20万年前に登場した原生人類がアフリカ大陸からユーラシア大陸にわたるには北と南の二つのルートがあった。
北ルートはアフリカの中央から現在のエジプト・近東(考古学ではレバント地方と呼ぶらしい)に出る方法。
そして南ルートは、アフリカ大陸とアラビア半島が長く裂けて出来た紅海のもっとも狭い部分を渡る方法である。
ところが、これはいつもどちらも開けているようなルートではなかったのですね。
どうぞお好きなほうをお選びくださいというわけにはいかなかった。
アフリカは、地上を歩くさまざまな人類が生まれた場所である。この遠大で隔離された自然の実験室は、砂漠と緑のはてしない循環のなかで人類をつくりあげてきた。サハラ以南のアフリカに見られるサバンナと森林のパッチワークは、事実上、環境によってつくられる二組の通路によって他の世界から隔離されている。この二〇〇万年のあいだ、それらの通路は家畜をいれる巨大な柵囲いのような働きをし、いくつかの門が交互に開いたり閉じたりしてきた。一方の門が開いているとき、もう一方はたいてい閉じていた。一方は北に向かい、サハラからレバント、ヨーロッパへとつづいていた。もう一方の東への門は、紅海の入り口からイエメン、オマーン、そしてインドへとつづいていた。どちらの門が開くかは氷河作用の周期によって決まり、それによって、人類を含む哺乳動物がアフリカから移動するとき、北のヨーロッパへ行くか、東のアジアに行くかが決まった。
『人類の足跡10万年全史』
アフリカの北のゲートは、極度に乾燥した不毛の砂漠によって動物の移動を封じている。南のゲートはアフリカ大陸とユーラシア大陸の亀裂であるところの紅海が移動を阻んでおります。
そして、このゲートは周期的に氷河期と温暖期によってスイッチがはいるように開閉した、というのがオッペンハイマーが注目した理論である。
地球の公転軌道の周期的な変化(ミランコヴィッチ周期)によって、地球は長い寒冷な期間と短い温暖な期間に分かれる。
寒冷な期間は北のゲートは砂漠化して通行できないが、この寒冷期には巨大な氷河が地球を覆うので海水面は100メートル以上降下する。そのために海水面が高いときには移動できない海峡などの通行が可能となる。すなわち南ゲートの開放であります。
逆に10万年に一度訪れる温暖期には、氷河は溶け、地球は温暖で湿潤な気候となるので、海水面はそれまでより急上昇し南ゲートは閉じられるが、それまで不毛であった北ゲートは草原となり、動物が行き来するようになる。つまり北ゲートが開くわけだ。
ただ、問題は温暖期はあまり長くは続かないということである。うっかり北ゲートを出て行っても、まごまごしていると、あっという間に(といっても数万年という時間の単位での「あっという間」の話ですが)このゲートは閉じられ、戻りたくてもふるさとには戻れず、しかも早いとこ寒冷期になっても生き延びることの出来る地域に移動しておかないと先にも進めず、取り残されて絶滅の憂き目をみることになる。
じつは、まさにそれが、大昔の人類にもおこったのだそうです。すなわち、現生人類は12万年前に一度、北ルートをとって出アフリカをはたしたのですが、かれらの子孫はすでに絶滅して、いまのわれわれと遺伝子の上ではつながりがないようです。
われらが祖先、すなわちミトコンドリア・イブの子供たちは、約8万5千年前に、今度は南ルートから出アフリカを企てました。そして今度は、うまく行った。かれらはたどりついた南アジアから海岸沿いにインド、東南アジア、オーストラリア、極東へと旅を続けていったのですね。また、これも氷河期と間氷期のスイッチによって南アジアからヨーロッパへの通路が開いたときに巧みに、あるいは運良く西方への旅をつづけた。こうしてユーラシア大陸の東の果てと西の果てまで現在の人類が棲みついたということになるのであります。
ミトコンドリア・イブの子孫が、8万5千年前という特定のタイミングで、アフリカ大陸からユーラシア大陸にわたった理由はなんだろうか、とオッペンハイマーは自問しています。すでに紅海の海水面は下がり、珊瑚礁伝いに、対岸は目と鼻の先に見えていたかもしれない。簡単な筏で出て行こうと思えばいつでも移動できたかもしれないのに。
仮説として、かれが考えているのは、こういう物語である。
この一族は、おそらく紅海のアフリカ側沿岸で魚介類を採取して栄養を取っていた人たちであった。ところが、地球が寒冷期になって海水面が百メートル以上も降下したので、紅海は事実上出口を塞がれて、インド洋との海水の交換をしなくなった。塩分濃度は急上昇し、豊かな海洋生物は死に絶えた。紅海の地質的な調査で、この時代の海面水位と生物の死滅については立証されているのだそうな。
食べ物がなくなったわけですから、やっとご先祖さまも意を決してアフリカを離れて対岸の、いまのアラビア方面にわたることにした。これがちょうど8万5千年のことであった。なぜ、もっと早く渡らなかったのか。おそらくは渡れない理由があったのだろう。もっともありそうなことは、向こう岸に先住民がいたことであります。つまり、ホモ・サピエンス・サピエンスとは異なる種のホモ族ですな。ホモ・エレクトスや、ネアンデルタール人のように石器をつかうヒトだが、わたしたちとはその遺伝子構造が異なる旧人類。
共存や交配ということもあったかもしれないが、おそらくは、ここで行われたことは旧人類の種の掃討であった。つまり、ここで人類は進化上での兄弟殺しに踏み切ったのかもしれません。
この人類の渡岸の地点は、現在の地図でいうと、紅海とその先のアデン海を分けるバブ・エル・マンデブ海峡にあたる。海はまっぷたつに裂けて人間を通したわけではないが、人々が紅海を渡ったことは間違いない。
最近では、ソマリアの海賊が大活躍しているあたりである。
「バブ・エル・マンデブ」とはアラビア語で「悲しみの門」という意味なのだそうです。
悲しみの門を出よ。
なんとも不思議な地名ではないでしょうかね。
人類の足跡10万年全史
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