5)国際・政治・経済

2008/02/05

アメリカ

フェルナン・ブローデルの『文明の文法 2』(みすず書房)より、アメリカの南北戦争についての解説。

  1. 工業地域の北部は高関税政策を求めたが、綿を輸出する南部はむしろヨーロッパから品質もすぐれた工業製品を輸入する方がよいとし、門戸開放政策を主張した。
  2. 紛争の政治的側面—権力を争う共和、民主の二政党は、それぞれ南部連合の民主党、北軍派の共和党と分かれ、対立した。
  3. この対立は、西部に創設された新しい諸州がどちらのブロックに帰属することになるのか、という争点をはらんでいただけに、いっそう激しいものとなった。
  4. 現実にこの危機はひとつの深刻な問題をなげかけていた。つまり、連邦に統合された個々の州は、連邦の中央政府によって決定されたあれこれの諸施策に反対することができるのか否か、またそうした諸州は連邦を出る、すなわち離脱する権利があるのか否か、という問題であった。〔南北戦争は「離脱(脱退・分離)戦争」とも表現される〕

奴隷制度廃止をめぐる対立から内戦(1861年-1865年)に突入した事態は、かようの背景が表面化したものであったと説明する。

さていよいよスーパー・チューズデーである。

わたしの予想は、オバマの勝利だろうというものだ。さして根拠はないが、ヒラリーにたいしては嫌いな人は、ほんとうに大嫌いという人が多いらしいからだ。現にわたしも一人、知っている。"She rubs me the wrong way."とわたしに顔を思い切りしかめて言いました。(笑)
もうひとつ、去年の「Foreign Affairs」( July/August 2007)に、オバマが寄稿した「Renewing American Leadership」という論文が感銘深かったことがある。もちろん、全部彼が書いたとは限らないだろうが、控えめに言っても、これはかなりの政治家である。演説も巧みですね。大阪府知事になった橋下氏の街頭演説をテレビで見てたら、演歌歌手がステージでコブシをきかせているみたいでびっくりしたが、ああいうバカ丸出しの絶叫とオバマの雄弁な演説を比較すると、一流の政治家の資質とはどういうものか、三流の政治屋の質の悪さがどういうものか如実にわかるような気がする。

若い黒人(ただし彼はかつての奴隷の子孫というわけではないようですが)政治家がアメリカの統合、再結束を訴えて、一気に大統領候補にまで駆け上がる、というのもまた歴史の面白いところでありましょうか。

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2008/01/17

人それをカモと呼ぶ

金余りのアラブの王族やら中国の共産党が、外貨準備を大胆に運用する政府系ファンドというのが、なにやら射倖心をあおったのか、自民党のなかでこの日本版を創設しなきゃいかんという議論になってるそうで。

自民党の山本有二前金融担当相と田村耕太郎前金融担当政務官は5日、東京市場の国際競争力強化のため、日本に政府系投資ファンド(ソブリン・ウェルス・ファンド=SWF)を創設することを求める議員連盟を党内に設立した。参加者は42人。来春をめどに中間報告で提言する考え。
自民党の議連の名称は「資産効果で国民を豊かにする議員連盟」で、山本前金融担当相が会長、田村前政務官が事務局長を務める。政府系ファンドは、シンガポールで実績があるほか、外貨準備を膨らませる中国や中東の産油国などが相次ぎ設立している。
5日の党本部の設立総会には、渡辺喜美金融・行政改革担当相が出席し、「官と民の資産をどう運用していくかがこの議連の眼目だろう」とあいさつした。そのうえで、官から民への資金の流れを進めるとともに、1550兆円の個人金融資産の活性化によって「(金融担当相と行革担当相の役割は)コインの裏表の関係でやる」との考えを示した。
(ロイター)

「資産効果で国民を豊かにする議員連盟」という名前からしていかがわしさ全開だが、連想するのは、ばあちゃんの貯金をちょっと貸してくれたら競艇でばっちり稼いで楽をさせてやるからなというあんちゃんたちであります。そういうあんちゃんたちに限って、なぜかエルメスだのルイヴィトンだのブランドものが大好きというのも、政治家のみなさんに似ている。

お役人様におまかせして大丈夫でごぜえますか、と百姓のひとりとしてはいささか心配だが、なにそういうのは外国からプロ中のプロを集めてこのファンドを運用させるから大丈夫なんだよ、と胸をはっていらっしゃるとか。

「フォーヴス」でビル・ゲイツと一、二位を争う資産を、まったくのゼロから一代で築いたウォーレン・バフェットという投資家の神様みたいな人がおりますが、この人があるとき、こんなことを言ったそうな。

ポーカーのテーブルについて15分たって誰がカモだかわからなかったら、あんたがカモなのだ。

笑ってみていていいのかどうかわからないが、「資産効果で国民を豊かにする議員連盟」なんてのはカモの中のカモであることは、いくら素人のわたしにだってわかるぞ。

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2007/12/16

Like A Rolling Stone

iTunesのデータを再構築したときに再生回数のデータを捨ててしまったので、毎日の通勤のときにiPodでシャッフルしながら、もういちど全曲聴いているのだが、なかなか全部終わらない。
今日は日曜日なので空いた電車で、半分眠りながら聴いていたら、ボブ・ディランのLike A Rolling Stone になって、つぎの一節が耳に突き刺さった。

After he took from you everything he could steal.

深い理由はない—いや、ないこともたぶんないが、このときに瞬間的に一人の男の顔が頭に思い浮かんだ。
御手洗冨士夫・キヤノン会長(日本経団連会長)である。

「やつはお前からすべてを奪ったあとで、まだ盗むことができたのさ」

家に帰って、NHKを見るともなしに見ていたら、ワーキングプアをテーマにした番組。
人間の評価は安易にするべきことではない。社会問題も単純化するべきものではないかもしれない。
しかし、昨今の財界の言説のえげつなさは、目に余ると言われても仕方あるまい。
やつらは盗んでいるんだ、ということが広く社会の共感を得る時代がきているのではないか。すくなくとも、わたしはそういうプロパガンダに対して、以前のように冷ややかな反感はおぼえない。

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2007/10/05

なんぼ英語がペラペラかて

前回のお話の田中訪中と日中国交回復は1972年9月のできごとですが、日本の親分のアメリカのほうはこれより七ヶ月前の2月21日にニクソン大統領が訪中を果たしている。この歴史的な訪中のお膳立てを隠密外交で見事に仕上げたのがキッシンジャー国務長官ということになるわけですが、そのときに毛沢東の英語通訳であったのが前回出てきたナンシー・タンこと唐聞生である。

さて今回のお話はニクソン訪中よりさらに一年ちょっと前のこと。
1970年12月18日、『中国の赤い星』で一躍名を高めたエドガー・スノーが毛沢東に会見し、その模様を「ライフ」誌に掲載した。まあ、これもニクソン訪中の露払い的な役として米中双方に選ばれたという含みは当然あったのでしょう。
スノーは中国語もある程度できるはずですが、このときは英語でインタビューした。当然、唐聞生が通訳であった。
このインタビューを朝日新聞が買い取って1971年4月に六回にわたって独占掲載したのだそうです。
そのなかにこんな一節がある。

主席は丁重に私を送り出しながら、自分は複雑な人間ではなく、実はとても単純な人間なのだと語った。いわば、破れガサを片手に歩む孤独な修行僧にすぎないのだと・・・・・。

いやカッコいいですね。1970年といえば、まだ文化大革命のさなかです。いまでこそ、この時代をよく言う人はまずいないでしょうが、この時代は、まだまだ西側諸国でも毛沢東に対しては個人崇拝というほどではなくとも、漠然と偉人というイメージをもつ人間は珍くなかった。
ここで簡潔に描写される毛沢東の姿はなんだか南画の中の枯淡な僧侶のような印象。

こういう、別れ際の一言をそのインタビュー全体の基調にしてしまうやり方は、おそらく英米の記者の有名人探訪記の定石でありますね。
例をあげましょう。

わたしを見送るためにフロイトは、山の別荘から街へと通じる石段を、妻と娘と一緒に降りてきた。さよならの手を振ったとき、彼は悲しく寂しそうに見えた。
「わたしをペシミストに見えるようには書かないでください」と最後の握手を交わしたあと、彼は言った。
「わたしは世界を軽蔑してはいません。世界に対して軽蔑を表明することは、聞いてもらいたい褒めてもらいたいために世界に擦り寄る別の方法に過ぎません。わたしはペシミストではありません。子供たちがいて、妻がいて、花が咲いている間は」
『インタヴューズ』
ジョージ・シルベスター・ヴィーレック『偉人瞥見』(1930)より
岸田秀訳

なんだか、これでぐっとフロイトがいい人に見えるでしょ。
いやフロイトはこの際どうでもいい。問題は毛沢東である。この、自分は「いわば破れガサを片手に歩む孤独な修行僧にすぎない」発言は、じつにうまく効いています。ほとんど高潔な人格者のイメージをこの一言によってつくりあげている。

ところがですね、これ、まったくの勘違いだというのです。大間違いもいいとこ。

このとき毛沢東が言ったのは「和尚打傘」というものでありました。
これを唐聞生は「いわば僧が傘をさしているようなもの」と英語に直訳してスノーに返し、これをまたスノーはえらく哲学的に解釈して上記のような別れ際の言葉に仕立てた、ト。

「和尚打傘」というのは、じつはなぞなぞの前半で、これは普通の中国人なら誰だって知っている言葉なんだそうです。「和尚打傘」とくれば省略された後半は「無法無天」に決まっている。意味はメチャクチャやりほうだい。

坊主が傘をさしているのだから「無髪無天」。すなわち、坊主は頭を剃っているから無髪、傘をさして空がかくれたから無天。髪と法は、どちらもほぼ同音の「フア」なので、和尚打傘といえば無法無天とみんな面白がって言い慣わす。法律も無視するし、天理(道徳)も無視する。ムチャクチャやりほうだい。

日本語でもそんな言葉ってあるかなあ、としばらく考えたが、いいのは思いつかない。ちょっとくるしいが―
「うちの親方がどんな人かって?まあ、屋根屋のふんどし、カエルのしょんべん」
「ははは、大人物なのね」
なんてところかなあ。

つまり毛沢東のほうは、おれは単純な人間なんだよ。ムチャクチャやりたいほうだいやってきただけさ、というだけのことであった。ぜんぜん違うじゃん。(笑)

唐聞生という人は中国語のサイトを少々眺めると(読んだわけではないよ)1943年生まれのようですから、このとき27歳くらいでしょうか。英語はぺらぺら(ために毛沢東は彼女のことを「アメリカ人」とからかって呼んでいたことを前回紹介しました)だったのでしょうが、いかんせん下世話な庶民の生きのいい中国語を聞いて育ったわけではなかったのか、「和尚打傘」を意訳せず、よくわからないまま、スノーに伝えたものと思われます。
なんぼ、英語がしゃべれても、これではダメでありますな。
ま、怪我の功名で、毛沢東の神秘的なイメージ形成には役立ったのかもしれません。

今回のネタは高島俊男さんの『お言葉ですが・・・(7)漢字語源の筋ちがい』に収められた「孔子様の引越」から。小生、目下、高島先生マイブーム。(笑)
なお、わたしは和尚打傘、無法無天を単純になぞなぞと書いていますが、こういう言葉は「歇後語(けつごご)」と言うのだそうです。くわしくは、ホンモノの高島先生の本をどうぞお読みくださいませ。

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2007/10/04

女の同志が不満でね

時は1972年9月27日の夜といいますから今からちょうど35年ばかり昔。ところは北京の最高指導者が執務する中南海―といえば、ああ日中国交正常化の話かね、と勘のいい方はお分かりになるだろう。

この夜、毛沢東の書斎に招き入れられたのは、田中角栄首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官である。
中国側の出席者は毛沢東主席のほかに周恩来総理、姫鵬飛外相、廖承志中日友好協会会長であった。

歴史的な「共同声明」の調印は、翌々日の9月29日ですから、この夜の政治的な重要さは想像にあまりある。このとき日本側の事務方の出席はなかったと伝えられる。事務方は共同声明の文言について最後の詰めを行っていた。
(以下は、「人民中国」の特集(横堀克己)と、21世紀中国総研「田中角栄の迷惑、毛沢東の迷惑、昭和天皇の迷惑」(矢吹晋)を参考にいたしました)

会見も終わりに近くなって、毛沢東がふと思い出したように、「添了麻煩」の問題はどうなったのか、と言い出した。
これは田中首相が中国訪問の初日の歓迎会の席上で「過去数十年にわたって日中関係は、遺憾ながら、不幸な経過をたどってまいりました。この間、わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」と演説したのだが、この中の「多大のご迷惑をおかけした」という表現を、日本側の通訳が「添了麻煩」と訳したことが、波紋をよび、少なからぬ問題となっていたのであります。

わたしは中国語の細かな点まではもちろんわからないが、「麻煩」(マーファン)というのは初級の会話でもよく出てくる言葉であることは知っている。
この表現は、女性のスカートにあやまって水をこぼしてしまったというくらいの迷惑をあらわすのに手ごろな表現であって、とても日本の軍部がおこなった大陸での非道を形容するような言葉ではない。「迷惑とはなんだ迷惑とは」てな感じでありましょうか。中国の態度は硬化した。

この表現をめぐって、いや日本語の「迷惑」は中国語の「麻煩」ではなくて、反省ともう二度としないという謝罪のニュアンスがこもっているんだとかなんとか、いろいろやり取りがあって、結局表現は中国側の受入れられるところまで修正されたのだそうです。

もちろん毛沢東はそのあたりのことは逐一知っていて、ああ、そういえばあれはどうなったかね、なんてとぼけたものでしょう。
そしてそのときに、だしにつかったのが、若い通訳の女性たちであった。

「なにしろ一部の女性の同志が不満なのですよ。とわりけ、あのアメリカ人はニクソンを代表して話すもんでね」

そう言って毛沢東は唐聞生を指した、と言います。(唐聞生はアメリカからの「帰国子女」で毛沢東の英語通訳であった。英語ではナンシー・タンという。この人のことは、わたしも『毛沢東秘録』か『キッシンジャー回顧録』かほかの中国現代史関係の本の中で何回かみかけたことがあるような気がする。名前に覚えがあるのですね。)

これはなんとなく、雰囲気がわかりますね。

なぁに、わたしたちはもういいのですがね、どうも、こういう女の子連中というのは、これでなかなか強硬でしてね、わかるでしょう、てな感じでしょうか。
こういうのは、われわれの日常でもよくやりますね。
じつは若い女性が目を光らせているもんだから、心ならずも、あなたがたに無理を強いるので申し訳ないね、でもまあ、ほら女にゃ逆らえんでしょ、といった冗談めいた場の演出。若い女をだしにして男同士を一種の「共犯関係」でなごませるわけですな。

さて、この唐聞生の通訳にまつわるお話。次回に続く。

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2007/09/23

フクヤマ『アメリカの終わり』

フランシス・フクヤマの『アメリカの終わり』(『America at the Crossroads』)は、邦題は「なんだかなあ」ですが、中身の方はなかなか面白かった。

ネオコンの思想的な系譜をたどりながら、冷戦終結後のアメリカの外交政策を実質的に動かすことができるようになったとき、かれらが、その巨大な力を「善意による覇権」として世界に押し進めようとしたいきさつがなんとなく、等身大の人間の行いとして理解できるような感じがした。

もともとトロツキストで、やがて共産主義の「悪」への嫌悪から激しい反共感情を抱くようになったネオコンというのは従来の右派とはかなり異なるというのはなんとなく腑に落ちる。たとえば冷戦のとき、主流派の右派は「封じ込め」という戦略をとった。今日のネオコンにつながるグループは、そういうプロフェッショナルな冷徹な大人の戦略(ジョージ・ケナンとかキッシンジャーとかをここで想起すればよい)にはあきたらなかった。冷戦時代の外交政策の主流は自らリアリストをもって任じ、ソビエトの体制が「悪の帝国」であるとか、ベルリンの壁を崩壊させて東ヨーロッパを解放すべきだというような「幼稚」な言説をアマチュアっぽいガキの発想として軽蔑していたが、意外にもレーガン政権下で、正しいのはむしろこのアマチュアの言説であることがはっきりした。

冷戦時代の大部分の期間、ネオコンは小さな、蔑まれた少数派であることに慣れてしまっていた。ネオコンの思想の多くが最終的にはレーガン政権によって実行に移されたが、アメリカ外交政策のエスタブリッシュメントである、国務省の官僚機構を動かす人たちや情報活動にあたる諸機関、国防総省、数多くの外交顧問やシンクタンクの専門研究家や学者らは、およそネオコンを無視していた。ネオコンは、ヨーロッパ人からも「単純すぎる道徳論者」や「向こう見ずのカウボーイ」、あるいはそれ以下の者として見下げられるのが通常であった。ネオコンは誰もが常識としていることを打ち捨て、可能性すらまったく想定できないと皆が思うような打開策を目指していた(ダブル・ゼロやベルリンの壁を崩すというのがそれだ)。
共産主義の突然の崩壊で、そうした考え方の多くが正しかったということになり、一九八九年以降は主流派として、当然の存在と見られるようになった。

フクヤマはネオコンには四つの原則があるという。

  1. 体制(レジーム)の性格が政治の中心的な問題であるという考え方
  2. アメリカ国家の力は道義的な目的のために国際問題に対して使われるべきであるという国際主義
  3. 大胆な社会改造計画に対する不信
  4. 安全保障や正義の実現における国際法・国際機関への懐疑

なんとなく、のび太クンが突然ドラえもんの力で地球の危機を救うようになったオハナシみたいな感もあるが、わたし個人はわりとこれらの原則には共感できる。(とくに3については同意見)フクヤマ自身も、もちろんネオコンのイデオローグとみなされていたわけだから、この原則そのものについて批判しているわけではない。本書でフクヤマは、しかしブッシュ政権の9・11以降の対テロ戦争への傾斜についてネオコンはその対応を誤ったと見ている。
とくに冷戦終結と「棚からぼた餅」的な勝利が、どうもかれらに脅威を過大にみる傾向をあたえたようだと考えている。

共産主義崩壊後のネオコンは、アメリカが直面する脅威の程度を過大評価しがちだった。冷戦時代、ネオコンがソ連の脅威について、軍事面でも道義的悪という面でも悲観的に見たのは正しかった(と私は思う)。だが、ソ連が崩壊し、アメリカが唯一の超大国となった後も、多くのネオコンが世界にはまだ危険だが過小評価されている脅威がいくつも存在すると考えた。

たまたまいまちびちびと読み進めている新訳の「エセー」でモンテーニュがこんなことを言っている箇所に出くわした。ああ、これだなとおかしかった。

川を見たことがない人間は、初めてこれを目にして、大海原ではないかと考えた。われわれは、自分が知っているもののうちで最大のものを、その種類のなかで、自然が作りあげた極限のものだと判断しがちなのである。
宮下志朗訳『エセー』
第26章「真偽の判断を、われわれの能力に委ねるのは愚かである」より

フクヤマの見立ては以下のような発言に集約されていると思える。
「なーんだ、後出しジャンケンじゃないっすか」という非難もあるそうですが。(笑)

アメリカは軍事的優位性を利用して、世界の戦力的に重要な地域に「善意による覇権」を打ち立てるべきだ―。一九九〇年代の後半、多くのネオコンはそう主張した。イラク戦争では、ブッシュ政権は偏狭な自己利益のために行動しているのではなく、世界のすべてが益を得る「全地球規模における公益」を提供していると考えていた。自分たちの善意に確信を持っていたため、戦争に対し、世界から激しく否定的な反応が出るとは、まず予想もしていなかった。

「第四次世界大戦」だとか「テロに対する世界戦争」だとか、そんなことを言うのはもうやめたほうがいい。確かに、われわれは現在、アフガニスタンやイラクで聖戦を掲げる国際的勢力と激しいゲリラ戦を戦っており、この戦いに負けるわけにはいかない。しかし、この戦いを、かつての世界大戦や冷戦に匹敵する地球規模の大きな戦争だなどと考えるとすれば、それはアラブ人世界・イスラム世界の大部分を敵に回しているかのようであり、明らかに問題の範囲をひろげすぎた見方である。

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2007/09/18

チェチェン補遺

Kavka_b_2 チェチェンを地図で確認しておこう。
コーカサス山脈は、黒海とカスピ海を結んでいる。これは地政学的にはロシアと中東とを分ける線である。それは今日ではイスラーム世界と非イスラーム世界が入り交じる境界でもある。
チェチェンはこのコーカサス山脈の北側の山麓と平地に位置する小さな国だ。面積は岩手県にほぼ等しい。近隣国との位置関係は次の通り。
西はチェチェン人と同系統の民族が住む小さなイングーシ共和国。東はカスピ海に面した多民族国家のダゲスタン共和国。
山脈を越えて反対側である南はグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンである。
なお、チェチェンは本来は形容詞であり正式の地名は「チェチニア」と言うのだそうです。ロシアとの何百年にもわたる戦闘がこの国の男に、格闘技への愛好と勇気と不屈の精神を植え付けた。
前回に紹介した『誓い』のハッサン・バイエフも、高校時代にソ連のジュニア柔道大会のチャンピオンであり、この柔道の功績で奨学金を得て学業をつづけることができた。
彼は他のチェチェンの男たちと同じく敬虔なイスラーム教徒であり、メッカへの巡礼(ハッジ)も行っているが、ソ連邦で医学教育を受けた外科医でもある。当然、イスラーム原理主義には与しない。ソ連で学んだヒポクラテスの「誓い」を己の行動指針にして、負傷者には敵味方の区別を一切許さず治療にあたったために、ロシア連邦軍からは「ならず者の医者」として手配され、チェチェン人の過激派からは「裏切り者」として拉致されほとんど暗殺される寸前まで行く。
現在はアメリカ在住。たしか昨年、日本へも招待されていたのではなかったかな。
二度にわたるチェチェン戦争のなかで戦火の祖国に留まり医療活動を続けた。その想像を絶する手記を読むと、チェチェン人といえばマフィアやテロリストやアルカイーダと同一視(ハリウッドとクレムリンの合作だね)してしまいがちなわれわれの横つらを張り飛ばして正気に戻してくれるような力がある。

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2007/08/28

略奪された花嫁の時代の到来

町で、いきいきとした、なかなかいい面構えの若者グループがいるなあと思うと、にぎやかな中国語のやりとりが聞こえてきたりする。要はそういうタイプの若者だから外国にもどんどん出て行くのだということなのだろうが、同世代の日本の若者諸君は、知的にも体力的にも、総じて彼らにかなわないのじゃなかなあ、とオヤジとしてはついつい見比べてしまう。
かの国の経済発展が自信とオーラを彼らにはあたえ、わが国の経済力の低下が、同胞の青年たちから生気をうばっている、と、とりあえず考えてみたりもするが、ま、素人の寝言であります。

アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく、というのが、わたしたちが子供の頃に教えられた日本にとっての国際関係のいろはであった。
さしずめ、いまは中国がオナラをすれば日本は悶絶する、ということになるのかもしれない。

中国の未来は、世界の未来でもある。なにしろ、世界人口の4人に1人は中国人である。

欧米の中国関連の記事を、ときどき思い出したように精読する。
たまたま、ニューヨーク・タイムズは26日付でジョセフ・カーンとジム・ヤードレイのかなり長文の署名記事で中国の環境問題をとりあげている。もっとも、これはかなり前から、同じような内容の記事をかれらは書いているのを、たまたま、わたしは読んでいたのでそれほど驚かない。ただし大気、水、などの環境汚染がアナリストなどの予測よりはるかに前倒しで現実のものになっているというのは憂鬱な話である。
国内の経済格差と環境汚染の実質的な放置で中国社会が不安定化する、というのは、ひとつのシナリオではあります。

一方で、これはちょっと虚をつかれた感があるのが、25日付のBBCの記事。(ここ)

The Chinese government says it is drafting new laws to tackle the growing gender imbalance caused by the widespread abortion of female foetuses.

81950575_293ba15729_b 男女の比率があまりに不均衡になっているので、中絶に対する法的な処罰を厳格化するというような内容であります。
生まれてくる子供が女の子だったら中絶しちゃう、というのは、80年代から本格化した一人っ子政策のせい。(ただし、これはそんなに単純な政策ではなくて、少数民族のとりあつかいなど細かいところはいろいろあるようだが)
なにしろ子供がひとりしか持てないと決められていれば、老後の年金が、聡明きわまる政治家さまや官僚さまのおかげで盤石な日本とはちがい、子供に養われることが前提の中国社会であれば、女の子であっては困るという計算もある。男子継嗣という伝統文化もまだまだ払拭できてはいない、というわけですね。

ジェンダー・レシオというのは、女児100人に対して男児が何人であるかという比率だと思いますが、よく知られているように、自然状態でもこの比率は男児が女児よりすこしだけ多い。WHOはこれを107を超えないくらいがよろしいと推奨しているのだそうです。日本のデータはメンドクサイから調べていません。そんなに差はないであろう。

ところが、この記事によれは中国政府機関は99の都市でこのジェンダー・レシオが125を超えているというのだそうです。もっとも高い町ではなんと163.5だったと発表した。女児100人に対して男児163人であります。
これはなかなか考えてみるとインパクトのある数字です。

なにしろ繰り返しになりますが、地球上の4人に1人が中国人であるというほどの人口の国で、ジェンダー・レシオが125を超える(自然状態ではありえない)ということが、なにを意味するか。
嫁不足じゃなあ、というくらいの笑い話ですめばよいが、これが経済格差や生命の安全などと複雑にからみあうわけですね。

むかしから、破れ鍋に綴じ蓋といいまして、なんぼ貧乏だって、分相応な嬶ぁくらいはもてたから、まあ、世の中は治まっていたのかもしれません。飢餓や貧困に加えて配偶関係にありつけないという事態は、これはなかなか為政者はたいへんなことであります。

いいじゃん、男同士でパートナーになって素敵な家庭を築けば、という前向きな意見もあるかもしれないが、そんなことを言うと雄の怒りの炎に油を注ぐような気がしないでもないぞ。(笑)

(photo by Questionhead on Flickr; thanks  for sharing)

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2007/03/03

やつらとおれら

国会がきな臭くなってきた。安倍総理がいよいよ憲法改定に道筋をつけるための国民投票法案の上程を政治日程に上げてきたからだ。
まず、わたしの意見を明確にしておく。改憲には反対する。
以下、理由を述べる。といっても、まあいつものようにたいして内容があるわけではない。

まず、わたし自身も漠然としか理解していないので、改憲の手続きについて確認をしておきます。

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

いくつか問題があるそうです。

  1. 各議院の3分の2の母数は、議員の法定数であるのか現職数であるのかが不明確である。
  2. 国会の発議を受けて国民が承認するかどうかを決める特別の国民投票というのが具体的に定められていない。(だから今回安倍が国民投票法案を提出するというわけですな)
  3. 国民投票の過半数の母数が、有権者の総数であるのか、有効投票数であるのかが不明確である。

まだまだたくさんあるのでしょうが、改憲手続きに限定してもこういう不明確なところがある。個人的には(3)が大事なんじゃないかという気がするけれど。

さて、改憲に反対の理由を書きます。ごく簡単なことです。
これをわたしは個人的に「やつらとおれら」理論と呼んでおります。(って、実はいま適当に決めた(笑))

それは憲法というのはいったい誰を規律するきまりであるのかという原則にかかわります。わたしは憲法は第一義的に「やつら」を規律するきまりであると考えます。
「やつら」というのは、たとえば今現在であれば、具体的には政財界の安倍一派とそのファミリーのみなさんと考えればよろしい。ただこれは、政治的な情勢や環境によって変わっていくでしょう。もしかしたら、社民党の諸君が「やつら」になるかもしれません。朝鮮労働党の日の丸版みたいな人たちが「やつら」になるかもしれません。新興宗教の人々が「やつら」になるかもしれません。(あ、可能性がほとんどないという意味では社民党はそうだけど、同様のほかのふたつと並列はさすがに失礼かも(笑))

そもそも国家というのは、どんな国でも「やつら」と「おれら」で出来ているものであります。もちろん「やつら」が「おれら」とあまり階級やら文化的な背景が違わないほうが好ましく、また「やつら」が「おれら」の代表であることが手続きとして公正に行われることが好ましいとわたしは思っていますが、かりにそういうことが理想的に行われたとしても、そこにあるのは依然として「やつらとおれら」という厳然とした関係であることははっきり知っておくべきだと思います。(「おれら」が一様でないことは言うまでもないけれど)

さて憲法が「やつら」を規律するきまりであるとして、「やつら」がこれじゃやりにくくて仕方がないから変えることにしたけんね、と言われた場合、「おれら」はまずその動機を疑うべきであります。とくに日本国憲法の改憲のキモはなんといっても第9条であります。細部にわたっていろんな議論がある―私学助成金もあれは憲法違反らしいものねえとかなんとかは目くらまし、どーでもいいのであります。いいから9条に全部ヤマをはれ、であります。
では日本国憲法第9条をもういちど読んでみましょう。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

聞くところによれば、現政権はこの第2項を変えたいそうです。
現実に自衛隊があるじゃないか。あれは実質的に陸海空軍じゃないか、憲法がタテマエになって現実と齟齬をきたしているじゃないか。現実が正しいなら憲法はウソツキか。ウソツキはドロボーのはじまり、子供のキョーイクによくないよ、ということであるらしい。いやちがうかもしれない。(笑)まともな国家なら、ちゃんと軍隊ありますねん、てなんで堂々と言えへんねん、情っさけないでぇホンマ、といわれると、おお、そらそやな、とついうっかり返事しそうになるでしょ。わたしはなるよ。

だけど、この約束はだれを縛るものか、「やつら」である。「やつら」は陸海空軍もったらあかんねんで、「やつら」は「おれら」の生命をポーカー・チップみたいにしてよその国と戦をするのはあかんねんで、というきまりを、いやこれは占領軍の押し付けやろ、おまえら自分で決めたもんやないやろと「やつら」に言われたくらいで、そうほいほい手放して、ホント大丈夫?とわたしは思うんだけどなあ。

タテマエが現実と違うという当たり前のことを前提にした舞台で、自分に与えられた役柄を見事に演じてみせるから政治家なんである。どの時代のどこの政治家だって同じことである。タテマエと現実を一致させなければ、わたしらまともな政治できませんとかなんとかいう政治家は、おーまえらぁアーホーかぁと「おれら」はきちんといわなければいけない。
ましてやこの場合、いつか遠い未来にでも、現実をタテマエにすこしでも近づける努力をすることに意味があるのではなかろうか。

現政権の改憲などというのは要は「ぼくちゃんち、せっかくポルシェがあるのに、180キロまでしか出せない装置がついてるんだよぅ。ほかのお金持ちの子ったら、アウトバーンで300キロくらい平気で出してるんだぜ。なんとかしてよぉ」と言っているにすぎない。
おまけにこのぼっちゃんのおじいちゃんは(ってこれはあくまで比喩で言っているのであって、安倍晋三と岸信介が血縁であることは偶然ですが)かつて泥酔運転の大暴走で通行人やら対向車やら同乗者を殺しまくった曰くつきの運転者である。わたしは日本と日本人を愛するが、だからといって、アウトバーンを300キロでがんがん走りたいといわれたら、そらやめときなはれと言いますな。ましてや同乗はまっぴらごめんであります。「おれら」はホンマはそういうことには向かへんねん、「おれら」はもともともののあはれでっせ、と本居宣長だって言うておる―かどうかは知らないけれど。(笑)

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2007/01/05

時局の短歌二首

時局にからめて印象に残った短歌二首。いずれも永田和宏。(「短歌」1月号)

 助命など請うこと莫れフセインの
 捕われしのちの顔のよろしさ

 もうやめたと言うときはすなわち死の刻にして
 チャウシェスクの場合金正日の場合

BBCのバクダッド特派員の新年の記事によれば、イラク人の同僚が出社して「今朝は通りに頭が六つ転がっていたよ」などと言って仕事に取りかかるのだとか。そのこと自体はもはやニュースにもならないのですね。内戦というものの凄まじさを、イラク情勢からわたしたちはよく見ておいたほうがいいようです。フセイン処刑の映像をみながら感じたのはやはり人間どうせ殺されるなら命乞いなどせず最後の根性を見せるに限るということ。かれはスンニ派の殉教者として美化されることになるでしょう。ブッシュの負けです。

国内ニュースでは、朝鮮半島有事で北朝鮮難民は10万から15万人、政府予測とある。
麻生外相が例によって口の端をゆがめて「これ武装難民もいるんですからね」と話していたが、この人の特徴で、本人はシニカルな表情のつもりなんだと思うが、ただひたすら品性があんまり芳しくないことを天下に知らしめているとしか思えない。政治家は見た目が10割、まことに気の毒な方である。
この問題、中国が北朝鮮を「処置」する責任があるだろうが、北京五輪が迫っているから決断が難しいだろうなあ。
日本も今年は多難な年になりそうであります。

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2006/09/23

信仰と理性

カトリック中央協議会のサイトにベネディクト十六世のレーゲンスブルク大学における講演の全訳が掲載されていたので、プリントアウトして二回ばかり熟読してみたのだけれど、正直に云うと、少なからずわたしにはよく理解できない箇所があった。
この講演は9月12日に南ドイツを訪問していた教皇が、かつて副学長を務めていた大学で行ったもので、「信仰、理性、大学——回顧と考察」と題する。

この講演のなかで教皇が引用したビザンチンのマヌエル二世の言葉がイスラム世界に憤激をもたらし、バチカンは苦しい(とわたしには思える)弁明を繰り返しているわけです。

マヌエル二世がどのような人物であるのか、この言葉がどのような状況化で発せられたものであるかはもちろん重要なことだと思いますが、それをあえて無視して教皇が実際に引用した文言を事実として記しておけば、次のようなものであります。

ムハンマドが新しいこととしてもたらしたものをわたしに示してください。あなたはそこに悪と非人間性しか見いだすことができません。たとえば、ムハンマドが、自分の説いた信仰を剣によって広めよと命じたことです。

バチカン側は、講演の全体の文脈を見ようとせずに、この部分だけを取り出して、あたかもこれが教皇の個人の考えであるかのように批判するのは間違っているという。
それは正しい指摘だが、同時に空しい指摘でもある。
日本ではいろは骨牌にさえ「綸言汗のごとし」という言葉がある。
まして、この講演は慎重に検討され準備されたものであるのは、ほかならぬバチカン側がきちんと読んでくれよ、と言っている全体の文脈の高度に組み立てられたロジックからあきらかだと思えます。

そこで、この講演の全体の文脈はどういうものであるか、ということですが、これがわたしにはいまひとつよくわからない難解なものだったというわけであります。
ひとつには神学というものがどういうものであるかという基本的なことが正しく理解できていないということがあると思います。
講演は、レーゲンスブルク大学という「二つの神学部を備えていることを誇りとしてきた」大学の関係者に向けて語られたものですから、そういう基本的なことは当然わかっているという前提で語られているのだと思います。

以下は、わたしがとりあえず「言わんとするのはこういうことかしら」と考えたことですが、たぶん中途半端な「理解」だと思いますし、まったくの「誤解」かもしれません。

まず信仰と理性とは相反するものだろうか、ということ。

聖典に記された言葉は、すべて神の言葉であり、これらは絶対的な真実であり、これらを疑うなどということはそもそもあり得ない、というのがたとえば信仰であるとする。

これに対して、真実はたしかに存在するが、それは聖典などというかたちで最初から与えられてはおらず、人間の力で明らかになるのではないかと考える。聖典を記したのは人間かもしれず(人間に決まっているが)、これを疑うこと自体には何の問題もないばかりか、このような疑いをいだき、実証を重ねることでより真実に近づいてゆくことができるというのをたとえば理性とする。

すると信仰と理性は単純には相反するもののごとく思える。信仰を守るためには、理性を圧殺せねばならず、理性の側からみれば信仰は度し難い暗愚、蒙昧、解放すべき人間の桎梏としか見えない。
おそらくこれが、いまのイスラーム世界と非イスラーム世界の対立軸なのだと思う。

一方、ヨーロッパにおけるキリスト教はギリシア的なものと合体したときにこの信仰と理性の相反性、ジレンマの問題を内部に取り込み一種のエネルギーにしたと考えられる。細胞のなかのミトコンドリアみたいなものかな。
ベネディクト十六世の言葉を聞こう。

わたしの考えでは、ここにわたしたちは、最高の意味でのギリシア的なものと、聖書に基づく神への信仰の間の、深い一致を認めることができます。創世記の最初の節、すなわち聖書全体の最初の節に基づいて、ヨハネはその福音書の序言を次のことばで始めます。「初めにことば(ロゴス)があった」。

つまり、教皇の言いたいことは、キリスト教は(たぶん、より厳密にはカトリックは)、人間の理性は、そのあいだにどれほどのへだたりがあろうとも神という存在そのものとの類比が可能なのだ、したがって、信仰と理性の間にジレンマがあるのではなく、このふたつの間でおこる運動によって人間は、その認識の地平を広げ、現在のわたしたちが享受している科学的な成果や人類の進歩を手にしたのだ、ということであるように思えます。
神学というのは人間の思惟がもし「科学的」なものに限定されてしまえば、むしろ理性の範囲を縮小し、人間性を卑小なものにしてしまうところを、「神への問い」というかたちで、常に反対の運動体として機能することにより、人間の認識を深めてきたのだと言いたいのではないでしょうか。

しかし、じつはより重要なことは、教皇はここで、現代の西側社会はこれまでの歴史のなかでの信仰と理性の力関係が逆転してしまい、理性が信仰を、単なるサブカルチャー的なものに貶めたり、信仰をもつという人間のすぐれて崇高な行いを馬鹿にするために用いられてはいないですか、と問いかけているのですね、きっと。
つまり、信仰をもつ人々(ここではイスラーム世界)にもっと敬意をもちなさい。むしろ、自分たち西側の人間がそれを捨てて恥じないような醜い姿をさらしていることをきちんと知りなさい。かれらを暗愚から覚まそうと、かれらを信仰の桎梏から解放しようなどとはなんと傲慢なことか、いまやキリスト教徒(あるいはアメリカ)が、「新しいこととしてもたらしたもの」として「悪と非人間性しか見いだすことができません」という具合に読み取ろうと思えば読み取れないこともありません。

ただし、もちろん、このような高度なレトリックは、大学という言説の高度に知的な操作を日常とする人々には通用しても、わたしたちのような普通の人間には、ちと理解が及びません。

そして、わたしの気持ちのなかの一部には、上記のような好意的な教皇への「惻隠の情」とは別に、あれれ、これ(イスラーム=暴力)はもしかして、確信犯かしらという疑いもなきにしもあらずなのであります。イスラーム世界が憤っているのも、たぶんそう思うからなのではないでしょうか。

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2006/06/27

小泉時代の終わり

『サッチャー時代のイギリス』森島通夫(岩波新書)より。

たしかにマルクスが言ったように、ある経済体制(たとえば資本主義)は、それに相応する文化(ブルジョア文化)や行動様式を生み出す。しかしまた逆にマクス・ウェーバーが言ったように、ある経済体制(資本主義経済)は、それを支持するような精神(例えばプロテスタントの精神)を国民が持っていなければ、生まれてこない。(p.218)

ここから森島は「経済と精神のマルクス的およびウェーバー的関係」を次のように単純な図式にしてみせる。

Morisima
ここで「a」→「A」がウェーバー的関係であり「A」→「a’」がマルクス的関係というわけ。
森島はさらに話を進めて「a’」すなわち資本主義の上に咲くブルジョア精神から、別の社会体制「B」(たとえば社会主義?)が生まれるというのがシュンペーターの変換理論の骨子であると説明する。まあ、あれだ「売家と唐様で書く三代目」というヤツでありますな、これは。
はじめは無学であっても質実剛健で生命力に溢れ、勇気と気概をもって果敢にリスクに挑戦する時代精神が一等国をつくりあげる。やがて二代目、三代目になると学があって文化的には洗練され優美な振る舞いを身につけるが、懦弱になり前例主義になり官僚主義となって三等国への坂道を下っていくのであります。(ただし念のために書いておくが、それを単純に恐れるべきでないというのが森嶋の立場である)

さて森嶋は本書で、マガーレット・サッチャーの政治をシュンペーターの体制変換理論を逆回しにしようとする反革命であると位置づける。(この論文が書かれたのはサッチャー政権下であり同時代の政権批判であることが興味深い)

サッチャーのような協力な精神的指導者が現れて「信仰回復(リバイバル)」に成功すれば、a’はa(あるいはaの類似物)となるかも知れない。そして国民がaのイーソス(ethos)を回復すれば、ウェーバー的関係a→Aが作動しはじめ、Bに向かって進みつつあった経済体制は、Aに復帰しはじめるであろう。(p.230)

いまわたしが考えているのは、もちろんサッチャー時代のイギリスのことではなく、現在のわが国のことだが、だんだんめんどくさくなってきた。以下、自分用のメモとして。

  • 小泉「改革」の時代が資本主義の猛々しい活力を取り戻すための「信仰回復」として「この人を見よ」、と称揚したのは堀江貴文であり村上世彰であった。とすれば、このたびの権力闘争(すなわち検察の国策捜査)は反革命(a’をaに回復させる)の鎮圧ということになるのだろうか。竹中平蔵への報復ということなのか。
  • 民族国家(nation state)は、共同社会(ゲマインシャフト)たる民族と、利益社会(ゲゼルシャフト)たる「国家」の混合物であり、その比率は国によりあるいは時代により流動的に変化すると森嶋はいう。おそらくそのとおりだと思うが、サッチャー流の政治家(たとえば安倍晋三)がその支持基盤をつねに民族に置くのはなぜだろう。
  • あるいはこれは逆に考えた方がいいかも知れない。たとえば、次期首相については財界の希望は安倍晋三よりも福田康夫であるという。アジア外交あるいは東アジア経済圏のなかでの利潤の最大化を願う財界としてはよりましな選択ということなのか。

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2006/06/11

文革の幽霊

昨日のウェブ版のニューヨークタイムズに聶元梓の写真が掲載されていた。いま85歳、北京でペルシャ猫二匹とともに余生を送っているらしい。
タイトルは「Hearts Still Scarred 40 Years After China's Upheaval 」。
(もしかすると読むためにはサイン・インが必要かもしれないが、一応リンクを貼っておきます)

1966年北京大学の哲学系の助教(当時45歳)であった聶元梓(じょう・げんし/Nie Yuanzi)は、文化大革命の実質的な狼煙となった「大字報」の作者である。

Cultrev_1 ほとんどすべての国民を精神的な拷問にかけ、何百万という人間を殺し、または自殺に追い込んだ文化大革命。まさかこれほどの災厄を、自分が祖国にもたらすことになろうとはそのときは想像だにしていなかった、とこの女は語る。北京大学での反対派との武装闘争を組織し、1967年には北京市革命委員会の成立とともに副主任に就任、しかし、その後失脚し、下放、隔離審査を受け、毛沢東死後の文革終焉後の1978年に逮捕される。
インタビューでは、ずいぶんきれいごとやら泣き言を言っているようだが、あまり同情する気にはなれない。

それにしても、文化大革命40周年を、中国政府は、あたかもそんなことはなにも起こらなかったかのようにやり過ごすつもりらしい。なんともはや。

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2006/05/29

プライムミニスター・アソー

今日の英会話のクラスにて。
「◯◯サン(わたしの名前)、コイズミのあとのプライムミニスターは誰がなるの?」と先生(オーストラリア人)が訊ねる。
「うーん、ぼくもよくは知らないんだけど、何人かの名前あがっているみたいね。まずチーフ・キャビネット・セクレタリーのシンゾー・アベでしょ、それからこの人も前は同じポストにいたんだけどヤスオ・フクダって人ね、ええと、それからああ、アソーってのもいるな」
「・・・ごめん、三番目の人の名前、もう一回言ってくれる」
「アソー。タロー・アソーだけど、どうして?」
「ははは、そのひとってホントにそういう名前なの?」
「アソー?うん、そうだけど・・・」
「あっははははは、アソー!!」
ここで、やっとわたしも気づいて——
「げっ、いけねえ。タロー・アソーはいま外務大臣だ」
「はははは、じゃあさ、その人が総理大臣になったらさ、わたしが日本のアソーです、とか言うわけ?はっははははは」
「うーん、まずい。まずいなあ、それは」とわたし。表情は憮然。
ぼくらが普通に「麻生」と発音すると「asshole」に聞こえてしまうみたいだ。困っちゃうなあ。(笑)

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2006/04/18

ブログ再録の口上

吉川幸次郎は「文章自己的好、老婆人家的好」(文章は自分のがよく見え、女房は他人のがよく見える)という中国のことわざをひいて、ときに仕事に疲れたときには自分の書いた文章を読む話をしている。(「自分の文章」全集20)
まあ、のっけから、吉川博士を引き合いにだすのもどうかと思うが(笑)たまたま、むかし書いた文章を読み返してみたら、結構面白くて読み耽ってしまった。というわけで、そんななかから一編をここに再録させてほしい。
下の文章「正義は目かくしをしている」は2000年2月15日にブログに移る以前の、旧い「かわうそ亭」サイトの雑感に書いたものであります。すこし勘違いのところもあるようですが、あえて訂正はせず、当時の文章をそのまま再録します。いま国が進めようとしている裁判員制度について、このあたりのことを押さえておく方がいいんじゃないかなという基本的な考え方は変わっていないのであります。(進歩がないなあ)
なお、写真は今回つけたものです。Goddess of Justice のイメージは建築、絵画、ロゴなど、厖大なリンク集がありました。興味のある方はどうぞ調べてみてください。→こちら

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再録「正義は目かくしをしている」

冤罪事件の報道などで、たとえば最高裁の玄関を、「無罪」なんてのぼりを抱えて走り出てくる映像はある意味では定番といってもいい図柄です。ただし、ぼくはあれがあまり好きではない。もちろん冤罪は許しがたく、それを許した風土は憎んであまりあるものですが、それにしてもなんとなくあの光景は居心地が悪いのですね。

欧米の法廷が出てくるミステリを読んだり、映画を見ていると、裁判というもののイメージがぼくらの感覚とずいぶん違うことに戸惑う。
その最大の原因は陪審員制度というものにあると思うのですが、考えてみるとこれはとても面白い制度ですね。
なにしろ、場合によっては人の生死を分けるような重大な決定を、無作為に選ばれたフツーのおじさんやおばさんが下すわけです。まことに入り組んだ経済、金融、医療、航空工学、なんであれ検察、弁護側双方が繰り出す一級の専門家の意見も聞いた上で、有罪か、あるいは有罪ではないかを最終的に判断するのは、超難関の司法試験をパスできる生来の記憶力と根気に恵まれた裁判官ではなく、くたびれたサラリーマンであるこのぼくや、マクドナルドでポテトを揚げている近所のパートのおばちゃんなのね。
だから、欧米の裁判はあてにならないよね、ほらO.J.シンプソンだって刑事裁判は「無罪」にしちゃったでしょ、などと言う人もいるけれど、ぼくはそうは思わないのね。
それは裁判というものをどう見るかということにかかっている。というのは、ぼくの見るところでは、彼らの裁判は、実はあれは「真実」を明らかにするところではないのですね。では、何をするところか。
勝ち負けをとりあえず決める場である、というのがぼくの見解。同じことでしょ?いいえ、不謹慎ながら、あれは、一種のスポーツだと見た方がいい。
Easteregg
すこし話が変わりますが、映画などを注意深く見ると、裁判所の正面に秤をもった女神がいることに気付きます。記憶に間違いがなければ、その女神は目かくしをしています。
目かくしの方は、いささか怪しいけれど、秤を持った女神は、これは「正義」の象徴で、必ずといっていいほど、古い裁判所の建物にはつきものなのですね。
秤は天秤のかたちをしています。つまり左右に錘(おもり)を載せる皿がぶら下がっている。
英米の裁判というものは、ちょうどこの秤のイメージなんですね。いま検察側が証拠という錘を一方の秤に載せようとします。その錘を使っていいかどうかを決定するのが、裁判官の役割です。たとえば法的な手順に問題があれば、いかにそれが決定的な証拠であれ法廷という「秤」に載せることは認められません。「陪審員の皆さんはいまの発言を判断の材料にしてはなりません。いいですね」などとよく判事が言いますね。彼らは裁判という仕組みとそれを成り立たせている法そのものの専門家であって、裁判というゲームを厳格なルールで進行させるための人なわけです。すなわちスポーツにおける審判そのもの。
さて検察側が証拠や証人の証言という錘を載せて秤が、ぐぐっと沈み込むと、今度は弁護側の反対訊問が始まります。
「ところで証人は普段は眼鏡をしているのではありませんか?」
「異議あり!判事閣下、本件とは無関係の質問です」
「異議を却下します。証人は質問に答えるように」
なんてやりとりで、証人の目撃証言が実はあやふやであることが明らかにされて、秤はまたバランスを取り戻す。
まあ、ざっとこんなやりとりですね。
さてここでもっとも大事なのは、弁護側は、この秤のバランスを取り戻しさえすればいいという点。反対に検察は、秤が検察側に傾いていることを「合理的な疑いの余地なく」陪審員たちに理解させなければならないということです。 そして、こういう仕組みであれば、純粋な秤を頭の中に描いてこの秤が検察に側に傾いている場合にのみ有罪と機械的に判断することは、これは東京大学法学部を出ている必要はまったくない。司法試験を受かる必要はさらさらない、ということはあきらかではないでしょうか。むしろ、純粋に秤の傾きを感じるためには普通の人が目かくしをしているくらいの方がいい。法廷の正義のシンボルが目かくしをしている理由はここにあるようです。

では、「真実」はどうなるのだ、と言われるかもしれない。
これに対するぼくの答えは、真実はおそらく神によってしか裁かれない。または、最後には神によって「真実」の裁きが下される以上、人間にできることはこの世の勝ち負けを決めるくらいなんだよ、という暗黙の考え方が根底にあるのだと思うのであります。
しかし、そりゃ、キリスト教的な価値観でしょうが、とまた言われるかもしれない。そうかも知れない。しかし、日本だってたとえば、山本夏彦さんは、昔は法の裁きなんぞ必要なかったとエッセイで喝破していましたね。
いわく、昔は化けて出れたからそれでよかったのである。

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2006/03/11

地獄で握手(3)

80万人とも言われるルワンダの大量虐殺の火蓋が切って落とされたのは、前回書いたように1994年4月6日の大統領機墜落事件以後だが、国連ルワンダ支援団(UNAMIR)のロメオ・ダレール司令官は、すでにその年の1月には、フツ族の民兵組織が大量の武器を隠匿しているという情報を内通者から得ていた。
ここで国連の部隊が先制攻撃をかけて武器を回収すれば、ツチ族の殲滅を民衆に煽動し、和平合意を危うくしているインテラハムウィ党(例によって発音は不確か。英語では Interahamwe と表記)の動きを封じて、国連が治安上の主導権を取り戻すことができるとダレール司令官は思った。

1月11日夜、彼はニューヨークの国連本部に翌日からの作戦行動を伝えるためにファックスを送った。
「それから寝たんだけど、考えてみると、一番いい眠りだったね、あの夜が」

ところが翌朝、目が覚めると至急の電文が入っていた。電文の表にはコーフィ・アナンのサインがあった。(このときの国連事務総長はブトロス・ガリ。現事務総長のアナンはこの時点では、平和維持活動担当の国連事務次官補から事務次長に昇格したころの筈だ)
「作戦行動の中止を命ずる。このような作戦行動は権限外である」とそこには書かれていた。

この1月11日のダレール司令官のファックスはのちに「ジェノサイド・ファックス」と関係者の間で呼ばれるようになる。差し迫ったジェノサイドを国際社会に警告したファックスという意味である。しかし、インタビューの中では、ロメオ・ダレールは「ジェノサイド」という言葉には慎重な姿勢を崩さない。
「それはちょっと違うんだ。たしかに、大規模な殺戮が差し迫っていることは警告していたけれど」と語っている。
いずれにしても、この1994年1月11日と12日が歴史のターニング・ポイントだったのかもしれない。

インテラハムウィ党の残虐行為は、ここでは書くのもためらわれる。しかし、ひとつだけ言えることは、この大虐殺は一時的なパニックに駆られた群衆が暴走したというような性質のものとはあきらかに異なるということだ。

歯止めのきかない大虐殺が続く中で、殺されてゆく人々を救うにはどうすればいいのか。
皮肉なことだが、そのためには、実力行使のできない第三者機関の人間は虐殺者と「友好関係」を築く必要がある。わずかでも人々を救う交渉をするには、彼らにすり寄るしか方法がない。
ロメオ・ダレール司令官はルワンダ国防次官のパゴソラ大佐に斡旋をたのみ、三人のインテラハムウィ党の幹部に会見する。

「国連のジェネラル」がわざわざ自分たちに敬意を表しにやって来たというわけで、パゴソラ大佐の紹介で三人は誇らしい顔で手を差し出す。
ダレルはそのとき、連中の服に点々と血しぶきが残ったままなのに気付く。
「そのときだ。突然、連中の姿は人間から別のものに変わったんだ。なにかが起こって、次の瞬間にはもうやつらは人間ではない、なにか別のモノに変わった。わたしは人間と話をしているのではなかった。わたしは悪魔と話をしていた。三人はルシファーの右腕だった。そしてルシファーは、パゴソラ大佐に他ならなかった。わたしは握手できなかったよ。
「本能的にわたしは腰のピストルを抜いて、このくそったれどもの眉間を撃ち抜こうとと思った。なぜならわたしはまさに悪そのものと顔を見合わせているのであり、そいつらは人間ではなく、わたしが破壊しなければならない何かだとわかったからだ。——それはまったく困難な倫理的な問題だった。わたしは人々を救うために、ほんとうに悪魔と取引をする気なのか。それとも、この場で、この畜生どもを撃つべきなのか。
じつのところ、いまでもその答えはわからない」

ルワンダとダレール司令官の話はとりあえずこれでおしまいにします。気の重いお話に最後までつきあっていただき感謝いたします。

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2006/03/08

地獄で握手(2)

ロメオ・ダレールの語るルワンダその二。
首相暗殺前後の出来事。

映画の中では、ホテル・ミル・コリンにフツ族の民兵のジープが走り込んできて、威嚇的な叫び声とともに、PKO部隊のヘルメットをオリバー大佐の足下に投げつける場面があった。「首相官邸の警護にあたらせていた部下たちが殺られた」とオリバー大佐がポールに顔をこわばらせて説明する。

1994年4月6日のハビャリマナ大統領(フツ族)の飛行機の墜落事件から、一気に首都キガリの情勢は流動化する。もともと危うい和平合意の上に成り立っていた政権基盤だったが、フツ族の過激派はこの事件をツチ族を中心勢力とするルワンダ愛国戦線(RPF)の武力攻撃であるとして、政権内のツチ族や穏健派のフツ族の粛正をはじめる。これが引き金となって、以後3ヶ月、歯止めのない大虐殺が幕をあける。

ロメオ・ダレールはこんな風に語る。(適当に端折ったりつないだりしていますので、正確に知りたい場合はかならず原文に当たってください)

「6日の夜だった。わたしは宿舎で部下や援助団体のメンバーと打ち合わせをしていた。8時30分に最初の電話が入った。キガリ空港の滑走路の先の方で大きな爆発があった。弾薬庫の爆発みたいだという。だがすぐに続報が入った。そうじゃない、大統領機が墜落したというんだ。
「やがて首相からの電話だ。墜落したのはたしかに大統領機ですと言った。これからどうなるのでしょう、警備の方は大丈夫でしょうかと、わたしのアドバイスを求めた。彼女は(獺亭注・この時の首相はアガサ・ウヴィリンギイマナという女性である。アフリカ大陸で初の女性総理。女性に教育の機会を平等に与えることを主張していた人らしい)治安の維持、とくに首都の安全を求めていた。その間にも何本もの電話があり、彼女は閣内の穏健派の同僚とまったく連絡がとれないと言う。だがそれ以上に気になるのは、強硬派の閣僚が、ひとり残らず姿を消したことだと、言ったんだ。全員が突然」

政変というのは、こんな風に起こるものなんだな、という緊迫した空気が伝わる証言だ。

「ルワンダ軍の連絡将校から電話があり、司令部で危機管理会議を開催するのでわたしにもぜひ出席してほしいと言ってきた・・・・われわれは司令部に向かった。その時点では市内はとても静かだった。会議にはルワンダ国防省の次官であるバゴソラ大佐が出ていた。(獺亭注・この人物は重要。現在ルワンダ国際刑事法廷において被告人)かれは軍は退役していたんだが、強硬派で有名な男だった。われわれは何回も意見交換をした。わたしは、ただちに首相のアガサを前面に出し政治的なリーダーに据えるべきだと言った。しかし、バゴソラは、アガサでは事態の収拾は無理だ、ごく一時的に軍に事態を掌握させて速やかに沈静化させ、それからまた民政に戻した方がいいと主張したんだ」

ロメオ・ダレールはこの時点ではまだクーデタの可能性までは考えていなかったようだ。
翌朝4月7日。

「わたしの計画は、とにかくアガサをしっかり警護して、ラジオ局かなにかに案内し、国民に冷静になるよう呼びかけてもらおうというものだった。とりあえず25人の国連軍部隊を首相官邸の警護にあたらせた。いろんな国からきた兵士だったがね。当面はこれでアガサの身の安全は保たれるだろうと思った」

流血の事態を避けるため、ロメオ・ダレール司令官はツチ族の反乱軍であるルワンダ愛国戦線側にも副官を送り、状況の説明をさせる一方、政府軍の動向把握のためパゴソラを探した。——だが、パゴソラはどこにも見つからなかった。
なお話が前後するが、ロメオ・ダレールは、ルワンダの情勢報告をニューヨークの国連本部にしていた。

「ニューヨークからの通達は明確だった。例の国連憲章第6章に定められた権限からいささかなりとも逸脱することは許さないというのだ。わたしは紛争に介入してはならない。武器の使用は厳密に自衛の場合にのみ許される。ソマリアの失敗が尾を引いていたんだ。わかるだろう。『持ち場を離れてはならない。貴官には紛争介入の権限はない』」

ロメオ・ダレールがパゴソラ大佐を探している間に、首相官邸は襲撃される。警護にあたっていた国連の兵士は、武器の使用は許されていなかったので、ルワンダ軍部隊と暴徒によってあっという間に武装解除され、一部(アフリカの他国籍の黒人兵士)は解放されたが、残りは殺された。
首相のアガサと夫と子供たちは、梯子をつかって塀を乗り越え、隣地の国連開発計画(UNDP)の施設に逃げ込んだ。しかし、暴徒に発見され、再び襲撃を受け、投げ込まれた手榴弾で首相とその夫は殺害された。
なお、一緒に逃げた子供たちはクローゼットに隠れて、生き延びた。

このときにこの首相の遺児の救出にあたった国連軍の大尉のことが記事に出てくる。名前をムバイエ・ダイアンという。(発音は違うかも知れない。Captain Mbaye Diagne という表記である)セネガルから派遣された国連の停戦監視団の一員だった。ムバイエ・ダイアン大尉は、この首相の遺児の救出にとどまらず、虐殺をおそれて隠れているツチ族を安全地帯に逃がすために、この間、たったひとり身を挺して命がけの救出活動を続けた。だが、これは、虐殺に対していかなる行動もしてはならないという国連本部の命令の完全な無視だった。かれは堂々と国連のUNマークのついたジープに怯える人々を何十人と詰め込み、フツ族の検問を持ち前の機転と度胸でいくつも突破してルワンダの国連部隊の伝説となった。

かれはセネガルの首都、ダカールの貧しい家庭の9人の兄弟姉妹の一人として生まれた。家族のなかではじめてカレッジに進み、軍に入った。だれよりも敬虔なムスリムであった。1994年5月31日、キガリ近郊で乗っていた車両の至近距離に迫撃弾が着弾し、車は大破、本人は即死した。

キガリ空港からダイアン大尉の遺体を母国に送るときのこと。インタビュアーが、空港でのセレモニーではあなたが棺を担いだそうですね、とロメオ・ダレールに訊ねる。
「ああ、でも、われわれには棺なんて用意できなかった。ボディ・バッグさえなかった。実際、難民が雨をしのぐためにかけてたカバー・シートを剥がさせてもらったんだからね。われわれは担架で水色のシートにくるんだ遺体をC−130ハーキュリーズに運んだ....あれはつらかったな、まったく」
(つづく)

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2006/03/07

地獄で握手(1)

rwanda「ホテル・ルワンダ」に関連すること。

オリバー大佐(ニック・ノルティ)のモデルとなったカナダの退役軍人ロメオ・ダレール中将は2003年に『Shake Hands with the Devil』という本を書いている。100日間で80万人(100万人とも)が虐殺されたルワンダのジェノサイドを目の当たりにした国連PKO部隊の指揮官の手記である。
カナダの2004年度のGovernor General's Literary Awardのノンフィクション部門賞を受賞した。(Governor Generalはカナダ総督。カナダの国家元首であるイギリスのエリザベス女王の名代として任命される事実上の国家元首。詳しくは【こちら】

読んでもいない本のことを書くのは主義に反するが、2003年の秋に4日間をかけて行われた、この本の内容をめぐってのインタビューがあるので、このインタビューの方をプリントアウトして一通り読んでみた。ルワンダ内戦や国連の平和維持活動についての専門的な知識はわたしにはないので、きちんと理解できたかどうか心もとないところもある。しかし、ロメオ・ダレールの語る言葉は、客観的な深い洞察と、人間としての生々しい憤怒があり、心を打つものだった。
かなり長い英文記事なので、どこかに翻訳があればいいのだが、いまのところみつけていない。インタビューのタイトルは"Ghosts of Rwanda"という。【ここ】

内容を要約するのは手に余るので、印象的な話だけを二、三回に分けて紹介する。

その一。
インタビューの後半にホテル・ミル・コリンのことが出てくる。(ただし、映画の主人公となったポール・ルセサバギナ氏についての言及はこの記事の中にはない)発言はミル・コリンにいた白人ビジネスマン家族の脱出の情景。こんな内容だ。(逐語的なきちんとした訳ではないので念のため)
「何年も子供を育ててくれた乳母を置き去りにして、バッグに衣類(本当は違う)をパンパンに詰め込んで、あまつさえ犬を連れて飛行機に乗りこむ——これは規則違反だ。しょうもないくずみたいなものは後生大事に抱えて、何年も忠実に仕えてきてくれた人々は見捨てるんだ」
映画でもたしか、空港に向かう脱出用のバスの窓に犬が見えたように思う。映画のマーケットはバスに乗る側の人々だからだろうか、映画ではそこに非難のニュアンスはあまり感じなかった。白人たちは良心の呵責と恥ずかしい気持ちでうつむいているという演出だった。
そうする以外に方法はなかったわけで、そこまで言うのは酷な気もする。愛犬を捨てることで自分の良心を証することにはならないからなあ。しかし、言っていることはわかる。
(この項つづく)

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