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2015/04/19

笑える不条理小説『末裔』

絲山秋子『末裔』(講談社/2011)を読む。
ある日、帰宅すると鍵穴がなかった。白いペンキを何度も塗り直した木製のドア。ドアノブを支える真鍮製のプレートの、いつも鍵を差し入れていたその場所に、あるはずの鍵穴がない。そんなバカなことがあるはずがないと、鍵でつついても、指でなぞっても、丸の下にスカートを穿いたかたちの鍵穴は消えて、のっぺりとした金属の板があるばかり。

そんな不条理な場面から、この中編小説ははじまる。

目覚めると虫に変身していたというほどの不条理ではないが、鍵穴が消えてしまったために、自分の家から閉め出された区役所の職員が、仕方なしに町を彷徨していると、占い師に呼び止められて、亡くなったあんたの奥さんに子供の頃に助けてもらったから、とビジネスホテルに案内され、しかしあとで荷物を取り行くとそのホテルは見つからず、近所の人に聞いてもそんなホテルのことは誰も知らない。電車で大嫌いな犬を連れた女と口論をしていたはずが、気がつくと知り合いが横にいて、やだなあ、電車ではスリッパ履かなきゃ、条例違反ですよ、男はブルー、女はピンクですからね、なんておかしなことを言う——

まあ、一種の怪奇譚とも、幻想小説とも言えなくはないが、この展開、なんだか馴染みがあるなあ、とよく考えてみると、カズオ・イシグロの『The Unconsoled』を思わせるのだ。するすると話が進むが、どこか現実とずれている感じ。ただし、こちらのほうは、現実の世界がぬるぬるとコントロールを失って、果せない仕事に焦りだけが積み上がっていく夢魔の世界に入り込んだような恐怖感はない。どちらかというと、ばかばかしい、少々さびしいけれど気楽な世界である。
それに主人公は、つぎつぎに出くわす不思議に翻弄されはしても、それなりに世故に長けた初老の公務員であることが明らかで、語り手の正気を疑わざるを得ないような不安定さはどこにもないから、たぶん、この世界が自体がかなりへんなんだろうなあ、と読者は考えて、まあいいか、と読書を楽しむことができそうである。
好きなタイプの小説だ。
作者はたぶんそうではないとわたしはにらんでいるが、一番おかしいのは、あれこれ繰り出される主人公の犬嫌いの描写。大いに笑えます。

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