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2020/12/10

蕪村句集講義のこと

東洋文庫から出ている『蕪村句集講義』全三巻を読んでいる。
第二巻のはじめのあたり、碧梧桐筆記の前書き。

明治卅三年八月廿二日夜、根岸子規庵に会する者、鳴雪・主人・虚子・碧梧桐。蕪村句集上巻十八丁裏より一枚。主人は数日前喀血の事あつてより身体の疲労甚だしく、この夜輪講に加らず。傍に黙聴して、時々其意見を言ふに過ざりき。

この蕪村句集の輪講は明治31年の新年一月から始まって毎月子規庵に上記の人々を中心に数人が集まって議論を戦わしていた。子規年譜によれば明治33年(1900年)8月に大量喀血、翌34年より『仰臥漫録』が始まる。そういう時期に、しかしこの人々は時に激しく、時に破顔一笑しながら会を続けていたことになる。

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d)俳句」カテゴリの記事

コメント

もうブログはお止めになったのかと思っていましたが、ダメ元でクリックしたら3年半以上ぶりで書かれており、嬉しく思いました。他にもファンは多いはず、ぜひ続けて下さい。
蕪村は子規に言われずとも好きな俳人ですが、しかしそれ以上に、病気を押しての子規の生命力には驚きますね。

投稿: 我善坊 | 2020/12/31 22:20

我善坊様
お久しぶりです。
この『蕪村句集講義』では、鳴雪が翁ぶりを発揮して、なかなかいい味を出しています。王朝趣味や恋味を年寄りくさく口にしては、子規や虚子に反駁される様子が可笑しい。あるときは子規のあまりに強烈な反論を隣室で聞いていた家人(妹でしょうか)に、あのような口のききかたを古老にするのはあまりに失礼でしょうと窘められ、一筆詫び状を書いたことがその月の報告の追記にあります。鳴雪はむしろそれが楽しみだと笑って許しています。——というところで、念のため当時の彼らの年齢を確認すると、子規は32歳、虚子は29歳、対する鳴雪は、52歳。50代がもう立派な年寄りだったんですねえ。
本書の一番の見所は、子規の死のわずか9日前に開かれた輪講で(子規のたっての希望で枕頭で行われた)取り上げられた蕪村の句のうちの一つが以下のようなものであったことでしょう。
「四十にみたずして死なんこそめやすけれ」との前書きを添えて一句
「あだ花にかかる恥なし種ふくべ』
徒然草にもあったように仇花は実のならない花ですぐに散る。子もなさず四十にもならずに死んでいくようなものだが、これに比べてタネをとるために永らえる種瓢箪は生き恥を晒しておることよ、といった注釈を虚子が淡々と語り、鳴雪が、いかにもわしは種フクベのように野暮なものじゃ、と呟く場面でしょうか。死に行く子規の枕元で、こんなやり取りをしていたんですね。凄まじい友情。

投稿: かわうそ亭 | 2021/01/01 10:22

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