朝倉かすみ『夏目家順路』(文藝春秋/2010)を読む。
夏目清茂、七十四歳。北海道の小さな町で生まれ育った。家庭は複雑というほどでもないが、六人家族で、両親と清茂、そして年の離れた兄(前妻の子)夫婦とその子供が一つ家に生活していた。兄の子供は政夫といって、清茂とは同い年である。兄の子どもだから、清茂が叔父、政夫は甥になるが、互いに名前で呼び合い、幼いころは仲がよかった。長じるにつれ気が合わなくなったのは、政夫がしょっちゅうしょうもない嘘をつくせいだった、と清茂は思う。
父がなくなり、その後添いだった母が他家に嫁いだのは、清茂たちが国民学校に上がる前のことである。兄の家族に養ってもらったが、裕福な家ではなかったから、高校に行けるのは跡取りの政夫だけであるのは当然と、清茂も心得ていたし、そもそも勉強ができるのは政夫で清茂は出来がよろしくなかった。とはいえ、腹の中ではなにかくすぶるものがあった。
中学校をでると札幌のブリキ職人の住み込みになったが、五年間の徒弟の年季にプラス一年のお礼奉公がすんでも手間賃をくれない。ある日、日頃の親方への不満が爆発して、一人作業場を飛び出す。
「おれには、からだがある。頑丈なやつだ。飯さえ入れれば、なんぼでも動く。」
こんなふうに小説は始まるのだが、最初のオハナシ(八編の連作短編小説の形式になっているのね)で、この夏目清茂が飲み屋で倒れ、病院に搬送されて死んでしまうのであります。
というわけで夏目家の葬儀を軸に、清茂とつながる人々が、それぞれの語りで今と昔を行き来するのが小説『夏目家順路』。つまり順路は葬儀の案内看板である。
華やかな名声はないが、葬式に町内会長が弔辞くらいは読んでくれる。人もうらやむような資産はないが、なんとか持ち家くらいは手に入った。人並みに子供も孫もいるが、中年時代に女房には逃げられた。まあ、世間的にはさえない人生。底辺とはいわないが、重要な人物でも、一目置かれる人間でもない。こう説明すると、我ながら「はあ、つまらないねえ」と思ってしまうのだが、ところがどっこい意外にこの小説、面白い。
もともと小説というのは、国際関係だの政治経済だの社会構造だのといった高尚なことを論じる大説に対して、人間のとるにたらない、きわめて個人的なあれこれを書き連ねた小さな説である。市井の中卒のブリキ職人を中心に据えても、いくらでも面白い小説は書けてしまうのだ、ということが見事にわかって爽快な作品。
作者は昭和三十五年生まれ、四十三歳の時に北海道新聞文学賞、四十四歳で小説現代新人賞、四十九歳で吉川英治文学新人賞を受賞と、奥付の著者紹介にある。文章は達者で安心して読める。なかなかいい作家だとみた。
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