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2015年11月

2015/11/24

モンテーニュほか

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『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』保苅瑞穂(講談社学術文庫/2015)

「エセー」を読むと、モンテーニュという人は、穏やかな日常を驚くほど大切にした人だという印象が強く(そして事実そのとおりだが)、この人が血みどろの宗教戦争の時代に生きた人だということをつい忘れる。本書(素晴らしい一冊)を読むと、そういう陰惨な内戦の只中にあったからこそ、ささやかな、日々の喜びを自分の館や領地の中に見出していたことが理解できるような気がする。モンテーニュの立場は旧教の側であることを明確にしていたけれど、何より人間の理性を重んじる思想家だった。新教であれ旧教であれ、宗教の名を借りた蛮行に対してはこれを非難した。当時どのような人間が跋扈していたのか。今と変わらない。以下本書よりエセーの一部引用。

その人間と言うのは、最悪の歪曲を行いながら自分は改革に向かっているとか、間違いなく地獄堕ちになるような明白この上ない原因を作っておきながら自分は救済に向かっているとか、あるいは神の庇護のもとに置かれている国や権威や法律を覆したり、母親の手足を引き裂いて、その肉塊を旧敵にやって齧らせたり、兄弟の心の中に親殺しの憎悪をたっぷり詰め込んだり、悪魔と復讐の女神に助けを求めたりしながら、自分は神の言葉の神聖この上ない慈悲と正義の手助けができるのだ、と本気で信じている人間のことである。

『ガリヴァーの帽子』吉田篤弘(文藝春秋/2013)

クラフト・エヴィング商會のことはぼんやりとしか知らない。本書の中では表題作である「ガリヴァーの帽子」、「イヤリング」、「ものすごく手のふるえるギャルソンの話」が良い。星新一のショートショートを少し優しくしたような感じとでもいうのかな。趣味の良い作家として覚えておこう。

『珈琲挽き』小沼丹(講談社文芸文庫/2014)

小沼丹の名前を初めて知ったのは、随筆でも小説でもなく、林語堂の『則天武后』の翻訳家としてであった。林語堂は米国でこれを英語で発表したから、英文学が専門の小沼が訳したのでありますね。本書の中に、この翻訳にまつわる話が出ていて、興味深い。ちなみにもらった「幾許かの金子」は一晩で飲んで「たちまち消えて跡型かも無かった」とありますね。出版社の事は「或る本屋」としているが、これはみすず書房ですな。



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2015/11/09

『密造人の娘』ほか

『密造人の娘』マーガレット・マロン/高瀬素子訳(早川書房/2015)
これは面白かった。ミステリとして、フーダニットの要素もきちんと押さえた上で、登場人物やアメリカ南部の空気をじっくり描いて、重くなりすぎず、軽薄にもならずのバランスがなかなかよろしい。1992年のアメリカ探偵作家クラブ賞、アンソニー賞、アガサ賞、マカヴィティ賞の4賞を取った作品だそうで、翻訳も1995年には同じ訳者で出ていた(ミステリアス・プレス文庫)のを新版にして再び上梓したもの。埋もれさせるには惜しいということだろうか。ただし、手に取ったのは、たまたまカバーのイラストが気に入ったからでありました。なんだかコミックっぽい絵柄がいいじゃないですか。

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『九死一生』小手鞠るい(小学館/2013)
はじめて読む作家。文章もうまいし、ストーリーも巧みだが、いまひとつひきこまれるパワーがない。奥付の著者紹介を見ると、ほぼ同世代。恋愛観にしても、死生観にしても、親近感を覚えるけれども、逆にそれが、だからどうしたの、という物足りなさにも通じるのかもしれんな。

『ウエストウイング』津村記久子(朝日新聞出版/2012)
これまたはじめての作家。「最寄り駅であるターミナル近くの、廃線になった貨物レーン地下の長いトンネルを抜けると唐突に現れる」四階建て地下一階の椿ビルディングの西棟に寄り集まる人々のゆるいオムニバス風のオハナシ。ターミナルというのは、具体的に書かれてはいないが、ほかの記述から大阪駅だろうと思われる。だとすると長い地下通路で大阪駅と結ばれたオフィス地域といえば、かつての仕事場のあたりのことか、と思って読むと懐かしくて面白い。


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