« 2015年4月 | トップページ | 2015年7月 »

2015年6月

2015/06/24

オーディオのこと

新しいオーディオを買った。ソニーのCMT−X5CDという機器だ。シンプルな取扱説明書には「パーソナルオーディオシステム」という、これまた愛想のない名称がついております。

近年、音楽を聴くのはもっぱら、クルマの運転中だったが、持っているCDなどを寝床で聴く手軽な装置が欲しくなったのであります。

この機種は、もともとは、BLUETOOTH 接続や、WiFi でスマートフォンやパソコンなどのデジタル音源を鳴らすワイヤレス・スピーカーとして市場に出たと思うのだが、そのときはスピーカーだけではあんまり食指が動かなかった。今回買ったのは、このワイヤレス・スピーカーにむかしのラジカセのような機能がついたものと思えばいいのでありますね。

つまり、CDを聴いたり、録音したりもできる。録音するのはUSBメモリーです。本機でFM、AMラジオも受信したければできますが、うちのような田舎だとよく入らないし、アンテナをつなぐのもブサイクだからまったく使いません。と、いうよりも、ご存知のように、いまはラジオは、インターネットで聞けるので、使う必要がないのですね。

P6248222実際に、スマートフォンとこの機器をワイヤレスでつなぐと、寝っ転がって iPhone で音楽の再生や、インターネットラジオをいじるだけで、いきなり枕元から、まともな音質でスピーカーが鳴り出すのが快感です。

ところで、そういや肝心なその音のほうはどうなのか。

昔はオーディオ装置というのは、いろいろウルサイことを言う人がが多かった。でも、わたしは、年をとって、そういうめんどくさいのは勘弁してほしいと思うのね。あ、きれいな音だな、というのはもちろんありますけれど、それで十分だと思う。そもそも、わたしは、音量をそんなに上げません。音楽聴きながらウトウトしたり、逆に集中して本を読んだりするのが好きなのであって、さあ、いまから音楽鑑賞をするぞみたいな聴き方はするつもりがほとんどないのであります。まあ、それくらいの低レベルのリスナーの感想ですが、本機はコンパクトなわりにいい音が出ていますね。

それにしても、最初に書いたように、わたしがこの機種を選んだのは、スマートフォンやパソコンなどのワイヤレス・スピーカーとして使うという機能より、CD再生、録音という機能を重視していたからだったわけですが、実際に使ってみての感想を言うとですね、たかだか個人が所蔵してるCDを、いちいち選んでかけるなんてのは、面倒くさいわけです。わたしはディスク容量を食うのが嫌いなので、あんまり使わないけど、iTunesに何千曲と入れている人はスマートフォンから、ワイヤレスで鳴らせばいいし、こんどのアップルやグーグルの音楽配信(3千万曲聴き放題だって?聴けねえよ・笑)を待たなくても、いまや好みの音楽の音源はスマートフォンのアプリをいくつか入れれば、いまでもほとんど聴ききれないくらいありますから、結局、そっちのほうが手軽なんだなあ。なにせ、自分のCD聴こうと思うと、入れたり出したりしなきゃならないじゃん。面倒じゃん。って、ほんとに人間どこまで堕落するのであろう。(笑)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/22

英国史ほか

Img_0164

今週読んだ図書館の本。

『ディア・ライフ』アリス・マンロー/小竹由美子訳(新潮社/2013)
2013年に引退宣言をして、一応これが彼女の最後の短編集になるらしい。そのせいかどうか、どことなく突き放したような寂しさが全体に流れる。だが、決して暗鬱ではない。むしろなにか面白がっているような作者の眼差しがある。本のタイトルにも取られた「ディア・ライフ」という自伝的な作品がこのうえなく美しい。「日本に届く」「アムンゼン」「メヴァリーを去る」「砂利」「安息の場所」「プライド」「コリー」「列車」「湖の見えるところで」「ドリー」「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」

『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』桜井俊彰(吉川弘文館/2010)
ノーマン・コンキスト以前のイギリス史。著者は、七王国のひとつウェセックスに対しては、現代のイギリス人も他のアングロサクソン王国(ケント、ノーサンブリアなど)より親近感を持つといい、その理由の一つとしてウェセックス王家の血筋が現代のイギリス王家まで続いていることをあげる。1066年のノルマン征服でイギリスの王室はまったく新しい征服王朝にとって変わられたと思いがちだが、その征服者ウィリアム一世の妻マチルダは、ウェセックス王家の血を引いていたからだという。

『私の英国史』福田恆存(中公文庫/2015)
恆存の息子の福田逸訳のジョン・バートン編「空き王冠」を併録。ただし、あとがきによれば、もともとは『空き王冠』を主に、その解説として(日本人には馴染みの薄い)英国史を、ウィリアム一世のノルマン征服以前からチャールズ一世の清教徒革命まで、恆存が書き出したらしい。個人的な興味は、チューダー王朝のヘンリー七世からエリザベス一世までだが、そこがやはりいちばん面白い。
ちなみに上記の、ウリアム征服王朝にウェセックス王家の血が流れているという系図は、本書にもあるが、ウェセックス王家の子孫が嫁したのは、息子のウィリアム二世となっている。一世の妻も、二世の妻も同じマチルダという名前の別人だが、たぶん福田の方が正しいだろう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/15

『六人目の少女』ほか

Img_0161

今週読んだ本。
『メアリー・スチュアート』アレクサンドル・デュマ/田房直子訳(作品社/2008)
昨年来魅了されているヒラリー・マンテルのクロムウェル三部作を再読するための参考書のひとつ。ただし本書は面白くない。わたし程度の低級読者のために、詳細な訳注が必要。

『六人目の少女』ドナート・カッリージ/清水由貴子訳(早川書房/2013)
イタリア版の『羊たちの沈黙』かな。フランスやイタリアなど数々のミステリ大賞を取ったというのだが、アクロバチックなストーリー展開を楽しめるか、あざといだけと見るかで評価が分かれそう。ま、わたし的には壁投げつけ本。

『袋小路の男』絲山秋子(講談社/2004)
壁投げつけ本その二。いや、申し訳ない。でもつまらん男の話はつまらんよ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/08

タブッキ、マンローほか

Img_0151

年々、本を読まなくなる。

読むのはもっぱら図書館の本だが、2週間の借り出し期間に、せいぜい3冊か4冊かというていらく。読み切れずに借り出し延長することもしばしばだ。

少ないなりに、なかには面白い本もときどきあるのだが、いちいち感想めいた文章をブログに載せるのも、なにかいまさら、という気持ちがつよく、それきりになってしまうことが多い。

まとまった文章を書くのはめんどくさいが、せっかくだから読んだ本をメモ代わりにここに書いておくことにする。図書館のローテーションである直近2週間に読んだ本、という内容です。

『海の仙人』絲山秋子(新潮社/2004)

最近のお気に入りの作家。なまぐさくない男と女の友情めいた関係というのが、この人のモチーフのひとつのようだが、そういう人間関係自体に、あんまりリアリティは感じない。悪くはないのだけれどね。

『寝る前5分のモンテーニュ「エセー」入門』アントワーヌ・コンパニョン(白水社/2014)

もともとはフランスのラジオ番組の台本。訳は本文が山下浩嗣、エセーの原文が宮下志朗。宮下訳の『エセー』は全7巻のうち、たしか5巻まで刊行されているはずだが、残念ながらこちらの図書館には在架していない。奈良県立図書情報館を使っていた頃に3巻までは読んだ。4、5巻を読みたいがよその図書館から取り寄せてもらうか。

『善き女の愛』アリス・マンロー/小竹由美子訳(新潮社/2014)

オープンエンドという小説の手法がどうも苦手で、ええい白黒はっきりつけてくれ、という単純読者なので、正直なところこの手のブンガクはあんまり好みではない。しかしたまに高級な短編小説を読みたくなる。(著者は2013のノーベル文学賞)「善き女の愛」「ジャカルタ」「コルテス島」「セイヴ・ザ・リーパー」「子供たちは渡さない」「腐るほど金持ち」「変化が起こるまえ」「母の夢」の8篇。表題作はオー・ヘンリー賞受賞作だが、いまひとつぴんとこないな。まあ、雰囲気はあるけど。

『イザベルに ある曼荼羅』アントニオ・タブッキ/和田忠彦訳(河出書房新社/2015)

今回の4冊の中では、これがいちばんよかったな。この作家は『さかさまゲーム』『インド夜想曲』『島とクジラと女をめぐる断片』などを読んだことがあるけれど、これまた記憶に残りそうな作品。タブッキは2012年に亡くなっていたらしい。本書は死後の刊行。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年7月 »