『ソ連史』松戸清裕(ちくま新書/2011)
『ソビエト連邦史 1917-1991』下斗米伸夫 (講談社学術文庫/2017)
とくに意識したわけではないけれど、今年はロシア革命100周年。ひとつの強大な国家が、人間の一生とほぼ同じほどの年月で、誕生し、そして死んでいった。
74年の歴史を一望したとき、ソ連という存在はただ「悪の帝国」として括ってポイすればいいのかというと、必ずしもそうではないような気がする。今の北朝鮮と一緒でしょ、と言われてはあまりに気の毒である。
上記の『ソ連史』の方で、意外だったのは、ソ連における選挙というのが、共産党の一党独裁だからいわゆる民主主義とは正反対のものかと言えば、必ずしもそうとは言えず、地方レベルでもあんまりおかしなのが立候補すると国民がそっぽを向いて投票しないので、中央も人間としてまともな、ちゃんとした共産党員を候補者にしなきゃならんかったという仕組みである。民主的な選挙で選ばれたらしい今の日本の国会議員を見て熟考すると、かつてのソ連をそんなにバカにはできない。
『ソビエト連邦史 1917-1991』は、上と同じくソ連の通史だが、少し変わっているのがスターリンの右腕として内政や外交を仕切ったモロトフを「補助線」にしているというところ。まあ、興味があれば、というところだけれど。ところでモロトフといえば、ああ、あのカクテルの人ね、ということで名前くらいは知っているが、具体的なところはほとんど知らなかったな。
この人のエピソードで面白かったのはこんな話。
スターリンが死んだとき、その葬儀当日がモロトフの誕生日だった。フルシチョフとマレンコフがプレゼントは何がいいと聞いたら、女房を返してくれと答えた。実は、モロトフ夫人ジェムチュジナはユダヤ人で、結婚前はウクライナの共産党書記、結婚後も政府の委員をするたたき上げのボリシェビキで、モロトフが外務大臣として1936年に訪米したときは一緒にホワイトハウスに招かれたこともある。ところが1948年の革命記念日に、そのときイスラエル大使としてソ連にきていたゴルダ・メイヤーとヘブライ語で親しく会話していたことがスターリンの疑念を招き逮捕、カザフに追放という処分を受けていたのだそうな。うーん、古女房を大事にするなんざ、女房と畳は新しいのに限るという感じのどこかの大統領とは違うね。
もっとも、モロトフいいやつじゃん、なんて思われてはいけないので、もう一つエピソードを。
ソ連の大粛清時代(1937年から38年)の記録がゴルバチョフ時代に公開されたが、ちゃんとした司法手続きを経た逮捕者の数がおよそ140万人、うち約69万人が銃殺された。このうちのある一日(1938年11月12日)を例にとると、スターリンとモロトフの二人だけで3167名への銃殺指示を出しているんだそうな。いや、はや。
コメント
大変面白かった。又合えたらいいな。パソコン初歩者。
投稿: あみさん | 2020/01/19 08:48