6)サイエンス

2008/01/16

答えはもうある

「ユリイカ」の1月号の特集は南方熊楠。
池上高志と茂木健一郎の対話「われわれは皆クマグスである !?」のなかで、池上さんがこんな発言をしている。

だけど、本当に解きたい問題がある時は答えはもうあるということをなんとなく知っていることは結構大事だと思う。答えがあるかどうかを考える時は、それはすでに無意識に確認されているというか。

昨日、NHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、例の人工多能性幹(iPS)細胞の発表で、再生医療の分野の研究に画期的なブレイクスルーを果たした京都大学再生医科学研究所教授の山中伸弥さんを国谷キャスターがインタビューしていた。
ほとんど無限にあるはずの遺伝子の組み合わせのなかで、このiPS細胞を作り出すたった四つの因子をどうやって特定していくのか、素人にはもちろんよくわからないが、山中教授のグループがヒトの皮膚細胞からこのiPS細胞をつくりだしたことを発表したちょうど同じ日に別のアメリカの研究グループもほぼ同じ結果を発表したそうだから、本当に解きたい問題に答えがあるときは、答えがあることがあらかじめわかっているというのはなかなか説得力のある知見であります。

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2007/10/25

月見る月は多けれど

この夕刻、月を見あげて、おや今日の月はでかいな、と思ったあなたはなかなか鋭い。

2007_1025

7時過ぎに会社を出たとき、大阪の空に大きな満月がかかっていた。
ああ、そういえば、今日の月は今年一番のでかい月だと、SpaceWeather. comのニューズ配信にあったっけと思い出した。

The Moon's orbit is an ellipse with one side 30,000 miles closer to Earth than the other. The full Moon of Oct. 25-26 is located on the near side, making it appear as much as 14% bigger and 30% brighter than lesser full Moons we've seen earlier in 2007.

そう思って見上げるせいかどうか、たしかにでかい—ような気がした。
みなさんのところも、もし晴れていたら今日明日の月をどうぞお見逃しなく。

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2007/04/04

Hybrid Images

けっこう疑り深い人でも自分が見たものを疑うほどの懐疑家はまれである。 この目で見た、確かだ、間違いない、絶対だ。しかし人間の視覚というのは実は案外たよりない。だからマジックという芸が成立するのでありますね。

たとえば、視覚イメージをあなたの脳がどのように解釈するか、簡単にたしかめてみてください。こういう合成写真をハイブリッド・イメージというらしい。【こちら】

Groupfacehybrid_2

三人の女性の表情をどう解釈するか。目をこらしてよく見てください。わたしには悲しくてすこし涙をこらえているようにも思える。 では、すこし目をすがめて見るか、あるいは椅子から立って3、4メートルばかり離れたところからもう一度この写真を見てみてください。 あらら、三人ともにこやかに微笑んでいるではありませんか。

20070404 別の写真です。
どう見ても、アインシュタイン。でも、さっきと同じようにすると別の人物が現れます。
とくにこの写真は、画面からちょっと目をそらして周辺視野のところでぼんやりこの写真を意識するとマリリンがいるような気がして、あれっと写真に意識を向けるといきなりアインシュタインに戻るので、わかっていてもちょっとびっくりする。
こうした脳のイメージ解釈の研究は広告に応用されているのだそうですな。

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2006/10/08

シャンプーの恐怖

ひとりで夜を過ごすときには、あまり怖い映画みたいなものは見ないほうがいい。
でも、そういう夜にかぎって、なぜか山村貞子がずるずる這い出してくるような映画をみていたりするから不思議。
なにがいやかといって、そのあと風呂に入って髪を洗うのがいちばんいやだ。
シャンプーしている間はいやでも目を閉じる。
すると、ほら、背後に誰かの気配。いや、気のせいだって、ホントお前はこわがりなんだから、はっはは、とゆとりを装って自分に言い聞かせるのだけれど、「絶対、自分のほかに誰かバスルームにいるってば」という感覚は消えないのであります。そういう感覚を覚えながら目を瞑ってシャンプーするのは、ホント怖い。恐怖映画を見た後の醍醐味はこれにつきるのではなかろうか。(笑)

しかし、どうもそういう感覚は、もしかすると科学的に裏付けられるものかもしれない。ニューヨークタイムズのサイエンス・セクションにそんな内容の記事があった。

Out-of-Body Experience? Your Brain Is to Blame
By SANDRA BLAKESLEE

最近の研究によれば、脳の「角回(angular gyrus )」と呼ばれる部分に弱い電流を流すと、誰かが自分の背後にいて自分の動きを妨げようとしているという感覚が生じたり、別の被験者の例では、一種の幽体離脱のように自分がふわりと天井に浮き上がって自分の体を見下ろしているという感覚が生まれることがわかっているそうであります。
もともとは癲癇手術の前に、いったい脳のどの部分がその患者の発作を引き起こしているかをピンポイントで探るために何十本も電極を刺して、どんな感じがするかをヒアリングしたのがこの研究のとっかかりだそうで。
こういう霊感体験(ghostly experiences )どうも、わたしたちが自分の体の身体感覚の情報をきちんと統合できないところから生じている可能性があるというのですね。
わたしたちの身体感覚、つまり自分の躰がリアルタイムで、どういう空間を占めていて、どういう位置関係にあるかなんてのは、視覚、聴覚などのほかに、たとえば皮膚の感覚器官が受ける圧迫、痛み、熱、冷たさなどの感覚情報や、関節や腱や骨格からの情報として脳に集められる。聴覚器官は平衡感覚を司り、心臓や肝臓や消化器のセンサーは感情の状態を示している、ト。

そして、背後に誰かがいるという気持ちの悪い感覚は、自分自身の躰をあなたの脳がちょっとずれて二重に感じている結果である、ということらしい。もちろん、こういう感覚は病理学的な症例としても報告されているわけですが、かならずしも脳の器質的な疾患とかいうレベルではなくとも、たとえば登山家やヨットの単独航海者ではよく知られたことであるというのですね。なるほどね、たしかにヨットの単独航海者なんてのは、シャンプーするときの感覚からなんとなくわかるような気もするなあ。

え、あなた、これからお風呂ですか?それは、それは。(笑)

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2006/10/02

乱交の生物学

2006_1002 烏有亭日乗さんのところで、ティム・バークヘッドの『乱交の生物学』(新思索社)という本のことを知り、早速読んでみた。たいへん面白かった。
ちゃんとした内容は、烏有亭日乗さんの書評をお読みいただくとして、わたしのほうはこの本のどうでもいいエピソードからいくつか気楽なヨタ話など。

その一。
メスにとって卵子の受精を確実にするためのひとつの戦略は精子を貯蔵するという方法である。たとえば生息密度が低くて、オスとメスがちょうどいいタイミングで出会う確率があんまり高くないような種は、とにかく機会があればどんな相手であっても交尾してその精子を繁殖に都合のいいときまで貯蔵しておくというのは合理的なやりかたである。爬虫類はこういう精子貯蔵能力にたけている。ヘビには2年から3年の間精子を貯蔵する種がいくつかみられる。これに対してヒトはこれほどまでの精子の貯蔵能力はもちろんない。(でなければオギノ式はありえないですわな)
さて本題はここから。
あるとき著者はさまざな動物の精子貯蔵についての一般記事を書いたというのですね。そのなかでヒトの精子貯蔵期間の短さについても言及した。記事が掲載されてしばらくして著者のもとに手紙がきた。それは、北海油田で働いている男性からのもので、それによるとかれは仕事柄、いちど家を出ると三ヶ月は帰れない。しかるに、前回の勤務から帰ると妻が妊娠二ヶ月であったというのであります。かれは非常に信心深い人間なので、これは処女懐胎のたぐいか、あるいはヒトにおける精子貯蔵の新記録のどちらかだと思うと書いてあった。著者は、この男ただの変人と思って、手紙を投げ捨てた。翌日、今度はその男の妻と名乗る女から電話が入った。彼女は夫が手紙を事前に見せた様子を語って、すすり泣きをはじめた。もちろん、ヒトにおける精子貯蔵の新記録とか奇跡なんてわけないじゃないですか、ただ夫がいなくて寂しかったから・・・
著者は、これはまずい、こんな人間ドラマに巻き込まれてしまってはかなわないと、あせってその日は一日落ちつかなった。まあ、そうでしょうね。しかし、なんのことはない。すべては著者が指導教官を務める院生どものいたずらであった。
ははは、やるなあ、学生諸君。

その二。
睾丸(testis テスティス)の語源は誓い(testament テスタメント)あるいは証言という言葉と同じ語源をもっている。
誓いをたてるときにキンタマを握るのがローマの習慣であったから。(笑)
これほんとかしら。塩野七生の「ローマ人」シリーズにもそんな「大事」な話はなかったぞ。
裁判やら、公聴会やら、結婚式やらで、聖書に手を置いて誓うかわりに、キンタマ握りながら誓うのは絵柄としてなんかいいかも。あ、でもそうすると女はどうするんだろ。(笑)

その三。
精子と卵子を比較すると、ほとんどすべての種であきらかに精子の方が小さい。しかも、個体の生涯で考えると、ほとんど何兆個という精子をつくる種(たとえばヒト)にとっては精子の生産コストは無限に小さいはず。しかし、一方で精子は数百万個から数億個の単位で射精されたり、精包というかたちでパッケージにされて提供されるから、精子生産のエネルギーコストはけっこう馬鹿にできないかもしれない。というわけで、行動生態学者と呼ばれる人々は、オスが精子生産にどれほどのエネルギーをつぎ込んでいるのか(つまりどれくらい他のことを犠牲にしているのか)に関心を抱き続けてきた、と著者は説明する。
そして、精子の生産コストが決して安くないかもしれんよと次のように言うのであります。

精子が無限に生産できコストも安いという仮定は間違っている。(中略)少なくともすべての男性が知っているように、精子には限界がないわけではないということだ。なぜなら射精の後には回復期間をとらざるを得ないからである。回復期間はヒツジやチンパンジーのようないくつかの種においては非常に短いようだが、それでも彼らとて限界はあるのだ
ある一頭の雄ヒツジに一日五〇頭以上の雌のヒツジをあてがってみても、そのうち何頭かは妊娠しない。

ここでわたしは(食事中だったのだが)吹き出した。
いいですか、よくお読みいただきたい。最後のとこです。「何頭かは妊娠しない」ですよ。オスヒツジ君は音をあげたとか、終わりのほうはもういやになって止めたとか、やりたくてもできなくなっちゃった、というのではないことにご注目。
いやはや・・・・

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2006/08/26

プルートの使者

「ソーラー・システム」というと、テレビCMでおなじみの朝日ソーラーだとか、シャープの太陽光発電のことかいなと、どうしても思ってしまうのは、わたしだけかもしれないが、ちゃんとした英語の場合は、もちろんこれは「太陽系」のことである。

わたしが子供の時は、「水金地火木土天海冥」と覚えたものだが、あるとき、しばらくこれから最後のところは「天冥海」にするけんねと言われて、急にそんなこと言われても困るよなあ、なんて嘆いたもんであります。みなさんはそんなことなかったですか。(笑)

冥王星が一時的に海王星の軌道の内側に入ったのは1979年から1999年までの20年間だけだったそうで、また200年くらいは「天海冥」でええけんね、というわけですっかり安心して、油断していたら、今回の国際天文学連合の総会騒ぎである。

「矮惑星 (dwarf planet)」という新しいカテゴリをつくって、いままで太陽系第9惑星とされていた冥王星を降格するという。冥王星というくらいですから、これは冥府の王様の領土であります。こんな降格人事、わたしは、ぜったい祟りがあると思うぞ。(笑)来月あたり、地球に衝突する軌道の彗星が急に発見されたりして。プルートの使者、なんて。(笑)

Wikipediaで調べてみると、もう、今回の騒動の詳しい解説が書いてあります。(こちら)
これによると和名の「冥王星」は野尻抱影が命名者なんですね。納得。

ところで、この関連ですが、冥王星の発見者はアメリカ人のクライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh, 1906 - 1997)という天文学者。いかにもアメリカ人の好きな、苦学、努力の末に名声をつかんだ人のようですが、同じくWikipediaにこんな記事があって、なんだか「ふーん」と思ったなあ。

彼は生涯に14の小惑星を発見した。また、UFOにも関心を持っていた。
彼の遺灰の一部は、2006年に打ち上げられた冥王星探査機ニュー・ホライズンズに収められた。 冥王星が「惑星ではない」と定義された、2006年は奇しくも彼の生誕100年であった。

2006_0825 なんでもこの人、1949年に家族と葉巻型のUFOの目撃をしたらしい。
著名な科学者の証言として、その筋ではなかなか有名なんだそうです。それと今回の冥王星の惑星降格が関係があるのか、どうか知りませんが、まあこういうところでもアメリカ人は世界で嫌われているようで、少々気の毒な気もするなあ。

写真(APL)は冥王星探査機ニュー・ホライズンズに搭載されたトンボーの遺灰の容器だそうです。2015年の7月14日に冥王星に到着予定。まさか、飛行中にこんなことになるとは思わなかっただろうなあ。ますます祟りが心配。(笑)

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2006/07/19

フェイス・ブラインドネス

「皇帝ペンギン」や「wataridori」といった動物の記録映画を見ていて、不思議に思うのは、繁殖地で孵化したヒナのところに親鳥が餌を運ぶときに、何千、何万というヒナのなかから自分の子供をきちんと見分けているらしいことですね。間違って他所の子に餌をやったりはしない。
あれだけたくさんのヒナの中から、どうやって自分の子供を識別するのだろう。

「ペンギンのQ&A」というサイト(ここ)によれば、

ペンギンは、孵化の二,三日前から卵に穴があいて、中からヒナの鳴き声が聞こえますが、親はそれ以前から卵に向かって鳴きかけています。親子は孵化前後三,四日の間に、お互いの鳴き声を覚えると考えられています。

ということなので、どうもお互いの鳴き声で、親子の識別をしているらしい。

なるほど、それならわかるな。だってペンギンなんて見た目は全部同じだもの、と思っていたのだが、はたしてそうだろうか。たしかにペンギンの群れや海鳥の群れを映像で見ると、ぼくらの目には全部がまったく同じに見える。一羽、一羽の識別を視覚的におこなうことは絶対にできそうにない。しかし、だからといって、かれらも視覚的な個体識別ができないと決めてかかるのは早計かも知れない。

ニューヨークタイムズの7月18日版のサイエンス・セクションを読んでいたら、人の顔の識別ができないという症例の記事が出ていた。
正式には prosopagnosia というらしい。一般には face blindness 。
日本語ではどういうのだろうと検索したら、「ライフサイエンス辞書プロジェクト」というサイト(ちなみにここの英語教材はなかなかおもしろい)に「 (病名)顔貌失認, 相貌失認」と出ていました。

2006_0719このニューヨークタイムズの記事によれば、顔貌失認という病気は卒中などによる脳損傷の結果というのはまれで、多くは先天性もしくは発生上の障害であるというのですね。しかも従来考えられていたよりかなり広範にみられる病気なんだそうです。無作為に抽出した689人の学生を調査した結果2.47%がこれに該当した。
この病気の人は、たとえば本なら普通に筋を追うことができるのだけれど、映画やテレビだと、出て来る人が全部同じに見えてなにがどうなっているのかわからなくなっちゃうんだって。
たぶん、この病気のひとにとっては、ぼくらがペンギンの顔の違いがわからないような感じで人間の顔の違いがわからないんだろうと思う。
ただ、こういう病気の人は、相手の髪型だとか、声だとか、服装だとか、仕草などでその人が誰であるかを覚えるような「代償」を自然に身につけるので、大半の場合は社会生活にそれほど大きな支障はないようです。まあ、だからこれまではっきり「病気」だとは思われていなかったわけもそのへんにある。

最近の若いタレントは全部一緒に見える、と悪態をついているあなたも、もしかしたらこれかもしれませんよ。(笑)

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2006/01/08

地下鉄のネアンデルタール

「まったく馬鹿げている!」モンフォールがいつものようにアルザス訛りのフランス語でぶっきらぼうに言い放った。「きみたちは典型的なネアンデルタール人に髭を剃らせ、ジョギング・スーツを着せて、ニューヨークの地下鉄に乗せたら、他の乗客がじろじろ見るとでも思っているのか」

アーロン・エルキンズの『洞窟の骨』(青木久恵訳/ハヤカワ文庫)のなかで人類学者がネアンデルタールをめぐって口角泡を飛ばす。エルキンズのスケルトン探偵シリーズは、ミステリーとしてはさして出来がよいとは思わないけれど、いろいろ面白い話が出てくるのが楽しい。今回の議論の焦点となっているのは、ネアンデルタールは現生人類の祖先なのか、それとも現生人類とは別の絶滅した種なのかということだ。これが、殺人の動機にも関係してくるというエルキンズおなじみの趣向である。

このあたりのことは『ネアンデルタール人類のなぞ』奈良貴史(岩波ジュニア新書/2003)にはこんな説明がある。1990年前後、人類学会ではネアンデルタールが絶滅したのかしなかったのかの二大学説の論争が巻き起こった。

一つは、ブレイスらに代表されるネアンデルタールヨーロッパ現代人祖先説。継続説ともいわれるものである。また、アフリカやアジアでも、それぞれの地域のホモ・エレクトゥスが徐々に進化して、現代人になったと考える。これは、多地域進化説ともよばれる。
もう一つは、現代人の祖先はヨーロッパ以外のところで誕生し、ヨーロッパに移住してきてネアンデルタール人類と入れ変わったというネアンデルタール人絶滅説。

なお1987年にミトコンドリアのDNAが、母系だけに遺伝することを利用した解析で現代人の祖先は20万年前にアフリカに住んでいたとするイヴ仮説が登場し、この単一起源説とのからみでネアンデルタール人絶滅説が優勢となった。さらに追い打ちをかけるように1998年、ネアンデルタール渓谷の人骨の上腕骨からDNAの抽出に成功し、この分析結果によって、現生人類とネアンデルタールのDNA配列はかなり異なっていることがわかったため、現在ではネアンデルタール絶滅説できまり、ということになっているらしい。
それでも、ネアンデルタールと現生人類(ホモサピエンス)は生命の歴史というスパンのなかでは、ごく最近まで同じ地域、同じ時代を共存していた可能性が非常に高い。『ネアンデルタール人類のなぞ』は、ジュニア新書ということもあって、わたしのような門外漢にもたいへんわかりやすいいい入門書だと思う。

ところで、冒頭のニューヨーク地下鉄のネアンデルタールというのは、エルキンズの創作じゃなくて、実際にこういう論争があったのですね。これについては丸谷才一さんも『綾とりで天の川』に書いておられましたね。

まず、一九五七年アメリカ人のストロースらが、ブールのネアンデルタール人類の復元は誤りであり、彼らはわたしたちと同様の姿勢をしていたと発表した。その論文を「髪を切り、髭を剃り、帽子をかぶったネアンデルタール人に、ニューヨークの地下鉄内ではだれも気がつかないだろう」と結んだ。「ネアンデルタール人類=野蛮人」という図式の見直しのはじまりである。(『ネアンデルタール人類のなぞ』)

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この論文にそえられた挿絵が写真の頁である。うん、丸谷さんのいうとおり、こりゃ、欧米人によくある顔だよ。(笑)

(写真をクリックすると大きくなります)

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2005/12/08

プロテイン・イズモ

以前、イモリの生殖フェロモンの名前が万葉集に由来するという話を紹介した。(「イモリは見ずや君が袖振る」)今回も、それにやや似たようなオハナシだが、ことが人間にかかわることだからあまりお気楽に終始できるかどうかはわからない。

雑誌『生物の科学 遺伝』の11月号を新しくできた奈良県立図書情報館(これはたいへんよい施設)でぱらぱら眺めていたら、こんな短いコラムが目に止まった。
動物の受精メカニズムで長い間謎だった精子側の因子が、このほど日本の研究チームによって突き止められた。この因子であるタンパク質は縁結びの出雲大社にかけて「Izumo」と名づけられた。研究チームは『Nature』に発表、とある。
ほんとかね、と念のため『Nature』のバックナンバーをあたってみたら、ちゃんとありましたね。(10. March 2005/ No.7030)

なんでも、このタンパク質は精子と卵子が結合した後の受精の最終段階であるところの融合メカニズムを制御するらしい。せっかく卵子に辿り着いた精子も、このタンパク質を生成できないと最終的に生殖に失敗するわけだ。細胞レベルでの縁結びを最後に可能にする因子だということで、イズモという命名になったのでしょう。縁結びと子授けとは、神様の方の業務分担が違うような気もするが、まあいいか。

これが実用化できればふたつの使い道がありますね。
ひとつはイズモを促進させて不妊治療に用いること。
もうひとつは逆にイズモを遮断するかたちの新しい避妊方法。

しかし避妊に使うとなると、精子は苛酷な競争をくぐりぬけて卵子に巡り合い、結合を果たし、いざ融合しようとしたところで失敗するわけですよね。最後の最後で騙まし討ちみたいな感じでどうも寝覚めがよくないような。(笑)

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2005/11/18

七色の虹のトイ・ストーリー

むかし流行った歌謡曲に、「七色の虹が消えてしまったの/シャボン玉のような私の涙」というのがあった。歌っていたのはロスプリモス。曲名は「ラブユー東京」であります。わかんない人は、またまたおっさんのナツメロかよと、どうぞお笑い下さい。
ego
この歌にあるようにシャボン玉というのは、その表面に光を受けて虹のような模様をくるくる回し、はかなく消えてゆくもの。17世紀のフランドルの油絵に粘土のパイプでシャボン玉をつくって遊ぶ子供の姿が残っているそうですが、子供のころに誰でも遊んだことがあるにちがいない。日本ではえごの花をつかったともいいますね。えごの花はサポニン(シャボンの語源)を含んでいる。サポニンは界面活性作用がありますから、とうぜんシャボン玉ができるはず。ただし、一度試してみたら、残念ながらうまく行きませんでした。量が足りなかったのかもしれない。

いずれにしても、植物からつくったシャボン玉液は、市販の洗剤やおもちゃのシャボン玉液に比べるとささやかなものであったでしょう。しかし、その液をストローの先につけて膨らませるとふんわり、くるくる回るシャボン玉ができる。そのシャボン玉自体は、400年前のフランドル地方の子供や江戸時代の日本の子供が目にしたものから姿をかえてはいない。

ところが、11年ばかり昔のこと、ミネソタはセント・ポールに26歳の若者がおりまして、おもちゃの発明家の弟子だったのですが、そうだ色のついたシャボン玉があったら面白いじゃんと思いついた。七色の虹がくるくる回る透明なシャボン玉ではない。青やオレンジやピンクの色で鮮やかに輝いているシャボン玉という意味だ。

名前をティム・キーホウ君という。(Tim Kehoe ですが、読み方は違うかもしれない)
なんでだれもこんな単純なことを思いつかなかったんだ。簡単じゃん。やったぜ、これでオイラは大金持ちだ。

ところが、もちろんそんな簡単な話ではない。色素を界面活性剤になじませ、均一にしてシャボン玉の表面にむらなく広げることが第一にむつかしい。やっとのことで、色のついたシャボン玉がつくれるようになって玩具メーカに持ち込んだ。重役会議の席でプレゼンテーション。色のついたシャボン玉がぷかりと浮かぶと役員連中は「おお!」とどよめいた。だが、ぱちんとはじけるとテーブルやカーペットに色が染みついた。「石鹸で洗い落としといてくれよ。まったく。水で洗い落とせるんでなきゃおもちゃにはならんよ、キミ」

しかしまあアイデアはよろしいということで別口の50万ドルの大スポンサーをみつけてさらに実験、実験の繰り返し。ついに水で簡単に落とせるカラフルなシャボン玉が完成だ。
マーケット・リサーチで、お母さん連中と小さな子供たちを試験グループにしてパーティに招待。さまざまな色のシャボン玉に子供たちは歓声をあげる。はじめてこんな光景を見て感動のあまり目を潤ませるお母さんもいる。だが、次の瞬間、シャボン玉がはじけると、子供たちの髪は汚れ、服は色が染みつき、スポンサーが連れて来た犬もどろどろだ。「大丈夫、ぜんぶ水で落とせますから!」というキーホウ君の叫びもむなしく、パーティはドン引け。こりゃあかんわ、とても商品にはならん。

つまり、商品にするには、はじけたとたんに色が消えてしまう魔法のようなシャボン玉でなければとても無理だと、キーホウ君は覚る。だんだん色が薄れるとか、他のものに色が移るとかでは駄目で、一瞬で完全に消えて、最初からそんな色はどこにもなかったとしか思えないようなものが要る。
そんなことは不可能だと、あきらめてしまえば話はおしまいだが、ここからが面白い。なにしろ、資金はたっぷりある。キーホウ君とスポンサーは化学者を雇った。化学者の名前はラム・サビニス(Ram Sabinis)、ボンベイで化学の博士号をとり、いくつかの特許を持っている。

「はじけた途端に色が消えるシャボン玉はどうやったら出来るかって?うん、ええと、たぶんラクトンならイケルかも」と博士。
「ラクトンって何、それ?」とキーホウ君。なにしろかれは町の発明家で、化学の専門知識はないのだ。

Wikipediaによれば、「ラクトン (Lactone) は、分子の環の一部としてエステル結合を持つ化合物を指す」。
といっても、なんのことか、よくわからないが、このラクトン構造を応用すると、シャボン玉ができているときは一つの色の可視光線しか通さず、シャボン玉がはじけると、分子構造が変わって、すべての可視光線を通すので透明になる、といったことらしい。(このあたりはかなりいいかげん(笑))
zubble_b
こうして苦節11年、ついに消える色つきシャボン玉は完成し、このたびめでたく商品化されたそうです。商品名は「Zubble」。トイザラスはクリスマス商戦に投入したいと言ったとか。
50万ドルの投資の元は取れるのかな。
以上は、アメリカの科学雑誌「ポピュラー・サイエンス」の最新号のwebの記事からのご紹介でした。おもしろい記事でしたので、興味のある方はどうぞ。ちょっと長いけどね。【ここ】
なんでも、この発明をこの雑誌は今年の大賞に選んだそうです。

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2005/10/19

生命の量子論レシピ

最近、松岡正剛さんの千夜千冊で、エルヴィン・シュレディンガーの『生命とは何か』(岩波新書)という本の紹介(第千四十三夜【ここ】)を読んで、ものすごい刺激を受けて、これはなんとしてでも読まなければと思った。ところが、いつも利用している大阪府立中央図書館の蔵書検索では、この本は個人貸出不可の扱いとなっているのだなあ。傷みがひどいとか、貴重な書籍だとか、そういう理由なんだろうけれど、残念だ。
しかし、そういう思いが、引き寄せたのだろうか、なぜかいままで読んだことのなかった「NATURE」(487/06.oct.2005)を手に取ったら、ポール・デイヴィスというオーストラリアの学者のエッセイが目に飛び込んで来た。不思議なこともあるもんだ。タイトルは"A quantum recipe for life"という。
20世紀、もっとも影響力の大きかった物理学の本のひとつはエルヴィン・シュレディンガーが書いたけれど、それは実のところ物理学の本じゃなくて、生命科学の本だったんだよね。かれの連続講義をまとめた『生命とは何か(What is Life?)』がそうなんだ、という具合にエッセイは始まる。

へえ、こういう見方って松岡正剛さんだけじゃないんだな、とびっくりした。(失礼。あまり、信用していなかったことになるな(笑))

内容は、まあわたしが要約すると、とんでもない話になりそうだが、生命の起源というのは、アミノ酸のスープをつくっていろんなガスをフラスコに充満させて、そこに雷を落とすなんて実験(有名なこの実験は1952年なんだって)じゃ、うまくいかないさ。そうじゃなくて、もし生命の起源が情報複製なんだったら、それはまさに量子現象なんだから、60年も前に、シュレディンガーが言ったように、それは複雑な化合物の媒体なんかなくても、冷たい星間物質の原子世界からだって直接発生する。量子論からのアプローチで、人類の最大の謎である生命起源の解明ができるのじゃないかなあ、なんて内容だと思う。(たぶんね)
soup
つまり、このエッセイの題名「生命の量子論レシピ」(でいいのかな)というのは、どうも有機化合物から生命を生み出そうという試みを下手なスープ料理にみたてた皮肉なんだと思う。気の利いたタイトルだよね。

もちろん、わたしはシュレンディンガーなんて「ああネコで有名なヒトね」なんて浅はかな知識しかないのではありますが(笑)、直感として、量子論的な「ゆらぎ」によって無から宇宙が生まれたということと、生命のない物質から生命が生まれたということは、もしかしたらなにか関係があるのではないかしら、なんて気がしないでもない。このあたりを数学的にきちんとフォローできるアタマがあったら、老後も退屈しないんだろうなあ。うらやましいや。

photo by striatic on Flickr. thanks for sharing.

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2005/06/29

イモリは見ずや君が袖振る

退屈男さんの昨日の記事に、イモリの金玉は六個あるという説。ネット検索しても真偽不明とのこと。それはタイヘンだと(笑)わたしも調べてみました。今日は休みだかららどうせヒマだ。
調べてみてわかったことは、そもそもイモリくんたちの性生活はニンゲンとはかなり違うらしいということである。
どういうことかというと、連中はそもそも雌雄の生殖器を交接するというかたちのセックスはしないようなのだな。おおざっぱに言うと、オスは精子の入った袋をメスに受け取ってもらい、メスはとりあえずその精包という袋を体内に貯蓄しておき、自分の都合のいいときに受精するという繁殖戦略である。

なかなか清らかで合理的な性生活でニンゲンも見習いたいが、あんまり楽しくなさそうでもある。

残念ながらオスの金玉が何個あるかはわたしもいまのところわからない。たぶんこの「金玉」で精包を製造加工しているのでありましょう。
くわしい説明はこちらに図説してありましたので、どうぞご覧になってくださいませ。(ここ)
面白いのは、オスが求愛行動をとるときに出すフェロモンで、これ「ソデフリン」というらしいのね。命名の由来は、額田王の「あかねさす紫野行き標野行き」なんだって。おもわず笑ってしまった。

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2005/01/22

カンブリア紀の怪物くん

炭坑と石灰鉱山がふたつながらにある田舎町に生まれ育った。
化石がたくさん出る地帯である。太古の羊歯類や海洋生物の化石などはありふれたものなので、学校の理科室にごろごろしていた。指で触れると、そこに何十億年という時間がつまっているようで不思議な気がした。
だからスティーヴン・J・グールドの『ワンダフル・ライフ - バージェス頁岩と生物進化の物語』(早川書房/1993)が日本語版で出たときはうれしかった。opabinia
あの本に登場したハルゲニアやアノマロカリスには胸がおどった。なかでもお気に入りはオパビニアという動物だ。なにせ、こいつには眼が五つもあるのである。
グールドによれば、生命の進化はカンブリア紀に「爆発」した。この時代に生命はもっとも多様化し、(そしてここがグールド説の肝心なところだが)どの種が進化の主流として生き残るかはまったくの偶然によるものだった。だから、もしもういちど進化のテープを巻き戻し、プレイボタンを押したら進化はまったく別の分岐を繰り返し、おそらく生物はいまとはまったく異なる姿になったことだろうというのだな。動物の眼が五つあるような世界になっていても別におかしくはなかったということか。
ところが昨日読み終えた『カンブリア紀の怪物たち - 進化はなぜ大爆発したか』サイモン・コンウェイ・モリス(講談社現代新書/1997)では、このグールドの説がふたつのことで真っ向から否定されている。
ひとつはバージェス頁岩の生物群が、かならずしも分類された既知の生物の系統とまったく異なるものではないと考えられるようになったこと。
もうひとつは、進化によってしだいにきまっていく生物のデザインというのは、かならずしも予測不能のものではなく、無限の選択肢があるわけでもないということだ。これを収斂進化と呼ぶらしい。有袋類と哺乳類でまったく異なる種の系統から進化しながら、剣歯ネコとサーベルタイガーはほとんど同じ形、同じ機能の犬歯を発達させているのがその好例だ。
なるほど、そういうものかと思いながら、それでも、五つ目の生物が進化した地球を想像するのは楽しい。人間も五つ目だったら、どんなスポーツをしているかしら。

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2004/11/04

カマキリくん、君の瞳に乾杯

朝、ベランダにカマキリがやってきたので、さっそく写真をとってflickrにアップする。まったく家に有るものなんでもかんでも撮って公開するのはやめてよね、と家人には注意されるのだが、中毒なので仕方がない。さすがに冷蔵庫の中身は絶対禁止と釘をさされている。私小説作家の業の深さがわかるような気がするな。(笑)mantis

さて山口誓子の句に「蟷螂の眼の中までも枯れ尽す」というのがあるけれど、あれはたぶん茶色くなったカマキリを詠んだものだろう。まだ若いみどりみどりした奴をつくづく眺めると、なかなか愛嬌がある。同じく誓子に「かりかりと蟷螂蜂の(かお)を食む」というのがあって、まったく人間とは異質な生き物の不気味さを感じさせるが、こうして写真で見ると案外ユーモラスな表情だ。
その理由は、眼がマンガみたいだからだろう。黒い瞳がまるでじっとこっちを見ているような気がするのだな。同じようなことを考える人は多いようで、たとえばこちらの方は、子供の頃つらいことがあると野原にいって カマキリに話しかけていたそうな。ちゃんとこっちの目を見て話を聞いてくれたからって。(笑)ここ

ところがだ、よく考えると昆虫の眼は複眼なんだから、これが瞳孔でここからレンズに光を集めるような仕組みであるはずがない。じつは、上記のサイトにも書いてあるが、この黒い点は偽瞳孔といってこれでカマキリくんがこっちに目を合わせてくれているわけではないのだな。この黒い箇所、昼間は小さな部分だが夜になると、この複眼全体が黒くなって、すべての光を吸収する。夜でも活動できる殺し屋の秘密であります。
人間の眼は色を受ける色素が三つしかない(色の三原色と関係があるのかどうかは調べてないけれど、なんかそんな気がする)のに対して、カマキリの眼はこれが10あるのだそうだ。(ここ)いやあ、カマキリの脳には世界はどんな風に見えているんだろう。

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2004/10/31

ホビットたちの島

スケルトン探偵、キデオン・オリヴァー教授もいまごろは大興奮だろうなぁと思ったのはわたしだけだろうか。
インドネシアのフローレス島で見つかったホモ属の新種とされるヒトの骨は、これから大きな問題を引き起こしそうだ。

BBC NEWS | Science/Nature | 'Hobbit' joins human family tree

身長は1メートルそこそこで、グレープフルーツほどの小さな頭蓋骨。火を使い、道具をつかっていたことが明かだという。BBCのタイトルは
'Hobbit' joins human family tree (ホビット、人類の系統樹にくわわる)
まさに伝説のホビットがほんの少し前まで(といっても12000年前だが)存在していたわけだ。
BBCにはさっそくデズモンド・モリスが寄稿していて、これがなかなか面白い。
(ここ)
もし、かれらの子孫がまだ生きていて発見されたとちょっと考えてごらん。人類はかれらをどうあつかうべきなんだろう。もしこの生き物の幼児をイギリスに連れてきたら、ぼくらはかれをイートン校にいれるべきなのか、それともやはり動物園に?かれが死んだら、聖堂に葬るのか、それともペットセマタリーに? とモリスは問いかける。ほんとうに深く考えだすと、これはたしかにむつかしい。もしかれを「人間」として扱うなら、チンパンジーはこれまでどうり動物でいいの、とすぐに考えだすからだ。そもそも人間だけが特別だという境界はかなりあいまいなものだが、こういう生き物が存在するとそのことをまともに突き付けられることになるからだ。
事実、宗教界ははやくもパニックで、すでにこの骨が悪魔が置いたものだという宣伝がはじまっているそうな。そりゃ、そうだろう。神様はこの人類だけを人類としておつくりになったのでは「ない」ことをどう旧約聖書と擦り合わせればいいというのか。まあ、仏教はむしろ悉皆成仏で安泰かもしれないけどさ。

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2004/06/28

男か女かって?いや、蛙だね、こりゃ

どこまでまじめなんだかよくわからないけれど、BBCニューズにこんな記事が。

BBC NEWS | Middle East | Iranian woman 'gives birth to frog'

An Iranian newspaper has reported the controversial story of a woman who claims to have given birth to a frog.

日本のバカ女なら、こういう場合、
「ていうかぁ、カエルだしぃ」
なんてきっと言うな。

It has been speculated that the woman, who has not been named, unknowingly picked up the larva while she was swimming in a dirty pool.

ばか言ってらあ、てなもんですが、やっぱりこれはイラン人を馬鹿にしているのでしょう。

Medical history recounts stories of people who believed they had frogs - or even lizards or snakes - living and growing in their bodies.One of the most famous was the 17th Century case of Catharina Geisslerin, known as "the toad-vomiting woman" of Germany. When she died in 1662 doctors are said to have performed an autopsy, but found no evidence animals had ever lived inside her body.

ドイツのthe toad-vomiting womanてのは、こちら
現代の中東はヨーロッパ中世みたいなもんだと言っているのでしょうかね。

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2004/06/01

月までの距離、サルとヒトの差、養老孟司さん

TDK Science Museum:青色レーザのルーツ

人類初の月面踏査を成し遂げたアポロ11号の宇宙飛行士は、レーザ光を反射させる鏡を月面に据えて帰還しました。これによって地球と月の距離は1m以下の誤差で測定できるようになりました。反射鏡が置かれたのは、月面の“静かの海”。月の白黒パターンをウサギに見立てると、ちょうど顔に相当するところです。

青色レーザーについて検索したら、TDKのScience Museum というページに行きついた。これはなかなかいい記事だな。
養老孟司さんの『人間科学』(筑摩書房/2002)に、月までの距離なんてのは普通の人には、きわめて不正確であってもなんの問題もないが、「ロケットを飛ばすかなにかで非常に重要になれば、きわめて細かく算出される可能性がある」(p.92)なんて書いてあるのだが、なんのことはない、もう40年も前から「きわめて細かく算出されていた」ことになる。全然、知らなかったな。
そういえば、チンパンジーとヒトの遺伝子の差がわずかに1.23%にすぎない、なんてデータについても、養老さんはよく著書の中でも書いているけれど、これは以前の推計方法による「きわめて不正確」なものだったようだ。つい最近の研究では、5パーセント以上は違うとか。まあ、それでも、基本的な論旨に影響があるわけではもちろんないけれど。
チンパンジーとヒトの遺伝子の差異についての発表はここ↓(もちろんぼくはきちんとは読んでない。)
http://www.nature.com/cgi-taf/DynaPage.taf?file=/nature/journal/v429/n6990/full/nature02564_fs.html

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2004/05/30

代替エネルギーの実力は?

The New York Times > Business > A Different Era for the Alternative Energy Business

Electricity-generating solar panels, which were invented 50 years ago and cost $100 a watt in 1976 now sell for less than $3 a watt, and are expected to continue declining 5 percent annually in cost even if there are no technology breakthroughs. For now, solar energy technology is approximately 10 times as expensive as traditional fossil fuel systems for generating large amounts of electricity, according to a recent estimate by the Sandia National Laboratories. But solar is already a cheaper alternative for powering sites that are long distances from the power grid.

ニューヨーク・タイムズにこんな記事がさりげなく出ている。
産油国への牽制という意味ももちろんあるのだろうが、まあ、ここはそこまで皮肉に考えず、明るい展望とうけとめたい。巨大な集中システムなんかなくしても、分散とネットワークで電力は十分にまかなえる時代が来るんじゃないかと素人は思うのだが。そうなると原子力プラントをばかばかつくってきた電力会社も石炭産業みたいに消えてなくなるか。

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