今回の短歌研究新人賞の選考委員は以下の6名。
岡井隆
佐佐木幸綱
馬場あき子
高野公彦
石川不二子
穂村弘
前回述べたように、約520編の応募作を、作者名などを消した上で、年齢、性別などの偏りを極力排して均等にわけて一次選考を行う。小説の新人賞などの場合は、選考委員が応募作全部を読むわけにはいかないので、下読みを専門にやる人がいるように聞いているが、短歌の場合は、選考委員が分担して全部目を通すということらしい。
計算すると一人の選考委員が87編くらいの作品を読むことになる。なんとなく信頼できる弟子なんかに下読みをさせているんじゃないかなあ、とわたしなどは勘ぐるが、これはあくまで推測。
「短歌研究」の説明によれば、選考委員は一次選考として、自分が分担した応募作の中から、4編を選び、1位から4位までの順位をつけて、第二次選考に上げることになっているそうである。
6人の委員が4人の候補者を出すということは24人が最終選考に進むことになるはずだが、今回は25人が候補となっている。説明をよく読むと一人の委員が5名を推薦したと書かれている。(これについては最後にわたしの考えを書く)
さて今回の応募作のうち最終選考にのこったこれらの25人の作品については、一人を除き、ここでは取り上げない。同時代の短歌のもっとも生き生きとした動きは、このレベルの作品群にあるのだろうなあ、と観察し納得もした、とだけ感想を書いておく。
ということで、わたしは最終選考には惜しくも進めなかった佳作のなかで、これはいいなと思ったものをここで取り上げようと思う。三人、おられる。3首ずつ抜いてみる。
井ノ上法子 平2生 高校生(所属なし)
一瞬が冴えゆく今朝の花冷えの四月は堕ちる夢をよく見る
叶わない夢を知ったよ微笑んで待っても咲かない薔薇の芽を捥ぐ
不器用なわたしのためかいつまでも咲かないあれは誰のひまわり
敷田千枝子 昭11生 主婦(泱・運河)
鎮めかねる心に摘めば山椒の香は指先をきしきしと刺す
散骨を望む方針に変はりなし今日の終はりに一行記す
春菜茹でる厨に平穏なる日々よ還りこよ無傷のこころ伴ひ
深森未青 昭36生 会社員(日月)
社殿なか蝋燭灯は点き消えぬわれはなににも待たれてをらず
放擲の儀式のための暗い部屋青磁の馬が夜ごと訪ひくる
さざめきて高い円柱を立てませうその先端に月を召ぶため
(円柱:ポール)
上記の最終選考に残った25人のなかで一人だけは選考委員が選考規程(一人4編)をまげて候補に入れたということを上に書いた。少々思うこともあるので、最後にこれについて書いておきたい。この人がそれであるという証拠はなにもないのだが、たぶんこれだろうな、と思える作品がある。
誌面には10首掲載されているが、6首をここで紹介する。
「追憶―広島」
加瀬和男 昭8年生 奈良市 元会社役員(房)
焼き付きし着衣の柄を背に残す女蓮池に死にてゐたりき
溢れきし口いつぱいの黝き血を両掌のなかに吐きこぼしたり
全身の絶える間のなきけいれんに口も歪みて開かずなりぬ
我が走る足にケロイド無き夢の覚めて悔しき思ひ募り来
我が姉の死にしあたりか原爆のドームに近き場所に佇む
原爆の朝人多く死にてゐし蓮池あとに家建ち並ぶ
思うことと言うのは、たいしたことではないのだが、こういう短歌を前にすると、アンドロイドがどうしたこうしたとか、機兵士がなんたらかんたらとか、記憶チップがほおやれほう、というような短歌がどうでもよくなるなあ、ということ。
ただ、これを新人賞の応募作としてもってこられても選考委員は正直困るだろうなあ、と思う。
「空気読め」という言葉には、おおげさに言えばファシズムの響きがある。
しかし、まあ、そういう気分もときどきおこるのも事実で、わたしは、今回の応募作を何百首と通して読んで、正直、こころをゆさぶられたのは、この方の「追憶―広島」だけなのだが、しかし、あのですねえ、ここはそういうのを出されても、ちょっと困るんですよねえ、うーん、という気分もあるのですね。あくまで気分としてであって、その気分についても、いやそういう気分がもしかして問題なのかなあ、という微妙な思いもある。つまり、この方の作品を、あえて最終選考作品のなかに並べるというところが、すでにひとつの批評になっていると言ってもよい。
最終選考に残った人のなかで、この人にだけにはだれも票を投じていない。
わたしの考えでは、おそらく誰かが(岡井さんだとわたしは思うが根拠はない)「これはまあ、今回の新人賞の候補作に入れるのはまずいだろうが、わたしのわがままとして、どうか最終候補作の最後に掲載してほしい」とでも言って頭を下げられたのではないか、と想像する。
そして、そうであろうとなかろうと、この作品を誌上で読む機会が得られたことを、わたしは心からよいことであったと思うのであります。