g)サイエンス

2012/12/09

食べても大丈夫な話

食物の毒性についてはふつうマウスやラットなどの実験動物に対する「半数致死量」という概念が用いられる。ある物質を一定量与えた場合、その半数が死に至る量を意味するんだそうですな。
表示は「LD50(50% Lethal Dose)」で、単位は「mg/kg」である。
たとえば、トリカブトの毒であるアコニチンという物質のLD50はラットの経口で約6mg/kgであるので、あくまで人間をラットに見立てた参考値ではあるが、体重60kgのヒトの場合、360ミリグラム(6×60=360)がこれにあたる。つまり1グラムの三分の一ほどでヤバイわけですな。

法律上は経口毒性でLD50が50mg/kg以下の物質が「毒物」、50〜300mg/kgの物質が「劇物」と分類される、ト。

ただし毒物、劇物といっても、なにも特別なものではなくて、毎日ふつうにわたしたちが口にしている物質も、過剰に摂取すればとうぜん人体には害になるわけで、たとえばお茶やコーヒーのカフェインも法律上は劇物であります。
WikipediaによればカフェインのLD50は200mg/kg。単純に60キロの人であれば、12g(200×60=12000mg)をとれば半数が死に至るということになる。
レギュラーのコーヒー一杯に含まれるカフェインはだいたい100mgくらいだということなので、カフェイン12gをコーヒーで摂取しようと思えば120杯を立て続けに飲む必要がありますね。まあ、こんなことは現実にはありえないから心配はいらないわけだけれど。

辛いものが大好きという人も多いが、唐辛子の辛み成分カプサイシンはLD50が60mg/kgくらいですので、かなり法律上の毒物に近い。
同じく体重60キロの人なら、3.6グラム(60×60=3600mg)が半数致死量になりますね。おやおや、ずいぶん少量で死に至る可能性があるなあという気もするが、だいたいふつうの辛さの唐辛子の場合、カプサイシンの含有量は約0.5%だそうですから、3.6グラムのカプサイシンを摂取するには、720g(3.6/0.005=720g)の唐辛子を一気に食べる必要があることになります。いくらなんでも唐辛子そんなには食えないやね。
ただしちかごろはやりのハバネロの場合は、カプサイシンの含有率が5%とふつうの唐辛子の10倍ですから半数致死量は72グラム。これはリンゴの四分の一くらいの重さなので、丸呑みすれば案外いけるかな、という気もするけど——無理だって。(笑)



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2012/02/14

恐竜の尻尾

警察っていうのは、豆粒大の脳みそをもった恐竜みたいなもんだ、身動きできないし、足もとさえ気をつけてりゃいともたやすくだしぬける。

ジョナサン・ケラーマン『少女ホリーの埋もれた怒り』

子どもの頃になじんだ理科の知識が、いつの間にか時代遅れとなっているということがある。大げさに言えば、パラダイムシフトってことになるのだろうが、何万年、何億年前のことは、もうはるか時の彼方の変えようのない事実なのに、それがなんであったのかということが、現代のたかだか数十年でころころ変ってしまうのはなんだか可笑しい。

たとえば、わたしが子どもの頃に眺めていた百科事典で、大好きだったのがジュラ紀や白亜紀の想像図である。巨大な羊歯類、いろんな草食恐竜、それを襲う肉食恐竜、遠くに火山の噴火なんてのがお決まりのカラー図版だが、むかしは恐竜は、その巨大な尻尾を、ずりっ、ずりっと、地面に引きずるような感じで描かれていましたね。
ひどいのは大型の肉食恐竜で、垂直に突っ立って、異様に小さな前肢をちょっこと突き出し、後ろに倒れないように長い尻尾を地面にのばして躯を支えていた。緑色の稲妻形の模様なんかを躯につけていたりして。子供心に、こいつら、かっこ悪いよなあと思っていましたな。
百科事典の解説に、恐竜は身体があまりに巨大であるために神経の伝達に時間がかかり、尻尾の先に岩が落ちてきても、脳にその信号が伝わるまで数十秒の時間がかかるのです、なんて書かれていたりした。ほとんど間抜け呼ばわり。(笑)

ところが、やがて、恐竜は鳥と同じように俊敏に動く生き物だったというコンセプトになり、ジュラシックパークの映像で、ああ、どうやらこっちのほうが本当みたいだなとみんなが思ったのじゃなかろうか。わたしは、あれにすごく納得して、子どものころの、かっこ悪いなあという不満を取り払うことが出来た。

リチャード・フォーティ『生命40億年全史』(草思社)によれば、大英自然史博物館のメイン展示ホールにある復元模型は、1990年代まで、その復元イメージは旧来タイプだったとあります。

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背骨の長さ25メートルという巨大なディプロドクスの復元ですが、その尾っぽは元気のなく後方に垂れ下がり、一番端っこのほうがダリの画のように小さな支柱でささえられていたらしい。目の前にこの尻尾の先があるので、この先端部分の骨——といってももちろん石膏のレプリカ——は頻繁に盗まれてしまった。そのため、展示ホールの裏の小部屋にはその骨の複製をたくさん入れた専用の箱があって、盗られても翌朝の開館までにすぐ修復していたのだそうですから笑ってしまうね。

しかし、恐竜の尻尾の機能を力学的に解析すると、あれは長い首とバランスをとるためのもので、東京ゲートブリッジではないが、尾はもっと高く掲げられ、鞭のように元気よく打ち振られていたという新しい解釈が主流になりました。
てなことで、ようやく、大英博物館もその復元模型の再構成をすることになり、尾っぽの先端部分が人の手の届かない高い場所につり下げられることに。こうして、このジュラ紀の巨大恐竜は悩まされていた盗難被害とおさらばできたのだそうです。めでたし、めでたし。

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2011/10/04

「わたし」という密航者(下)

ゾウさんのお鼻はなぜ長いの、という子どもの質問にきちんと答えることができないのと同様、人間になぜ「わたし」という意識があるのかはほんとうのところはよくわからない。たまたま現生人類につながる旧人類のなかで、そういう「モノ」がそなわった種が突然変異として生まれ、そういう「モノ」をよりクリアに長時間維持できる集団のほうが、種の維持の上で優位に立てるためにそうなったのだということなのかもしれない。

しかし、そうであろうとなかろうと、人間という種のレベルで考えても意識の起源というのは、むしろ気がついたらすでにそこにあった、というようなタイプのものであろうと思われる。
そして、ここでも個体発生は系統発生を繰り返すではないが、わたしたちひとりひとりの人生の旅のなかでも、「わたし」という意識は、気がついたらすでにそこにあったようなあり方でしか考えることができないのではないか。

さて、では「わたし」という意識がクリアにあるというのはどういうことかと、ない知恵を必死にしぼって考えに考えていくと、なんだ、それはつまるところ「ことば」ではなかろうかとおぼろげながら理解できるようになる。

人間も動物の仲間である以上、眼や耳や鼻などの感覚器から得られた情報をもとにして自分が現在いる世界を脳のなかで再現するという仕組みは共通である。もちろん感覚器の性能が種によって大きく違う以上、人間が再現している世界と、イヌやウマが再現している世界はまったく違っているだろう。しかし、基本的な仕組みは同じである。

たとえばいま広大な草原に立って、目の前の地平線まではるかにひろがる大地をただあるがままに見る。風が吹き、草がゆれ、青い空を雲がゆっくりと動いて行く。そういう世界を、あるがままに感じているだけの無我に近い世界、それが動物たちにとっての世界に近いものだとしたら、かれらには無い(すくなくとも人間と同等のクリアなレベルには無い)意識というのは、なんだろうか。
それは「地平線かあ、広いよなあ、おや風だぜ、いい気持だ、大きな雲が動いてら、そういやむかしワタシの好きなソオーゲンって、歌があったなあ、アグネス・チャンあいかわらず日本語下手だよなあ」などといった意識の流れであり、それはとりもなおさず言語である。この言語を全部取っ払って、ただ世界を感じているだけの状態(というのは実際にはむつかしいのだけれど)が動物たちの脳のなかの世界なのではないかしらん。

つまりクリアな意識とは要するに言語そのものではなかろうか。
意識の構造とは畢竟、言語の構造のことである、とわたしには思えます。

「わたし」ははじめ密航者だった。長い航海のはじめのころにふと気がつくとみんなが、おやいつの間にこんな身元不明のやつが紛れ込んでいたんだろうと思うような、船の運航には本質的には必要のない、べつにそんなやつがいなくても船乗りたちにはかまわない密航者だった。
だが、やがて長い航海のなかで、嵐を乗り切るための選択のときにみごとな洞察を示し、あるいは船乗りたちの乱闘にいたるような利害を調整して、みるみる頭角をあらわし船長として君臨することになった。
しかし、この船長は操船にはまったく素人同然で、判断を仰がれないときは、操舵室の後ろでぼんやり海やら空をながめてぶつぶつ独り言をつぶやき、こまかいことはお任せしますからと只乗りの乗客同然、やがて船路の果にはもとの密航者よろしく役立たずに終るのであろう——。

今回のネタは、ブレインサイエンス・ポッドキャストの「エピソード75」、デイヴィッド・イーグルマン博士のインタビューから。もっとも内容は全然違っていますけれど。
【こちら】



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2009/11/20

さてわたしとは何なのか

人間とは何か。
という形で問いを立てたことが、じつは、私にはない。
というよりも正確には、私にとって、問いは、どういうわけか常に必ず、
人間とは何か。
と、問うているところのこれは何か。
の形をとる。

  「デカルトを擁護して」
  『私とは何か さて死んだのは誰なのか』
  池田晶子

「わたし」とはなんであるか。「わたし」はどこにいるか。
あるいはもっと簡単にこう言いかえてもよい、「わたし」とはすなわち脳のことであるか。
だが脳というのはつまるところ臓器のひとつである。この細胞の塊が「わたし」であるかといえば、どうもそうではないような気が誰でもするであろう。
「わたし」というのは脳のなかでつくられているものだ、ニューロンの発火がすなわち「わたし」というものだと説明されると、ああそうなんですか、ふーん、なるほどね、というくらいの気持ちにはなるけれども、どこか完全に納得しかねるような気分が残る。

それに対して、いやじつは、「わたし」は脳をつかって「わたし」のことを考えているのじゃないかしらと言ってみると、案外このほうが真実に近いような気がしませんか。わたしはしますね。

頭のいいやつ、わるいやつ、と一口に言うけれども、それは脳の産物であるところの「わたし」の品質の差だといわれるとどうも立つ瀬がないが、いや、そうではなくて「わたし」というものがそもそも先にあって、これがそれぞれ自分の肉体に与えられた臓器としての脳をつかって考えているのだよ、だからこれは駆けっこが速いかどうかと本質的な違いはないのよね、と言われると精神衛生上はなはだよろしいのであります。

いまこれを、そもそも心身二元論などというのは、なんて言葉で言われると、ははあ哲学ですか、わたしらバカだからわかりませんと思ってしまうけれども、いやなに、これは脳が先か「われ」が先かの問題なのであります。二元論はちかごろ旗色が悪くて魂があるなんてのはオカルトじゃん、バカじゃんということになっているのでありますが、これは考えてみるとなかなかそう簡単な問題ではない。

わたしにとって「わたし」がまちがいなくあるというのは、これは自明のことで疑うことはできない。
失礼を承知で申し上げれば、あなたにとっての「わたし」がほんとうにあるのかどうかは確信はもてません。たぶんわたしの「わたし」が絶対であることから類推して、あなたの「わたし」もたぶんあるのだろう。まあそういうことにしておいてあげよう。疑えばきりがないもんね。まあ、あんたの「わたし」があることで、わたしとしては別にこまるわけではないから、あんたがどうしてもあるというならまあ認めてあげるけんね、とお互いに思っているのが、「わたし」というものなのである。

わたしにとって「わたし」があることは自明だが、それをお見せしたり、示したりすることは誰にもできない、というのは、たとえば「痛み」というのとじつは同じであります。

あなたがリビングの椅子に裸足の小指の先を思い切りぶつけたとする。
「イッテェー!!」と叫ぶ。この痛みがあることは疑いをいれない。
だって死ぬほど痛いんだもの。そりゃあるに決まっている。でもちょっとまってくれ。その小指が痛いというけれど、痛みはそこにはないのである。だって痛みを感じているのはあんたの脳である。脳が痛みを感じているのなら脳が痛むかといえば、いやもちろん脳は痛くない。小指が痛いのである。しかし、さてこの痛みというのはどこにあるのか、それは物質なのか、そうではない。それは信号なのか、まあそうだろう。だが、神経を流れる信号のパルスをいくら波形で表してみても、そのときに伝達される神経物質を抽出してみてもそれと「痛み」そのものは同じではない。痛さというのははただの脳の中のイルージョンにすぎないなんていう奴がいたら、くそったれ、同じ目にあわせてやろうじゃんか、てなもんであります。

つまり「わたし」というのはそういうもんなのでありますな、おそらく。

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2009/10/26

浅瀬で生まれた水の膜

「行く河の流はたえずしてしかも本の水にあらず」とか「年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず」とか、目の前にわたしたちが見ているうつつの相はじつは流れ去りゆく時間のなかのたまゆらにすぎないというような思想をわたしたちは古人から教えられ育ってきた。
大きく言えばそれは歴史ということにかかわる思想であろうし、もっと身近なことにひきよせれば、それは自分の人生にかかわることだろう。
しかし、その古人たちも、たとえば自分の手をじっと見て、ああ、この手は半年前の手に似てはいるがあのときの手とはもう同じではないのだなあ、なんてことは思わなかったのではないだろうか。
なるほど、ツメや髪や髭ならば、いつも手入れして同じ外観に保っていても、それは下から伸びてきた部分と入れ替わったものである。しかし、手足や目玉や心臓などは、新しいのがどんどん生えてくるわけではない。まあ垢を落とせば新しい表皮はでてくるが、自分の体の主要な部分は再生するものではない。死ぬまで大事に使っていくのだよ、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり、てなもんであります。

ところが、いまから70年ばかり前に、ルドルフ・シュタイナーというユダヤ系の分子生物学者がとんでもないことを発見した。これは福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』や『動的平衡』に詳しく書かれておりますけれども、この先生、ナチスを逃れて亡命したアメリカで、マウスにアイソトープ標識をつけたアミノ酸を三日間あたえて、それがどうなるか追跡したのであります。かれは、アミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、呼気や尿として排出されるだろうと思っていた。ところが、驚いたことに標識アミノ酸はあっというまにマウスの体中に運ばれて、脳や筋肉やありとあらゆる細胞組織をつくっているタンパク質に置き換わっていったというのですね。なんとマウスは一週間ほどで、全身の細胞のタンパク質を新しく食物からとったアミノ酸分子で構成するようになることがわかった。言い換えると、マウスは一週間で物質としては別のモノに変るということです。
ヒトの場合は、だいたい数ヶ月で物質としては入れ替わってしまう。
食事というのは、体をうごかすエネルギーを取り入れる働きとして我々は考えがちだが、じつは細胞をつくっている物質をたえず入れ替えていくための営みであるという見方もできる。また、われわれの体は、映画フィルムの早回しのような見方をすれば、外から新しい物質がやってきて体内の物質をたえず押し出している流れのようなものだということもできるかもしれない。

たとえば、こんなふうに考えてみよう。

小さい頃に、浅瀬で石を並べて遊んでいると、ふとした拍子に、石を乗り越えていく水が、薄い膜をつくって、しばらく同じかたちを保ち、やがて消えていく、そんな光景を見たことが誰でもあるのではないか。数秒か数分か、その水の膜はたしかに同じかたちで存在していた。きらきらと光を撒き散らして。
もしも、この水の膜に意識があって、生まれてからずっと俺は俺だった、そいつは確かなことだ、なんて思っているとしたら、なんともあわれで滑稽だとわたしたちは思うだろう。なるほどお前さんは、ここ数分はほとんどかたちを変えてはいない。けれど、お前さんのかたちをつくっていた水は一瞬も同じじゃなかった。たえず流れて入れ替わっていたんだよ、と。
しかし人間のからだも(そして意識も)、物質が通過していくあいだに保たれている「かたち」に過ぎないとしたら、それはこの浅瀬で生まれて消えていく水の膜と本質的な違いはないのではないか。
そう考えると、なにか自分の心がゆっくりとほどけてゆくような気がするのは、わたしだけあろうか。

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2008/12/24

悲しみの門を出よ(承前)

20万年前に登場した原生人類がアフリカ大陸からユーラシア大陸にわたるには北と南の二つのルートがあった。
北ルートはアフリカの中央から現在のエジプト・近東(考古学ではレバント地方と呼ぶらしい)に出る方法。
そして南ルートは、アフリカ大陸とアラビア半島が長く裂けて出来た紅海のもっとも狭い部分を渡る方法である。

ところが、これはいつもどちらも開けているようなルートではなかったのですね。
どうぞお好きなほうをお選びくださいというわけにはいかなかった。

アフリカは、地上を歩くさまざまな人類が生まれた場所である。この遠大で隔離された自然の実験室は、砂漠と緑のはてしない循環のなかで人類をつくりあげてきた。サハラ以南のアフリカに見られるサバンナと森林のパッチワークは、事実上、環境によってつくられる二組の通路によって他の世界から隔離されている。この二〇〇万年のあいだ、それらの通路は家畜をいれる巨大な柵囲いのような働きをし、いくつかの門が交互に開いたり閉じたりしてきた。一方の門が開いているとき、もう一方はたいてい閉じていた。一方は北に向かい、サハラからレバント、ヨーロッパへとつづいていた。もう一方の東への門は、紅海の入り口からイエメン、オマーン、そしてインドへとつづいていた。どちらの門が開くかは氷河作用の周期によって決まり、それによって、人類を含む哺乳動物がアフリカから移動するとき、北のヨーロッパへ行くか、東のアジアに行くかが決まった。
『人類の足跡10万年全史』

アフリカの北のゲートは、極度に乾燥した不毛の砂漠によって動物の移動を封じている。南のゲートはアフリカ大陸とユーラシア大陸の亀裂であるところの紅海が移動を阻んでおります。

Southgate_2 そして、このゲートは周期的に氷河期と温暖期によってスイッチがはいるように開閉した、というのがオッペンハイマーが注目した理論である。
地球の公転軌道の周期的な変化(ミランコヴィッチ周期)によって、地球は長い寒冷な期間と短い温暖な期間に分かれる。

寒冷な期間は北のゲートは砂漠化して通行できないが、この寒冷期には巨大な氷河が地球を覆うので海水面は100メートル以上降下する。そのために海水面が高いときには移動できない海峡などの通行が可能となる。すなわち南ゲートの開放であります。

逆に10万年に一度訪れる温暖期には、氷河は溶け、地球は温暖で湿潤な気候となるので、海水面はそれまでより急上昇し南ゲートは閉じられるが、それまで不毛であった北ゲートは草原となり、動物が行き来するようになる。つまり北ゲートが開くわけだ。

ただ、問題は温暖期はあまり長くは続かないということである。うっかり北ゲートを出て行っても、まごまごしていると、あっという間に(といっても数万年という時間の単位での「あっという間」の話ですが)このゲートは閉じられ、戻りたくてもふるさとには戻れず、しかも早いとこ寒冷期になっても生き延びることの出来る地域に移動しておかないと先にも進めず、取り残されて絶滅の憂き目をみることになる。

じつは、まさにそれが、大昔の人類にもおこったのだそうです。すなわち、現生人類は12万年前に一度、北ルートをとって出アフリカをはたしたのですが、かれらの子孫はすでに絶滅して、いまのわれわれと遺伝子の上ではつながりがないようです。

われらが祖先、すなわちミトコンドリア・イブの子供たちは、約8万5千年前に、今度は南ルートから出アフリカを企てました。そして今度は、うまく行った。かれらはたどりついた南アジアから海岸沿いにインド、東南アジア、オーストラリア、極東へと旅を続けていったのですね。また、これも氷河期と間氷期のスイッチによって南アジアからヨーロッパへの通路が開いたときに巧みに、あるいは運良く西方への旅をつづけた。こうしてユーラシア大陸の東の果てと西の果てまで現在の人類が棲みついたということになるのであります。

ミトコンドリア・イブの子孫が、8万5千年前という特定のタイミングで、アフリカ大陸からユーラシア大陸にわたった理由はなんだろうか、とオッペンハイマーは自問しています。すでに紅海の海水面は下がり、珊瑚礁伝いに、対岸は目と鼻の先に見えていたかもしれない。簡単な筏で出て行こうと思えばいつでも移動できたかもしれないのに。

仮説として、かれが考えているのは、こういう物語である。

この一族は、おそらく紅海のアフリカ側沿岸で魚介類を採取して栄養を取っていた人たちであった。ところが、地球が寒冷期になって海水面が百メートル以上も降下したので、紅海は事実上出口を塞がれて、インド洋との海水の交換をしなくなった。塩分濃度は急上昇し、豊かな海洋生物は死に絶えた。紅海の地質的な調査で、この時代の海面水位と生物の死滅については立証されているのだそうな。
食べ物がなくなったわけですから、やっとご先祖さまも意を決してアフリカを離れて対岸の、いまのアラビア方面にわたることにした。これがちょうど8万5千年のことであった。なぜ、もっと早く渡らなかったのか。おそらくは渡れない理由があったのだろう。もっともありそうなことは、向こう岸に先住民がいたことであります。つまり、ホモ・サピエンス・サピエンスとは異なる種のホモ族ですな。ホモ・エレクトスや、ネアンデルタール人のように石器をつかうヒトだが、わたしたちとはその遺伝子構造が異なる旧人類。
共存や交配ということもあったかもしれないが、おそらくは、ここで行われたことは旧人類の種の掃討であった。つまり、ここで人類は進化上での兄弟殺しに踏み切ったのかもしれません。

この人類の渡岸の地点は、現在の地図でいうと、紅海とその先のアデン海を分けるバブ・エル・マンデブ海峡にあたる。海はまっぷたつに裂けて人間を通したわけではないが、人々が紅海を渡ったことは間違いない。
最近では、ソマリアの海賊が大活躍しているあたりである。
「バブ・エル・マンデブ」とはアラビア語で「悲しみの門」という意味なのだそうです。

悲しみの門を出よ。

なんとも不思議な地名ではないでしょうかね。

人類の足跡10万年全史

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2008/12/23

悲しみの門を出よ

Mito_eve レベッカ・キャンとその同僚たちによるミトコンドリア・イブ仮説が「Nature」に発表されたのは1987年のことだから、もう20年もむかしのこと。
「ニューズウィーク」誌はさっそく、黒人のアダムとイブを表紙につかった特集を組んだが、この号の販売数は記録的なものになったらしい。
母系のみに伝わって行くミトコンドリアDNAの系統を辿って行くと、現生人類全部の共通の「母」が約20万年前のアフリカに生きていたことになる。なんでそんなことがわかるかは、もちろんわたしにはわからないけれど、単純に話として面白い。
その後、父系の系列で「時間旅行」をするY遺伝子の解析によっても、やはりわたしたちのルーツはアフリカにあることが裏付けられ、ホモ・サピエンス・サピエンスはすべて出アフリカを果たした集団の子孫が世界中に散らばって行ったものであるという仮説は、いまではほぼ定説となったようだ。

『人類の足跡10万年全史』スティーヴン・オッペンハイマー(草思社)は、このミトコンドリア・イヴの一族がどのようにして地球の上を移動して行ったかを、一般向けに解説した本である。

ここで、興味深いのは、オッペンハイマーがつかっているのが、ふたつの科学的な知見であること。

ひとつは当然、ミトコンドリアDNAとY染色体を、世界中の人々から採取して、その移動を地理上にプロットして行くと同時に、遺伝子的な突然変異の統計的な出現率をもとにした数学モデルからその移動や分岐がいつごろにおこったかを推論して行く方法。

そして、もうひとつは、これはわたしにはまったく新鮮なアイデアだったのだが、過去何百万年にわたる気象データである。過去千年の気象はたとえば縄文杉のような樹木の年輪をみることであきらかになる。おなじように、珊瑚礁や氷河や地表や海底の地層も、過去の気象変化を年輪のようにとどめている。

このふたつを組み合わせるとどういうことがわかるか。典型的なのが、われらのご先祖さまが、いつ出アフリカをはたされたのかという推理である。

長くなりそうなので、続きはまた明日。

人類の足跡10万年全史

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2008/01/16

答えはもうある

「ユリイカ」の1月号の特集は南方熊楠。
池上高志と茂木健一郎の対話「われわれは皆クマグスである !?」のなかで、池上さんがこんな発言をしている。

だけど、本当に解きたい問題がある時は答えはもうあるということをなんとなく知っていることは結構大事だと思う。答えがあるかどうかを考える時は、それはすでに無意識に確認されているというか。

昨日、NHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、例の人工多能性幹(iPS)細胞の発表で、再生医療の分野の研究に画期的なブレイクスルーを果たした京都大学再生医科学研究所教授の山中伸弥さんを国谷キャスターがインタビューしていた。
ほとんど無限にあるはずの遺伝子の組み合わせのなかで、このiPS細胞を作り出すたった四つの因子をどうやって特定していくのか、素人にはもちろんよくわからないが、山中教授のグループがヒトの皮膚細胞からこのiPS細胞をつくりだしたことを発表したちょうど同じ日に別のアメリカの研究グループもほぼ同じ結果を発表したそうだから、本当に解きたい問題に答えがあるときは、答えがあることがあらかじめわかっているというのはなかなか説得力のある知見であります。

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2007/10/25

月見る月は多けれど

この夕刻、月を見あげて、おや今日の月はでかいな、と思ったあなたはなかなか鋭い。

2007_1025

7時過ぎに会社を出たとき、大阪の空に大きな満月がかかっていた。
ああ、そういえば、今日の月は今年一番のでかい月だと、SpaceWeather. comのニューズ配信にあったっけと思い出した。

The Moon's orbit is an ellipse with one side 30,000 miles closer to Earth than the other. The full Moon of Oct. 25-26 is located on the near side, making it appear as much as 14% bigger and 30% brighter than lesser full Moons we've seen earlier in 2007.

そう思って見上げるせいかどうか、たしかにでかい—ような気がした。
みなさんのところも、もし晴れていたら今日明日の月をどうぞお見逃しなく。

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2007/04/04

Hybrid Images

けっこう疑り深い人でも自分が見たものを疑うほどの懐疑家はまれである。 この目で見た、確かだ、間違いない、絶対だ。しかし人間の視覚というのは実は案外たよりない。だからマジックという芸が成立するのでありますね。

たとえば、視覚イメージをあなたの脳がどのように解釈するか、簡単にたしかめてみてください。こういう合成写真をハイブリッド・イメージというらしい。【こちら】

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三人の女性の表情をどう解釈するか。目をこらしてよく見てください。わたしには悲しくてすこし涙をこらえているようにも思える。 では、すこし目をすがめて見るか、あるいは椅子から立って3、4メートルばかり離れたところからもう一度この写真を見てみてください。 あらら、三人ともにこやかに微笑んでいるではありませんか。

20070404 別の写真です。
どう見ても、アインシュタイン。でも、さっきと同じようにすると別の人物が現れます。
とくにこの写真は、画面からちょっと目をそらして周辺視野のところでぼんやりこの写真を意識するとマリリンがいるような気がして、あれっと写真に意識を向けるといきなりアインシュタインに戻るので、わかっていてもちょっとびっくりする。
こうした脳のイメージ解釈の研究は広告に応用されているのだそうですな。

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