくらい、切ないものになるにきまっているんだなあ。
せっかく、キングらしい、果断さでタイムトラベルものの掟破り(歴史を変更することを目的とした時間旅行)をしたんだもの、それではすこしロマンチックが過ぎると言うものでは・・・。
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