e)短歌

2013/01/25

鉄の爪

「眠ってた?ゴメンネあのさ手で林檎搾るプロレスラー誰だっけ?」
   穂村弘(ドライ ドライ アイス)

ええと誰だったかなあ、と記憶の底を探って、アイアンクロー、鉄の爪・・・・なんたらエリック、までは思い出せたが、そこでストップ。ググればすぐに判明することだが、こういうのど元まで出かかった言葉をたぐり寄せるのが惚け防止になるんじゃなかろうか、と、これは勝手な思い込み。
結局、一日かけてどうしてもE.H.エリックの動く耳しか、灰色の脳みそから搾り出せんかった。(笑)同年輩のみなさん、いかがですか?
正解はもうわかってますが、Wikimedia によれば、幼い子供たちと一緒に来日したとき広島の原爆記念館につれていったエピソードがあった。ヒールって、たいていいい人なんだよな。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/12/10

追悼・丸谷才一2

12月号の「短歌」に岡野弘彦が、「俳句」に長谷川櫂が、それぞれ丸谷才一への追悼文を寄稿している。
岡野さんが歌壇を代表して追悼を寄せるのは当然だが、長谷川さんとはどういうお付き合いがあったのか、わたしはまったく知らなくて意外に思った。その長谷川さんのことはあとで書くとして、まず岡野さんの追悼文から。

短歌にはあまり関心のない読者であっても丸谷ファンならば、岡野弘彦という歌人は、安東次男亡き後、大岡信を捌きとする歌仙の連衆としておなじみである。また、丸谷さんのエッセイを愛読している読者ならば、この人が折口信夫の晩年をもっともよく知る弟子であり、またかつて丸谷さんの國學院大学時代の教師仲間であったエピソードをよく知っているはず。
ということで、岡野さんの追悼文も、この國學院大学時代の思い出が語られている。
それによれば、丸谷さんが國學院に英語教師として赴任してきたのは昭和29年。折口の死の翌年のことだったという。その当時の國學院の若手の語学教師陣はすごくて、英語が丸谷、独語が中野孝次に川村二郎、仏語は橋本一明、飯島耕一といった顔ぶれであった。なんとまあね。
外部からは、國學院は西欧文学科をつくるべきだという助言もあったそうだが、いろいろあって実現はしなかった。
当時、大学図書館の司書室の一角には有栖川宮家から御下賜の重厚な丸テーブルがあり、上記のような連中が、ここで論談を繰り返していたというのですね。若い丸谷さんたちは、司書室で堂々と酒盛りをしていたのでありますね。岡野さんによれば、ひそかに自分たちのことを「円卓の騎士」と呼び合う仲間であった。(笑)
長谷川櫂の追悼は、エントリーをあらためて。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/10/30

藪内亮輔さんの短歌

今年の角川短歌賞の受賞作「花と雨」を読む。「角川短歌」11月号。
受賞者は藪内亮輔、1989年生まれとのこと。ときどき図書館で短歌雑誌をぱらぱらとめくって眺めるくらいの人間なので、えらそうなことを言うつもりはもちろんないのだけれど、めずらしく冒頭の一首から最後までの五十首をじっくり読んで——そしてめずらしく感動した。これまでの受賞作、五十首もあるとふつうは途中で飽きて飛ばし読みしてたのだけれど。

冒頭の一首——

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく

多くの短歌好きは、ここで小池光の「バルサの翼」を思い出すのではないか。

雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ
(小池光「バルサの翼」/1978年)

作者がこの歌をふまえているのかどうかわたしにはわからないし(たぶんそうだろう)、34年も前の若い歌人の心象にどう作者がこたえようとしたのかもわからない。
ただどちらもいい歌だなあ、とこころをゆさぶられるだけでいいのであります。

気に入った歌をいくつか抜いてみる。

あなたには深くふれないやうにして雨のくだける夕ぐれにゐる
春のあめ底にとどかず田に降るを田螺はちさく闇を巻きをり
みづからを抱くかたちに蛇がゐてしずかなりさくらばなは降りつつ
おまへもおまへも皆殺してやると思ふとき鳥居のやうな夕暮が来る
雨といふにも胴体のやうなものがありぬたりとぬたりと庭を過ぎゆく
雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください

例によって選考委員会の模様が収録されているのだが、委員のひとり永田和宏の発言を読んでいて、驚いた。4人の選考委員(永田、島田修三、小島ゆかり、米川千嘉子)全員が◎をつけたというのだ。えっ、と前の方の頁をくって見ていなかった候補作と予備選考のマトリクスを確認する。たしかに委員全員が横一列に◎をつけている。こんなの見たことないな、と思ってまたもとにもどって続きを読むと、永田が、五十八回の角川賞のなかで初めてじゃないかと言っている。
うーん、そうなのか。

もうひとつ。この「花と雨」という題は、受賞作にしてはどうも地味な邦画のタイトルみたいでなんだかなあ、と思ったのだが、やはり永田が「タイトルはあまりよくなかった」と言っているので、なんだかおかしかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012/08/17

しづかな眸とよい耳

梨木香歩の『f植物園の巣穴』(朝日文庫)を読む。『家守綺譚』や『村田エフェンディ滞土録』と同系列のオハナシ。個人的には終わり方がアレでなくてもいいのになあ、と思ったが、まあ、そこは好きずき。
この人は草木や樹木について書かせるとほんとうにうまい。今回はなにしろ植物園の園丁が主人公だからなおさらだ。
しかし、今回、書こうと思ったのは、じつはこの小説についてではないんだなあ。

角川「短歌」8月号の特集「河野裕子のボキャブラリー」に梨木香歩が「発見する力」という文章を寄稿しているのだが、これがとてもいいのだ。

捨てばちになりてしまへず 眸のしづかな耳のよい木がわが庭にあり
『歩く』河野裕子

河野裕子が詠んだ歌のなかでも、そらで口に出すことのできる数少ない一首だが、はじめて読んだときから気になって仕方がない歌だった。意味がよくわからないのに、なぜかひかれるということがある。今回、短歌の専門誌で、歌人ではない梨木さんがこの歌を取り上げていることに不思議な驚きと感動があった。少々長いが、冒頭から前半分位を引用する。

一読の印象で、「わが庭」ということばを、家の庭、家庭とまっすぐにとらえ、ああ、そういう「木」がすうっと一本、確かに真ん中に立っている、と心のどこか、合理性の枷の届かぬところで深く納得した。その「木」のもつ「眸」は、ふと気づけば離れたところで黙ってこちらを観ているわが子の目の中に在ったり、その「耳」は、一人遊びをしながらも何が起っているのか感受しようと全身をそばだたせているようなわが子そのものに在ったりする。そして誰もいない午後、畳の上に、そんな「木」の長い影が浮かぶ。
梢は荘厳な光をもとめて天上世界へ届き、根は地獄の畜生道にまで達してなお暗闇を探るような、そういう「木」。家庭とは、そういう木をはぐくむ神聖な場所でもある。その「木」の視線を感じているから、生活には「捨てばちになり」えない。あだやおろそかに手を抜いて、投げやりに処せない。研ぎ澄まし、澄んだ心で対峙する。
なんだかこんなことが、初読のとき一瞬にして伝わってきた。そしてその印象は、それから幾度読み返しても変わることはなかった。

ああ、そういうことなんだよな、と長い間の問いに答えがみつかった喜び、いや、こうしてこころの片隅にこの歌を持ち続けた自分をねぎらうようなおかしな気分。
あえてつけくわえれば、この歌をわかりにくくしているのは「捨てばちになりてしまへず」という措辞だと思う。捨てばちにならず、と言うのではない。捨てばちになったってもう仕方ないじゃないかという、悲しみや苦しみや絶望のなかで、いったんは捨てばちになろうとしたんだよ、でもなってしまうことはできなかったよ。だって家族が自分にはいたのだから、ということなんだと思う。
重いけれど、深い共感をさそう一首だと思う。
それを解きほぐした梨木香歩の鑑賞は見事。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010/04/17

『遊星の人』多田智満子

巻末の高橋睦郎による「心覺えに」から。

二〇〇二年秋、すでに遠くないこの世との別れを覺悟した多田智満子に、託されたものが四つあつた。
一つ目は句稿。これはその後何度か通ひ、膝づめの共同作業で手を入れ、遺句集『風のかたみ』として、翌年一月二十五日・二十六日の通夜・葬儀參列者に配つた。題名も故人の意志による。二つ目は詩稿。これは高橋の責任においてまとめ、葬儀次第二册本にして書肆山田から一周忌に合はせて出版した。遺詩集『封を切ると』である。題名は詩稿中の詩行から高橋が恣意に選んだ。
そして、三つ目が歌稿。これも高橋の責任において編集した。すなはち、この歌集『遊星の人』である。

以前、多田智満子と高橋睦郎のことはこちらに書いた。とくに私自身がくわしいわけでもないのだけれど。
今回は、こころに残った歌をできるだけたくさん書き写したいと思う。

鈴懸は何科ならむと植物の圖鑑開けばスズカケノキ科

身のあはひ風するすると抜けてゆく半身は海半身は山

まどろめば鬱金空木のうつらうつら咲くやほのかに眼裏を染め

鐵塔に高壓線は唸りつつ凩山の稜線を切る

夜の果に穴あり道路工事中赤きランプの圍める秘密

水死者は黒髪ひろげうつ伏せに夜の水底にまなこひらける

六連發ピストルのなか輪になりて六つの夢のあやふく眠る

父もはや文字が讀めずと送り來ぬ漢詩數巻秋深むころ

晩く生まれいとほしまれしわれならば遂に見ざりき若き父母

古き海山に昇りて凝りしやアンモナイトは渦潮の形

山深きアンモナイトは幾重にも渦まき過ぎし海の疑問符

裏木戸に見憶えもなき草箒前世に誰ぞ置忘れたる

山頂より裾野めがけて駆けおるる瀧よ孤獨なる長距離走者

みどり濃きこの遊星に生まれきてなどひたすらに遊ばざらめや

ちなみに高橋が託されたものは四つあったと書かれていた。句集、詩集、歌集……残るひとつは能楽詞章「乙女山姥」であるそうな。
本書には別冊の栞が挟まれており、岡井隆、小島ゆかり、穂村弘がそれぞれ一文を寄せている。穂村の感想が面白かった。いわく「歌人の作に比べて、日常の現実から象徴次元へ飛躍するための助走距離が短く、且つ、その通路が透き通っているようだ。」 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/03/09

英訳サラダ記念日

「短歌」3月号に俵万智と三枝昂之の対談が掲載されている。昨秋の国際短歌交流大会での公開対談を起したもののようだ。「haiku」のほうが、外国での認知度は高いと思うけれど、短歌の方も日本歌人クラブに短歌国際化推進部なんてものを設置しているんですね。ふーん。この対談で、俵万智の歌集『サラダ記念日』が英訳されていることをはじめて知った。たとえば—

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

には少なくとも三つの英訳があるそうで、丸写しで恐縮ですが、上から順番にA.クラストン、J.カーペンター、A.スタムの翻訳。

(1)
"Hey, this is great!" you said,
and so,
henceforth July the sixth shall be Salad day.

(2)
"This taste great." you said and so,
the sixth of July our salad anniversary.

(3)
Because you told me,
"Yes, that tasted pretty good."
July the sixth
shall be from this day forward
Salad Anniversary.

当日の会場にいたアメリア・フィールディングにも意見をもとめて、彼女の訳も紹介されている。こういう訳だ。

(4)
This taste good you said, and so July sixth became the salad anniversary.

俵万智本人は、英語は散文ならば読めるけれど、詩として味わうのはできないから、どれがいちばんよいかはわからないというような意味のことを言っている。
わたしの見るところ、おそらく日本人は(4)がいちばんオリジナルに近いような感じを持つのではないかと思う。しかし、単純にどの訳がいちばんいいか、というのはなかなかむつかしい。というのは、日本語の短歌のリズムや息づかいを、別の言語である英語にいかにうまく移すかというのがポイントと日本人のわれわれは考えがちだが、反対に英語圏の翻訳者は短歌を正統的な英詩の表現にまとめあげて、違和感のない英詩として読者に読ませることを翻訳のポイントにする場合もあるだろうからだ。
英詩の場合は、弱強格だとか弱弱強格だとか、さらに二歩格、三歩格なんてリズムの種類で、たとえばああこれは弱強五歩格の詩だね、なんてやるのだと思うので(もちろんわたしはぜんぜんわからない)どうしてもオリジナルの短歌の息づかいとは、おのずと変化せざるを得ないのではないかと思うなあ。



| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009/09/24

俵万智のいつも恋

俵万智の短歌はむかしから好きで、新しい歌集が出ればかならず目を通して来たし、月刊の短歌雑誌をぱらぱらと拾い読みするときも、彼女の作品を見つけたら手をとめてゆっくり読み始めることが多い。ああ、うまいよなあ、といつも思うのだ。
もっとも、短歌は好きだが、作者のほうは、わざわざややこしい生き方を選んで、それを売り物にしているように見える(実際はもちろん違うのでしょうが)ところがあまり好きになれない。そういう生き方をしても似合うような人と、そういうタイプじゃない人が世の中にはいて、この人はどうみても、外見的にはそういうタイプの人ではないと思うので、なんだかイタいのでありますね。すみません。

デビュー以来の歌をまとめた自選歌集『会うまでの時間』と、息子の誕生と子育てをテーマにした『プーさんの鼻』が出たのが2005年の10月。とくにプーさん以後は、微笑ましい子育て短歌を雑誌などで読ませてもらって、まあそういう境地も悪くはないかと愛読者としては思って来た。
この間の作品としては、たまたまノートに書き写したものがあったので、ここにまとめておく。
まず「短歌研究」の2007年6月号から抜いたもの。題名は不明。

ボタンはめようとする子を見守ればういあういあと動く我が口

「オレはジャイアン、オレはジャイアン」と歌えどもどこから見てもおまえはのび太

子どもだましにだまされるのが子どもにてタコさんウィンナーうさぎのリンゴ

子の声で神の言葉を聞く夕べ「すべてのことに感謝しなさい」

トランポリンがそんなに好きかいつまでもとらんぽりんと五月を弾む

つぎは2008年の1月頃のノートから。やはり短歌誌から抜いたものだろうと思う。これはいったい誰かなあ、と想像し、歌壇に多少の知己のあるらしき人から、じつは○○らしいよ、と言われ、へえ、じゃあ、この子が大きくなってまた歌人になったらすごいね、なんて話したが、これはどうもガセらしくも思われる。まあ、そんなことはどうでもいいことだが。

静かなる時満ちて幼児洗礼の儀式はつづく朝の光に

この子の洗礼望みし人は今病床にあり、秋は青空

最後は、ただ一首のみをノートに書き写している。ほかはあんまり気に入らなかったのか。2008年の7月頃の筆記である。

我が腕に溺れるようにもがきおり寝かすとは子を沈めることか

昨日、ちとカフェで時間をつぶすことになり、手元に読むものがなかったので、本屋で「歌壇」(本阿弥書店)の10月号を買った。
「レインシャワー」という題で俵万智が20首発表していた。
読んで驚いた、ありゃありゃママいったいどうしたの、というような大胆な恋の歌であります。

それは五月、三宿の小さなフレンチの窓際の席予約するなり

約束の時間に向かって秒針が前のめりなる円を描くよ

金曜の世田谷通り紫のプラダの靴が似合う君なり

つま先にコバルトブルーのペディキュアを隠して夏の到来を待つ

雨垂れを模したるシャワーの水やさし君を遠くに連れてゆきたし

ミルク色のシルクのシャツを着ておれば「ヨゴシテミタイ」と動く唇

面痩せて眠る横顔 泥つきの茗荷のような男と思う

遊園地 どこにも行けぬ乗り物を乗り継いでゆく秋の一日

Rainshoer 題名の「レインシャワー」はたぶん五首めの「雨垂れを模したるシャワー」ですが、最新のシティホテルなどで使われているちょっとした贅沢なやつですか。なんだか、一気にバブルの頃のいけいけカムバックみたいな短歌だなあ。
作品と作者の実生活を混同するアホな読者がいると嗤われそうですが、それにしてもこの間のシングル・ママと坊やのやや翳りのあるほのぼの短歌にひそかな応援を送っていたお父さんとしては、ちと複雑な心境なのよね、ホント。(笑)

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2009/09/16

保田與重郎の短歌

ある方が保田與重郎文庫の『木丹木母集』を貸してくださる。自分で探して読もうとすることは今後もまずないと思うので、これもやはり縁であります。
本書は保田の(おそらく)唯一の歌集。
本書の「あとがき」の一部をひく。

この、「木丹木母集」は、昭和改元當時から、昭和四十五年迄の作歌を集めたもので、その殆どは今度初めて印刷に附すものである。(中略)歌に對する私の思ひは、古の人の心をしたひ、なつかしみ、古心にたちかへりたいと願ふものである。方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌をつくるのではない。永劫のなげきに貫かれた歌の世界といふものが、わが今生にもあることを知つたからである。現在の流轉の論理を表現するために、わたしは歌を醜くしたり、傷つけるやうなことはしない。さういう世俗は私と無縁のものである。私は遠い祖先から代々をつたへてきた歌を大切に思ひ、それをいとしいものに感じる。私にとつては、わが歌はさういふ世界と観念のしらべでありたいのである。

わたしは部外者だから気楽なことを言うが、現代の歌壇は、まさに「方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌をつくる」人々とその人々が主宰する結社のものであるようにも思える。だから保田のこの歌集は、今読むとひたすらになつかしく、同時に(皮肉なことに)新鮮で個性的なものに思える。
気に入ったものをいくつか抜く。

押坂の古川岸のねこやなぎぬれてやさしき春の雪かな

さゝなみの志賀の山路の春にまよひ一人ながめし花ざかりかな

山かげを立のぼりゆくゆふ烟わが日の本のくらしなりけり

けふもまたかくてむかしとなりならむわが山河よしづみけるかも

夜もすがら ふゞきし雨の 朝あけて松葉にたまり しづくする音

猪飼野にいさゝ秋風風立てば生きざらめやも生きてありしを

短夜のはやばやしらむ木下闇目にしみてしるきくちなしの花

解説の山川京子によれば「木丹」は梔子、「木母」は梅と教えられたとのこと。解説の結びは次のようになっている。

「くちなし」は若くして亡くなられた三男直日さんの象徴であり、典子夫人の歌集の題名なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/02

谷川健一全歌集

『谷川健一全歌集』(春風社)を通読する。ちと重い読後感。

谷川健一は『魔の系譜』、『白鳥伝説』、『うたと日本人』などを読んだ。熱心な読者とは言えないが好きな著述家のひとりだ。弟の詩人谷川雁などとともに水俣の開業医の家に生まれた。

この人については今年の宮中歌会始の召人に選ばれたことを新聞の記事で知った。
水俣は谷川の故郷だから、1998年刊の第3歌集『海境(うなさか)』に「水俣」と題する連作がある。
二首だけ抜いてみる。

かしこきやわがふるさとの海やまに血塗られし手の匂ひは消えず

春の日のうつつにおもふそらまめの花のごとき上村智子

上村智子(かみむら・ともこ)はユージン・スミスの写真で知る人は知るであろう。いまはこの写真は公式には使われない。(こちら
歌会始の召人は今上が指名すると聞いているが、東宮妃の母方の祖父がチッソ社長の江頭豊であること、そして谷川が上記のような歌を詠んでいることを考えると、なにかぼんやりとおかしな考えも浮かんでくるのだが、まあ、妄想であろう。

『海境』の「あとがき」にはこのようにある。

前歌集の『青水沫』(一九九四年七月刊)を上梓してから四年の歳月が経っているが、その間、日本の状態は悪化し、私の身辺にも不幸があり、本歌集全体にどこか挽歌の雰囲気がただよっている。

その日本への挽歌が、読後の重い気分をさそう。

秋雨に木犀重く匂ふ夜は矢野玄道の歎きをおもふ

木犀の金のかをりの重さにも比へる日本の誇死にたり

日本の誇消ゆる日わが胸の奥処に雪崩とどろきやまず

稲妻と差し違へつつ辛酉の年にかへれと虹に叫びぬ

飛鳥仏ほほゑむ春を繭ごもりひそかにうたふ日本挽歌

日本の命運もはや尽きたるかと問ふがにつくつく法師頻き鳴く

わが庭の青樹を枯らす蝉時雨いまこそ日本挽歌をうたへ

日本のその日ぐらしの夜の果に馬鹿なひぐらしの声聞くは憂し

日本といふ異土にわが死すひぐらしの死骸ころがるそのまた上に

ひとつきのたそがれの酒なさけあり日本の命運しばし忘れむ

大麦の黒穂の芒に刺され死ぬ王のいのちを予言す虹は

黒き虹月呑むときに現はるる世紀の蝕ははや始まれり

さらば祖国睫毛に張りし薄氷のとけざる間に別れを告げむ

さらば祖国真黒き魚のはらわたを踏みゆく日々に別れを告げむ

ローマもまたかく滅びしか冬の日に季節はずれの南風の吹けば

これらの「挽歌」からすでに10年以上がすぎた。
今年の歌会始(題「生」)で谷川健一が詠んだのはこんな歌であった。

陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中に春の潮生れて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/07/29

時事の短歌二首

角川「短歌」8月号、今野寿美「ながめ」より時事の二首。

アクセントは「よ」なりや与謝野財務・金融・経済財政担当大臣

たえだえの息ざしさへも遠ざけて學燈社「國文學」休刊

いま現在の与謝野馨の肩書きは財務省のホームページによれば「財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融)」となっておりますが、たしか6月までは「財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融・経済財政政策)」であったはずですね。英語では、Minister of Finance and Minister for Financial Services and Economic and Fiscal Policyとなりまして、なんだかなあ、なんですが、それはそれとして、たしかにテレビでは「ヨ」サノ財務大臣と発音することで共通化しているようですね。
かれの祖父母である与謝野鉄幹と晶子については、少なくともわたしはむかしから、ヨ「サ」ノテッカン、ヨ「サ」ノアキコと口にしています。夜半亭与謝蕪村はさてどっちだろう。たいらに発音しているような気がするが、あえていえばやはり「サ」にアクセントを置くかたちだろうか。
ま、どうでもいいことですけれど。

2009729_3 學燈社の「國文學」はちょっと気になったので、図書館で手にとってみた。
7月号の奥付のページに、「諸般の事情により休刊」の告知が出ていて、編集後記に以下のような文言が並んでおります。

いまからさかのぼること五十四年前、昭和三十一年、創業者、保坂弘司の編集のもと、雑誌「國文學」は誕生しました。第一巻第一号、つまり創刊号の特集は「源氏物語の総合探求」。以来、多くの読者、研究者の方に支持されながら、「國文學」は文学研究に欠かせない雑誌となってきました。その歴史にいま一つの幕が降りようとしています。

べつに定期購読者でも愛読者でもないわたしが偉そうなことを言うつもりはないのだが、たまたま自分の年齢と同じ雑誌が「諸般の事情」で終るというのもなんだかさびしいものだ。
學燈社というと「學鐙」という冊子を思い浮かべる人がいるかもしれないが、これは丸善のPR誌で別のもの。字も違いますね。初代編集長は内田魯庵という老舗ですが、こちらはまだまだ健在で続くものだと思いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧