9)その他

2008/04/23

KYOSAI Show!

京都国立博物館でやっている河鍋暁斎(1831ー89)の展覧会はおもしろかった。
このおもしろさは、ちょうど平山郁夫の絵を見たときになぜかむかむか腹が立って「けっ、くっだらねえ」と思う、あの感じのちょうど反対なのだと思った。(いやじっさい、滋賀県に佐川美術館というのがあって、ここの常設の平山郁夫の絵はひどかった。わたしは、もう、心のなかで罵倒の限りを尽くしたね(笑))

20080423_b たとえば今回の展示の中に「放屁合戦絵巻」なる絵があって、男どもが敵にケツをむけて放屁するさまが描かれているのだが、これがもうおかしくて大笑い。ふんどしを外した男の陰嚢がぶらり、肛門から臭気が画面を横切り、鼻をつまんで顔を顰めるやつ、悶絶するやつ、逃げ回るやつ、わたしはくすくす、笑いをこらえるのに苦労した。こういうのは、一種の男色の春画のようなものでもあった、とかなんとか会場の解説には書いてありましたが、まあ、そういう見方もあるのかもしれないが、むしろこれはスカトロジーのほうに近いでしょうね。人のいやがることをしたがる幼児性のあらわれといわれたら、それまでだが、上から見下ろす偉そうな感じがなくて、からっと天にひらけている。描きたいものを描いて、なにが悪い、という小気味よさ。
あるいは骸骨の上でかっぽれみたいな踊りを踊っている一休禅師の底抜けのばかばかしさ(「地獄太夫と一休」)、男の生首を加えた幽霊図のおどろしさ、酔った勢いで四時間で描きあげた(ホントかね)という新富座妖怪引幕の豪快など、など。いや面白うございました。

なかでもわたしが一番気に入ったのは、小品ですが「お多福図」一幅。これはよかったなあ。

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2008/04/08

池畔にて

20080408_2 「やあ、よくなれてますね、そいつ」
「うん、釣り上げたら分けてもらえるのを知ってるんだよね」
「びっくしたなあ」
「でも」と青鷺のほうにあごをしゃくって、「このヒトらもたいへんでさ、仲間がやってきたら大げんかよ。縄張りってやつ?」
「ははは」
「まえはさ、もっと近くですぐとなりにちょこんといたんだよね。でも竿で叩いたやつがいてさ、以来、この距離になったの」
「ふーん」

いやはや、このヒトら、ってのが最高。(笑)

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2008/02/13

メタボリックなんて怖くない(嘘)

ええと、わたしの成人病検診は誕生日の関係で2月中旬なんですが、それを意識して、急にダイエットなど始めるのはまったく意味がないと、毎年連れ合いに言われる。(笑)
ま、最近は義理チョコという悪慣習はほぼ廃れたようなので、それは大丈夫なのだが、甘いものをここしばらく我慢している(嘘)。というわけで、今年もせめて写真でなりと・・・
みなさまにもお裾分けをば。
Happy Valentine's Day!

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2008/01/15

糸巻き

20080115a 奈良町の古本屋で三冊ばかり本を買った帰り、同じ商店街の古着屋の店先に置いてあって前から通りかかるたびに気になっていた糸巻き(なにか使い道がないかなあと思って気になっていたわけ)を買う。

たぶん、昔の織物屋で使っていたものだと思うのですが(「横山」という屋号の焼き印が二カ所ある)こういう道具はどこか味がありますね。
とりあえずブックエンドにでもしようかと思っているのですが、ネットで検索すると、これをランプにして「糸巻行灯」というネーミングで販売している会社もあるようです。ほかにもいいアイデアがあるかもしれない。

なお、奈良町の古着屋では籠のなかに無造作に放り込んでありますが、一個300円であります。

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2008/01/06

白楽天

詠懐     おもいを うたう

盡日松下坐  まつの した ひねもす すわり
有時池畔行  いけの はた ときたま あるく
行立與坐臥  あるいても すわっていても
中懐澹無營  きに かかる なにごとも ない
不覺流年過  しらぬ まに としつきが たち
亦任白髪生  めっきりと しらがも ふえた
不爲世所薄  せけんから ばかに されなきゃ
安得遂閑情  のどかには くらせぬ ものよ

(武部利男訳)

本年もよろしくお願いいたします。

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2007/12/29

2007年

今年も残すところあとわずかとなりました。
覚えとして今年1年の記事数をとりまとめました。(カッコは昨年分)

(1)書評                         26(19)
(2)本の頁から               47(39)
(3)俳句                         23(27)
(4)短歌                           8(  9)
(5)国際・政治・経済       8(11)
(6)サイエンス                 2( 5)
(7)映画・テレビ            16(19)
(8)コンピュータ            11( 7)
(9)その他                      15(22)
TBポリシー他                   1( 0)

計 157 (158)

ただしこのうち7本はカテゴリーが重複していますので、記事の実数としては150本。
これらの記事に対するコメントは自分のものもふくめて271(266)。
トラックバックは36(41)。
エントリー数はだいたい去年並み。まあざっと二日半に一回くらいの割合で、更新したような結果となりました。
ちなみにこのブログの開始以来の記事数は、このエントリーをふくめて603件となっています。まあ、我ながらよくあきもせずと思いますが、来年も引き続き、気楽なおしゃべりにお付き合いいただければ幸いです。
明日から10日ばかりオフラインとなります。
みなさま、よいお年をお迎えください。

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2007/12/12

Vocalist

2104893907_52e568a0ef 徳永英明の「Vocalist」1から3まで通して聴く。
ちょっとまえのテレビのうたばんで石橋貴明と中居正広のリクエストに応じて伴奏なしで歌ったのがとても印象に残っていたのだ。
「へえ、これはちょっとしたもんだ」と、音楽にはなじみのないわたしも思わず手をとめて聴き入った。

3枚のアルバムに収録された楽曲は全部で40曲。このちょっと高い音域とハスキーな声の質がいまの時代の気分に合っているんだろうな。

テレビでは、「まちぶせ」「恋におちて」「あなた」などをよく歌っているが(それももちろん悪くないが)わたしが、絶品だと思うのは「かもめはかもめ」だな。
あれ、この曲の歌詞ってこんなによかったかなあ、とびっくりした。
人間の声と言葉はストレートに心に達する。
おそろしいほどに。

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2007/10/21

にんにんでござる

ウェブ版のニューヨークタイムズには、MOST POPULARというコーナーがあって、その日一番よく読まれた記事のランキングが出ている。
今日の一番人気は東京発。

Fearing Crime, Japanese Wear the Hiding Place

隠れ家を「着る」ってなんのこっちゃと記事を見たら、思わず、あははと笑ってしまうようなこの写真。

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ツキオカ・アヤさん(29)デザインの自動販売機カモフラージュ服であります。スカートにこの仕掛けが仕組まれているのだそうな。写真拡大すると手前の自動販売機からつま先が覗いているのがよくみえるでしょ。リンク先のページにはこの変身過程の写真やその他の変身グッズもあって大笑いできますが、なんだかなあ・・・(笑)

暗い夜道の帰り道、いざというときの隠れ蓑。もう知らない人に追いかけられても大丈夫、ってホントかね?いや、もちろんこんなもん役に立たないことは、作ってる方も承知の上なんだけど、しれっとこういうアイデア(もちろんオリジナルは忍びの道具ですが)をホントにしちゃうところが、いかにも日本人だよなあ、なんて内容の記事であります。
なかなか手の込んだ意地の悪い記事でありますが、それでもやはり笑ってしまう。

ちょっと前の「 ニューズウィーク(日本版)」に東京特派員の告白というのが載っていて、日本の紹介記事は、かならず本国のデスクがちょっと笑わせるような味付けを求めてくる、というのがありました。真面目な日本の政治経済の分析なんかいらんよ、そんなんより、こっちが読みたいのは、ゲイシャ、スモー、アニメ、オタク、チカンのサラリーマンなんて記事なんだから、そこんとこよろしく、というのがもう疲れちゃうよ、というのであったが、笑っていいのか、同情した方がいいのか、はたまたいっそ怒るべきなのか、複雑な感想を抱いたものであります。

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2007/10/10

良寛詩集

図書館で『良寛詩集』入矢義高訳註(東洋文庫)をぱらぱとめくり、気に入ったものをいくつかノートに書き写す。
ようやく秋の訪れを実感する今日この頃でありますね。

 粛々天気清
 哀々鴻雁飛
 草々日西頽
 浙々風衣吹
 我亦従茲去
 寒々掩柴扉

 粛々として天気清く
 哀々として鴻雁飛ぶ
 草々として日は西に頽(くず)れ
 浙々として風は衣を吹く
 我も亦た茲(ここ)より去り
 寒々として柴扉を掩(とざ)す

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2007/08/08

LUMIX/FX30

1039175420_622aa195e4_m デジカメは一眼レフのオリンパスE-330を愛用しているのだが、こいつはさすがにいつもポケットや鞄に入れておくというのは無理なので、コンパクトなやつが欲しくなった。
街を歩くときや、ご近所の散歩の途中で、とくになんでもないものをちゃっちゃと撮りたいなあ、という思いがつよくなったのであります。
値段は2万円台でデザインがあまりチープでないものがいいな、という程度の基準だったが、あまり機種の比較することもなく、たまたま目に付いたパナソニックのLUMIX/FX30を購入。じつはこのカメラの特色である広角レンズ(28ミリ)も、ちょっと気を引かれるポイントであった。
フィルムの時代はミノルタの一眼レフを持っていたが、そのときに50ミリの標準レンズと28ミリの広角レンズを使い分けていて、28ミリの面白さを知っていたからである。
まあ、今度のカメラは気軽に目に付くものをどんどん撮って行くための道具であります。
写真としては、ディスプレイで見る限りでは、エッジのよくきいたシャープな表現になるような気がするな。深みはないが、軽快な感じであります。
しばらくこのお手軽コンパクトの写真をFlickrにアップしていくことになりそうです。
LUMIX/FX30の写真を参考までに。広角レンズであることがよくわかると思います。

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2007/07/18

新風舎と文芸社

『出版年鑑2007』(出版ニュース社)によると、2006年の新刊点数はおよそ8万点だったそうな。
以下はasahi.comの7月8日付記事。

『出版年鑑2007』が出版ニュース社から発行された。それによると、06年の新刊点数は8万618点で前年に比べて38点増え、過去最高となった。一方で売上高は1.3%減の約2兆2628億円。96年をピークに、長期の減少傾向が続いている。書籍は2.2%増の約1兆95億円だったが、雑誌が3.9%減の約1兆2533億円。
新刊点数を出版社別でみると、新風舎が2788点(取次会社ルートで販売されたものは385点)でトップ、2位が講談社の2013点、3位は文芸社の1468点(同327点)、4位学研1106点、5位小学館937点、6位集英社849点と続く。
新風舎と文芸社以外は、いずれも取次会社ルートで販売された点数。従来はこの販売点数を数えていたが、申告があれば取次会社ルートにのらないものも合算する方式を昨年途中から採用した。この方式によると、05年分から新風舎が出版点数で1位となっている。

ごく普通の本読みの感覚としては、上記の点数のトップ3のうち、新風舎と文芸社というのには「けっ」という感想をもつなあ。
いや、ほとんどこの二社の本は見たことがないので、それはこういう形の出版物に対する偏見だ、あんたは自分の本を出したいという願いをなんとか実現した人たちを馬鹿にしているのではないかね、と言われると、少々困るのだが、まあじつはそのとおりなのであります。(笑)

調べてみると、こういう出版社の商法は「協力出版」とか「共同出版」とか「出版実現プログラム」なんて呼ばれるらしい。
新聞や雑誌に「あなたの原稿を募集」とか「あなたの作品を出版しませんか」なんて広告が載っているのがそれですな。協力とか共同とかいうのが具体的になにを指しているのかよくわからないが、まあ、ありていに言えば、作者と出版社が協力、共同するというのは、著作者がカネを出して、「出版社」が編集や印刷、製本、そして販売を担当する、ということだろう。

これを詐欺商法というむきもあるようですね。しかし、カネを取って「本」をつくらないのならあきらかな詐欺だが、現実に「本」ができていれば、詐欺とは言いにくいような気もする。訴訟になっているケースなどでは、問題は「売れる」ようにちゃんとこれらの「出版社」がやっていないのではないかということが一つの争点であるように見える。原稿募集などでこの商法にカモをひっかけるときは、全国の書店に取り次ぎ、あなたの本が日本中の書店の棚に並ぶんですよ、てなイメージをふりまいて、しかし実際には、まともな取り次ぎもしていないのではないか、という疑惑でありますね。

まあ、はっきり言えばあんまり褒められた商売ではないが、おそらくこの商法にひかかる人というのはまったく箸にも棒にもかからないないような旦那芸の人たちではないような気がする。そういう人は、そもそも自分の「本」などが社会で通用するかもしれない、なんて幻想はもたないだろう。そういう人が、それでも、たとえば自伝めいた本を子孫のために遺したいと思えば、全部、自費出版でやるだろうし、その自伝が一般の本屋で売られていないじゃないか、とは文句を言ったりはしないと思う。(注)
だから、危ないのはたぶん、オレって結構「書けるじゃん」と勘違いしている人である。
そういう意味では、新風舎や文芸社からみると、ブログをやってる人なんかはたぶん絶好のカモ・・・
いや、人ごとではないではないか。くわばら、くわばら。(笑)

(注)
同じように、一部の人気作家を除けば句集や歌集は大半が自費出版か、それに近い方式で、はじめから不特定多数の読者を想定していない。あれは自分自身の記念と知人への贈呈が目的だから、よほど悪どい営業でなければこういう問題はあまりおきないような気がする。

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2007/07/17

浦沢直樹『MONSTER』

昨日は雨。浦沢直樹の『MONSTER』全18冊をドーンとテーブルの上に積んで、休日のマンガ一気読み。至福である。
斯界に詳しい方からは、なにを今頃と笑われそうだが、わたしと同じように最近のマンガの動向にあまり詳しくない方のために、アエラムックの「ニッポンのマンガ」の村上知彦の文章の一部を引いておく。

浦沢直樹の『MONSTER』は、1997年度第1回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門優秀賞、2001年度の第46回小学館マンガ賞にも輝いた作品。冷戦終了後のドイツおよびチェコを舞台に、東西分断の悲劇が生んだ恐るべき殺人者と、彼を追う若き日本人医師の闘いを描くサイコ・サスペンスである。1994年から2002年にかけて「ビッグコミックオリジナル」に連載され、映画や小説をもしのぐスケールの大きさと、緻密に構成された知的な物語性が評判を呼んだ。

なおこの文章のなかで、二つの賞を挙げて、これら「にも輝いた作品」という表現になっているのは、本作が第3回の手塚治虫文化賞大賞受賞作品だからであります。
いろんな賞を受賞しているから読んでみて、やっぱりすごい作品でした、というのは後出しジャンケンみたいであんまりみっともいいものではないが、まあ、たしかに読み応え十分でわたしもすっかり堪能しました。さすがに18冊一気読みはくたびれたけれど。(笑)
20070716 わたしの見るところ、ストーリー・ラインや登場人物のリアリティという面では、多少、留保をつけざるを得ないが、それは本作についてさほど致命的なことではない。マンガにおいて重要なことは、まず絵である。浦沢の絵について、とくにすごいのは何十人もの脇役の人物の造形だな。本作にもたくさん印象的なキャラクターが出てくる。そして、たぶん、これはファンの間ですでにいろいろ論じられているのだろうけれど、多くの場合その印象的なキャラクターの原型が手塚治虫のそれであるということだろう。
天才外科医Dr.テンマがはからずも命を救った少年が恐るべき力を有した怪物だったというところがすでに鉄腕アトムへのオマージュであることは誰にも明らかだが、そのほかにも、Dr.テンマのモグリ医師挿話はブラックジャックだし、ははあ、これはヒゲ親爺か、こいつはドロロと百鬼丸、こいつはアセチレン・ランプ、これはハムエッグかしらなんて想像するのも結構楽しい。これくらいたくさんのキャラクターを描き分けることのできるマンガ家は珍しいのではなかろうか。

Wikipediaによれば、2005年に『ロード・オブ・ザ・リング』などの製作で知られるニュー・ライン・シネマが映画化権を獲得しており、脚本はジョシュ・オルソンに内定しているとのこと。IMDbを見ると、2009年の公開予定となっているが(ここ)、現時点では上記の脚本以外は公表されていない。Dr.テンマは、ぜひ日本人の役柄としてやって欲しいけれど、どうなるのだろう。候補としては真田広之あたりかしら。それとも、ハリウッドのことだから設定をアメリカ人医師にしてブラッド・ピットなんかがやるということも考えられるなあ。

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2007/07/11

アップボウ、ダウンボウ

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弦楽器では弓先から弓元へ弓を運ぶことをアップボウ、弓元から弓先へ引くことをダウンボウと言います。これは私たちが息を吸って吐くのと同じです。アップボウで吸い、ダウンボウで吐く。アップボウは最初は小さな音で始まって大きくなる。ダウンボウは大きい音から始まりますが、音はだんだん小さくなる。息を吐くときもそうでしょう?あるいはアップボウは『?』で、ダウンボウは『!』とも言えます。『そうかな?そうじゃないかな?』と引いていって『そうだ!そうなんだ!』で終わる。音楽もそうですよね。『!』で終わる。

今月号の季刊「考える人」の特集「続・クラシック音楽と本さえあれば」のアンナー・ビルスマのインタビューから。
これを読んで、持っているカザルスの無伴奏組曲をかけたら、いつもとはちょっと違って聴こえた(ような気がした)。

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2007/06/20

あるお詫び広告

「出版ダイジェスト」2007年5月21日号に、日本経済評論社代表・栗原哲也の〔お詫びとお知らせ〕と題する広告が載っている。
同社が昨年暮れに刊行した丸川哲史・鈴木将久編『竹内好セレクション1・2』について、この底本であるところの筑摩書房版の全集(全17巻)との相違、誤記、誤植、脱落等があり、その「数と質において」到底「正誤表」では済まされないと判断し、同書の書店在庫を回収し、購読者に対しては訂正後の新本交換を行うという内容である。
広告の末尾はこうなっている。

この事態を聞き知った同業や書店から、なんでそこまでするんだとか、自棄になっているんじゃないのか、と心配と揶揄を込めた声が八方から伝わってきた。自棄になっているわけではない。改めて自戒しているのだ。本を作るとはどういうことか、不特定多数の人に文あるいは学を有償で頒布するとはどういうことか、と。作り直すということで、事が終わるわけではないが、われわれの生態はかくも、責任や広がりがあるものなのだ、ということを、つぶらな瞳を輝かせている当の担当編集者を含めて確認したかったのである。五月末、気合いを入れ直して、誤植なき新本を作ります。お買い求めの皆様、ご通知ください、交換いたします。正誤表のみご希望の方もご連絡ください。お送りします。ご迷惑をおかけした多くの皆様に深くお詫びいたします。

発端は、今年の4月の「東方」に掲載された前田年昭氏の書評だったようだ。(こちら)
読めばわかるが、皮肉なことに、この書評自体は、この筑摩の全集からの「セレクション」というかたちの編者の選択が見事であるという好意的なものである。誤植についての記述は、末尾にあり、このセレクションに従って読者はぜひ図書館などで全集のほうにあたってほしいという内容になっており、あわせて前田氏が個人的に作った正誤表を希望者には配布しますというかたちになっている。
ところが、これをさらに取り上げたのがメールマガジン「日刊デジタルクリエーターズ」で、この前田氏の正誤表を取り寄せたところが、その誤字脱字の内容があまりに酷いことにあきれて、この正誤表に添付されていたとおぼしき「解題」という文章を公開した。(こちら)

編著者、編集者は、本文をほとんど読んでいなかったのではないか。引き合わせ校正も素読み校正もなされなかったのではないか(のだと推測できる)。仕事をなめているとしか思えない。こうして、編著者や編集者の仕事はそのまま印刷所に押し付けられた(のだと推測できる)。

という強烈な文章であります。
誤植というのは、わたしのこのしょうもない駄文のブログのことを考えても、ある程度は避けることのできないものだとわたしは思う。だが、やはりこの正誤表をみると、上記の前田氏の怒りはもっともなものに思える。
日本経済評論社の本件に対する対応については、経営的なことを考えると、もちろん良心的なことだと好意的に評価するが、しかし、上記の「お詫び広告」中の「つぶらな瞳を輝かせている当の担当編集者」という文面には違和感を覚えるなあ。たぶん、こいつは自分の担当する本をまともに読んでいない。読んで変だと感じたら、活字になっている筑摩の原本と比較すればいいだけである。それすらこいつはしていない。たぶん、本が好きでもなんでもないのだろう。なんだかなあ、のお詫び広告であります。

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2007/05/09

つっぱり本棚

昨年、ちょっとした事情があってアップライトピアノを処分した。
狭いマンション暮らしながら、そのあと多少の空間ができたので、そこに天井までの書棚をつくろうと思った。
それからかなりたつのだが、先日ソファを買い替えるついでに家具売り場で壁面収納を見ていたらよさそうなものがあったのでつくってみることにした。

買ったのは「薄型つっぱり本棚」という名称で、製造メーカーは福井県坂井町のタカシン家具工業株式会社である。
「つっぱり」という意味は専用の金具で天井につっぱる形で固定するからだろう。

一応、前もって立面図(というほど立派なものではないが)をつくって、幅60センチの書棚を2列つくりつけて、さらにその間に45センチの棚板を渡す予定にしていたのだが、45センチの棚が店の在庫にないということで、それはメーカーに後日注文してもらうことにして、とりあえず先に60センチ幅の書棚二つだけを配達してもらった。
ところが組み立ててわかったことは、だいたい本やオーディオ機器の高さにあわせて9段に仕切ると、ダボで設置する棚板がそれぞれ2枚ずつ計4枚余るということで、そうであれば、この余った棚板を二つの書棚に橋渡せば無駄がなくてよいということだった。店にすぐ電話すると45センチの棚板はキャンセルしてくれていいということだったので助かった。

2007_0509 この書棚の構造は上下ふたつに分かれていて、下部構造は上辺が開いた長方形(コの字を90度回転させたかたち)上部構造が四辺とも閉じた長方形(ロの字)である。これを別々に仕上げてから天井の高さにあわせて専用のビス8個(左右4カ所ずつ)で連結する。つまりコの字の開いた部分にロの字が入り込む深さで高さを調節するわけである。そして最後に天井へのつっぱり板を長いねじ式の金具で持ち上げて固定すれば完成である。

組み立て自体は単純だが、ねじ釘を書棚の枠構造の部分に止めて行くときに、ちょっと力がいるので、きちんとした工具(プラスのドライバー)は必要。最初、素手でやっていたのだが、たちまち指や掌にマメができたので、あわてて滑止めの付いた軍手を取り出す。

ということで、古い本棚から少しだけこちらに移してみた。奥行きが22センチなのであまり部屋への圧迫感はないように思う。ただし、リビングに本を置くという習慣はこれまでなかったので、とりあえず洋書を移してみたらなんだか嘘くさいインテリア雑誌みたいである。(笑)まあ、そんなにお客がくるわけでもないからいいか。

ちなみにお値段は締めて2万3千600円でした。

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2007/04/11

通のスタバとか

写真のプリントを頼んで、出来上がるまでの半時間ばかりをスターバックスで本を読みながら待つことに。
後ろに列ができていなかったので、「うーん、何にしようかなあ」とボードを見あげてしばらく迷っていたら、カウンターの女性が「あの、よろしかったら写真付きのメニューもありますけどご覧になりますか」と助け舟を出してくれた。もちろん親切で言ってくれたのだが、要領のよくわからんオッサンと思われたのも確かでありますな。ああ恥ずかしかった。(笑)
まあ、別に凝ったものが欲しいわけではないのだが、ときどき変わったオーダーをしたくなるのね。牛どん屋の「並、玉、つゆだく」みたいなものか。(ちょっと違うか)

ということで、普段は「ラテのショート」などとありきたりのオーダーばかりしている方(つまりわたし)は、スターバックスの「オンライン・カスタマイズ体験」などいかがでしょうか。【こちら】
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できあがったレシピはプリントアウトしてもっていけば実際にオーダーできるらしいけど、しかしねえ、たとえば「ホワイト・チョコレート・モカのアイスをグランデで、エスプレッソショットを1杯追加してヘイゼルナッツ・シロップを加えて、あ、そうだミルクは低脂肪乳に変更してね、でもってチョコレートチップも追加したのが、ボクのマイドリンクなんだよね、よろしく」なんて客が立て込んだときにホントに来たらどうするのだろうと人ごとながら心配になりますね。
いや、こんな注文をする勇気、わたしにはとてもありませんです、ハイ。(笑)

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2007/04/01

待っていた妻たち

ええと、ご同輩の皆様のところはまさかそんなことはないと思いますが、妻がですね、なにやらやたら熱心にパンフレットを読んでいるので、なにをそんなに真剣に調べているのかと思ったら、今日から施行された離婚時の年金分割制度のことであったなんてのは、あんまり洒落になりませんな。この日がくるのをわたし待ってたのよ、なんて奥様にガツーンと言われた方はいらっしゃらないでしょうな。くわばら、くわばら。(いやじつはわたしはさっそく嫌味で言われてしまいましたがな。あーあ)

まあ年金分割は嫁資(かし)とは別の話でしょうが、たまたま心中天網島の、箪笥にゴンならぬフーインの先日の記事から、ゲルマンの家父長権やローマ法における嫁資の扱いにまで話題が広がったのはびっくりであります。

で、あんまり山の神連中に脅迫されるのも癪ですので、仕返しにこういう引用を。マッチョのショーヴィニストと言わば言え。(笑)

古いギリシアの結婚の契約のことは知っていた。娘が品物や土地を持ってくる。それに対し、男はただ男らしさを持っていればいい。これで五分五分の取り引きだと考えられていたのだ。

スチュアート
『この荒々しい魔術』

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2007/02/13

St.Valentine's day

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2007/01/23

ゾウ語のはなし

「月刊言語」2月号に高野秀行さんが「ゾウ語の研究」という一文を寄稿されている。
高野さんの「ゾウ語」というのは、東南アジア各地で象使いが象に命令する時の言葉のこと。金太郎さんのお馬の稽古の「はいし、どうどう」に同じ。いや、ちょっと違うか。(笑)

このゾウ語、とても不思議である。
現在、ミャンマー、タイなどインドシナのほとんどの国のジャングルでゾウが使役されている。使役する民族も多岐にわたるが、ざっと調べてみると、どの民族もみな、自分たちの言葉とゾウ語が一致しないのだ。例えば、タイ人は人に「止まれ」と命令するときは「ユット」というが、ゾウには「ハオ」という。なぜ、ハオというのかタイ人に訊いてもわからない。
ところが、ゾウ語自体は、国や民族がちがっても、いくつか共通する単語があるのだ。例えば前述の「止まれ」だが、驚くべきことにカンボジアでも、ベトナムでも、ラオスでも、どこでも「ハオ」なのである。そして、この「ハオ」はどの民族の言葉とも似ていない。

20070123 ということで、これはたぶん、古代のインドから象の使役法が伝わって、各民族の象使いのなかにその言葉が残ったのではないか。だとすれば、このゾウ語を研究すればはるか遠い古代のインドからインドシナにかけての民族移動や文化の伝播の時期とルートが明らかになるのでは、と高野さんは考えたというのでありますね。
これ、なかなか面白いね。

ただ残念ながら、高野さんは音韻学者ではないので、たとえば有気音と無気音、語尾の「-n」と「-ng」の聞き取りなどをきちんとして、学問的にゾウ語の語彙を収集することができないという。ところが、よくしたものでポルトガル在住の言語学者、小坂隆一氏が、「録音があれば聞き取りくらいはしてあげるよ」ということになった。
高野さん、さっそくいろんな民族のゾウ語を録音採取して、ポルトガルに送った。エッセイによれば、このお二人、インターネット電話(たぶんSkypeかな)でユーラシア大陸をまたいで延々と話をしているらしいので、たぶん、録音データも音声ファイルで送ったのだろう。じつに便利な世の中である。

だが、録音を聞いた小坂さんは「うーん、これじゃ今ひとつよくわからないですね」というのだそうです。採取されたのが動詞ばかりである。言語学の基礎語彙をつくるには名詞が必要だ。母、父のような親族名称、空や石のような一般名詞。
「そりゃ、無理ですよ!」と高野さんは思わず悲鳴をあげた。ゾウ語というのは最初から動詞しかない。しかも命令形のみ。
まあ、そうだろうなあ。なんせ象を使役するための言葉である。
「キミのお母さんの弟のことはなんて呼ぶのかなあ」だとか「ほら運んで欲しいのは、この大きな石だよ」なんていうような言葉ではない。

ということで、研究はいま暗礁に乗り上げているそうです。
どなたかいいアイデアをお持ちの方はぜひご一報を、とのことであります。

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2007/01/01

春在枝頭己十分

20070101_2  探春

 終日尋春不見春

 杖藜踏破幾重雲   

 帰来試把梅梢看   

 春在枝頭己十分   

 

 

終日春を尋て春を見ず

杖藜(じょうれい)踏破す幾重の雲

帰来試みに梅梢を把って看れば

春は枝頭に在ってすでに十分

今年もよろしくお願いいたします。

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2006/12/31

2006年

今年も大晦日となりました。
1年を締めくくる意味で、2006年の拙ブログの記事数をとりまとめておきます。(カッコは昨年分)

(1)書評       19(26)
(2)本の頁から    39(55)
(3)俳句       27(19)
(4)短歌         9(12)
(5)国際・政治・経済 11(15)
(6)サイエンス      5(5)
(7)映画・テレビ   19(18)
(8)コンピュータ     7(11)
(9)その他      22(36)
TBポリシー他       0(2)

計 158 (199)

これらの記事に対して頂いたコメントは管理人のものもふくめて266(394)。
トラックバックは41(71)。

全体的に昨年よりエントリーは減っていますが、まあこんなもんでしょう。
今年1年、たいへんお世話になりました。訪問してくださった皆様、コメントやTBを頂戴した皆様にあらためて感謝いたします。ありがとうございました。
来年もよい年でありますように。

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2006/12/23

福沢諭吉の狂詩の雅号

Hukuzawa 引き続き、一海先生の『漱石と河上肇』(藤原書店)を読んでいる。
すると、うれしいかな、昨年来の疑問が氷解した。こういうことがあるから本読みはやめられない。(笑)
まずは、昨年8月16日のエントリーをお読みください。(ここ)

一海先生は、おそらく花田清輝の「いろはにほへと」に書かれた尾崎咢堂のエピソード(が事実かどうかは別として)はご存じなかったようで、そのことには触れておられないが、この諭吉の狂詩を以下のように紹介しておられる。

さて福沢諭吉の一例、負龍軒作「田舎議員」。負龍軒は「不料簡」をもじった雅号だろう。

 道楽発端称有志
 阿房頂上為議員
 売飛累代田畑去
 貰得一年八百円

読み下せば、

 道楽の発端志有りと称し
 阿房の頂上議員と為る
 累代の田畑を売り飛ばし去り
 貰い得たり一年八百円

この男の道楽のはじまりは「志有りと称し」といううたい出しは、「学者」の詩らしく典故をふまえる。『後漢書』班超伝に、「人となり志有りて細節を修めず」。班超は何かをしでかそうという人物で、ちまちました事にはこだわらなかった。

つまり昨年、中津の福沢諭吉記念館でみかけた手紙の読めなかった作者名の部分が判明したのでありますね。
写真と照合するとたしかに「負龍軒主人」と読めます。(写真をクリックすると大きくなります)

獺亭主人、負龍軒主人にまみえるという一席。(笑)

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2006/11/14

心中天網島

20061113 国立文楽劇場で「心中天網島」を鑑賞。
以下、個人的な覚え。

北新地河庄の段
中 竹本千歳太夫/鶴澤清治
切 竹本住太夫/野澤錦糸

天満紙屋内の段
口 竹本文字久太夫/野澤喜一朗
切 竹本千歳太夫/鶴澤清介

大和屋の段
  豊竹咲太夫/鶴澤燕三

道行名残りの橋づくし
小春  豊竹呂勢太夫
治兵衛 豊竹呂新太夫
    他

人形:吉田和生(紀の国屋小春)、桐竹堪十郎(紙屋治兵衛)、吉田蓑助(女房おさん)、吉田文吾(粉屋孫右衛門)、花車(吉田蓑二郎) 他

(注)「天満紙屋内の段」は、豊竹嶋大夫休演のため竹本千歳大夫が代演。

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2006/11/08

小さな美術館

20061108_1 学園前方面にちょっと用事があったので、ついでに松柏美術館まで足を伸ばす。
「特別展・余白の美」というのをやっていた。上村松園、松篁、淳之の三代は当然だが、そのほかの出展作の画家を挙げると以下のごとし。(目録順)

  竹内栖鳳  
  横山大観  
  小林古径  
  奥村土牛
  石崎光瑤
  土田麦僊
  榊原紫峰
  福田平八郎
  鏑木清方

この小さな美術館は参観者もあまり多くないので、ゆっくり鑑賞できるのがよい。
展示室のベンチに座ってゆっくり絵を見ることができるのはうれしいものだ。
なかなかよい企画でした。大観の「春秋図」、土牛の「鉄線花」、平八郎の「鮎」などがとくに印象に残った。
上記の特別展は12月3日までだそうです。

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もうジーンズは洗わない

若者はなぜジーンズを洗わないのか、という記事のタイトルを見かけた。
ああ、一人暮らしだとメンドクサイものね、と思ったら、そういうことではないらしい。
せっかく高いお金で買ったジーンズの、お気に入りのしわや色落ちの状態を保つために、わざと洗わない(またはこっちの方が多いかも知れないが、オフクロに洗わせない)のだそうであります。
べつにどうでもいいのだが、「おまえら、洗えよ」と一瞬思ったが、よく考えると、「着たら洗う」文化というのは、そもそも伝統的なものではないだろう。むかしの人は、木綿の普段着をどんな頻度で洗濯していたのかしら。少なくとも、一回着ただけで脱衣籠にポイと入れておくようなことはできなかったはずだ。
とくにジーパンなんかは、「汚れたら洗う」で十分かもしれないなあ。
まあ、いまの若い子のはそういうのともちょっと違って、洗わないジーパンはすでに普段着ではないらしい。数万円のジーパンなんて、わたしには考えが及ばんよ。(笑)

Neil_young ジーパンと言えば、ニール・ヤングの「AFTER THE GOLD RUSH」のアルバムジャケットの裏の写真を思い出す。このパッチワークのカッコよさに憧れて、自分で古い「きれ」を集めて、真似をしてみたことがある。べつに傷んでいるわけでもないジーパンに、いかにも和風の古きれを「本返し縫い」でしこしこ縫い付けてみたら、およそニール・ヤングのジーパンとは似ても似つかぬへんてこなシロモノが出来あがった。穿いて鏡の前に立ってみたら道化師の継ぎ当てズボンにしか見えない。(笑)
そくさくと糸きりばさみをつかってパッチワークもどきを剥がしていったのも懐かしい思い出であります。

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2006/10/27

テディ・ベアの日?

今日、10月27日は「テディ・ベアの日」だとかいう記事を見かけたので、へえと思って調べてみたのだが、要はセオドア・ルーズベルトの誕生日だということなのね。
あの愛らしいクマ人形が、なんでルーズベルトの愛称をつけられたかは、わたしも知らなかったのだが、もともとはワシントン・ポストに載った一コマ漫画がそのきっかけになったらしい。くわしい内容が知りたい方は、こちらの日本語の記事、あるいはこちらの英文の記事をお読みくださいませ。

ただし、読み比べてもらえばわかるように、この両者、状況説明がかなり異なる。

日本語の解説では、大統領が獲物を仕留められない場合に備えて、狩りの主催者側が確保しておいた子グマだったので、そんなものを殺す趣味はないよとルーズベルトが逃がしてやったという内容になっているのに対して、アメリカ人の説明によれば、たまたま怪我を負った若い熊に行き会ったので安楽死させてやった(ordered the mercy killing of the animal. )という内容になっておりますな。

Tr で、その漫画ってどういうものだったのかしら、と探してみたら、便利な世の中でありますね、クリフォード・ベリーマンの「Drawing the Line in Mississippi」が、ちゃんとみつかりました。
この漫画で見る限りは、日本語の解説の状況に見えますが、もちろん、この一コマ漫画に料理される時点で事実がすり替えられたものかもしれませんね。

まあ、どっちが正しいのかわかりませんが、お子様向けには、アメリカ人の解説はちとハードボイルドにすぎるかもね。(笑)

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2006/10/04

今市子の百鬼夜行抄と折口信夫

20061004 今市子さんの「百鬼夜行抄」というシリーズがある。
ご存知の方は同意してくださると思うのだが、漫然と読んでいると途中でわけがわからなくなるので、注意深く意識を集中させて読んでいく必要がある。普通の漫画なら、数十分もあれば一、二冊は読めるものだが、この作品はたった一冊読むにも結構時間がかかったりするのであります。クールである。

主人公は飯嶋律クンという美青年で、かれは怪奇幻想小説家として大家であった祖父の血を引いて、お気の毒にも、見えないでいいものがはっきり見えてしまうたちである。孫の身を憐れんだ祖父は、律が幼いときに一種の守護神として青嵐という妖魔をつけてやるのだが(実は律の父がある事情で死んだのでその躰に入り込んでいるという設定)、こいつが味方なんだか敵なんだかわからんような凶暴でアブナイ奴。一話完結ながら、ほかにもヘンな妖怪の家来ができたり、宿敵ができたりという展開でシリーズ物の面白さも味わえる。
今市子さんという作家がどういう資料をつかっておられるかはよくわからないのだが、民俗学についてはきちんと勉強しておられるようにも思われます。
たとえば、このシリーズの一番はじめのオハナシは律がまだごくごく幼いときの祖父の通夜のエピソードなんですが、ここで律は男の子であるにも関わらず、祖父の命令で女の子の装いで育てられていることが語られています。赤い着物に長い髪。

じつは最近、吉本隆明の『際限のない詩魂—わが出会いの詩人たち』(思潮社)という本を読んでいたら、折口信夫についての文章でこんな詩がとりあげてあった。

 よき衣を 我は常に著
  赤き帯 高く結びて、
 をみな子の如く装ひ ある我を
  子らは嫌ひて
  年おなじ同年輩の輩も
  爪弾きしつゝ より来ず。
              「幼き春」
(注:同年輩は「ヨチコ」、輩は「ドチ」)

これはなにかで読んだような気もするのですが、折口信夫も幼い頃は赤い着物を着せられて女の子のような装いをさせられていたようです。
このあたりは、どうも偶然ではなくて、やっぱり作者は資料の渉猟はやっている様子。
だから面白いのだろう。

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2006/08/23

掃苔録補遺

霊山護国神社の入江杉蔵の墓の続き。
前の記事で、松下村塾四天王の三人が一緒に祭られている場所があることを書いた。久坂玄瑞、高杉晋作、入江杉蔵である。別に「四天王」が揃う必要はないのだろうが、なんで吉田稔麿はここにいないのだろう、とふと疑問に思った。
なんか変である。
こういうときは、視点を変えた方がよい。そもそも、この場所はどういう人を祀ったところであるのか。

入江、久坂、高杉はわかるが、ほかの志士は知らない。
前の記事の写真をクリックしていただくと、拡大されるので名前が読み取れるかもしれない。一応、ここにその名前を挙げてみよう。左から——

 有吉熊次郎良明
 入江九市弘毅
 寺島忠三郎昌明
 久坂義助通武
 來島又兵衛政久
 高杉晋作源暢夫

こういうときにインターネットというのは実にその威力を発揮しますね。検索すると、たちどころに知らなかった人たちについても多少のことはわかる。
そして、ただちにこの場所の意味が明らかになります。高杉晋作を除くと全員が禁門の変(蛤御門の変)で戦死しています。
すなわち、この場所はもともと蛤御門の変で戦死した人を祀った場所なんですね。
だから、池田屋事件で殉死した吉田稔麿はここにはいないのです。
そう知ってからもう一度写真を見てください。高杉の墓石だけがあきらかにほかの志士のそれとは異なっているのがわかります。

ということで、例によって安楽椅子探偵ごっこをやりますと、この高杉の墓石はあとから「合祀」されたものに違いない。高杉は1867年に病死していますから、本来はここに祀られる人ではないはずです。

じつは証拠があります。

2006_0822b この写真は杉蔵の墓の位置をメモ代わりにしようと、官修墳墓の入り口にある案内看板をデジカメに撮っていたものですが、よくご覧下さい、高杉晋作がないでしょう。この看板を作成した時点では、この場所には高杉の墓はなかったことが明らかです。
まあ、高杉も一人じゃさびしいだろうから、どっかに「合祀」してやろう、どこがいいかなあ、そうだやっぱり久坂玄瑞たちの禁門の連中の場所がよかろう、なんてことではなかったかと思うのですが、どうでしょうか。

ところで、インターネットで調べると知らなかった志士のことが多少わかると書きました。やってみましたか?
びっくりしました。有吉熊次郎良明は、なんと有吉佐和子の祖父なんですね。私的には今日、一番驚いたことです。85へえは行く。(笑)

そうと知ってりゃ、もっときちんとご挨拶してくるんだった。

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2006/08/22

掃苔録・入江杉蔵

京都で簡単に片付く用事が二つばかりあったので、さっさと済ませて、ちょうどいいやと霊山護国神社の官修墳墓まで足をのばしました。
掃苔というほどのことでもないのですが、昨日紹介した入江杉蔵の墓がここにもあるのです。
霊山護国神社というのは、靖国神社の母体みたいなものですから、維新の殉難志士の霊を祭りここに招魂してあります。入江は蛤御門の変で討ち死にしていますので、当然ここに墓があるわけ。

蛤御門の変は元治元年(1864)七月十九日の出来事ですが、この日付は旧暦ですから、新暦でいうとちょうど今時分、八月の下旬の事件であったことになります。
京都は今日も猛暑。140年ばかり昔のこのいくさの日も暑かったのでしょうか。

さて汗だくになって、うろうろ杉蔵の墓を探していると、これはいかに、一天にわかにかき曇り、猛烈な雷雨に見舞われました。
さいわい、山の中腹に屋根付きのしっかりした休憩所があったので、小一時間ばかり雨宿りして無事に過ごしましたが、いやものすごい雷だった。

雨があがって、もう一度、杉蔵の墓を探し始めると、なんのことはない、休憩所の上のあたりの場所がそうであった。

2006_0822 写真は左から二番目が入江杉蔵の墓であります。碑銘は表が「入江九市弘毅之墓」、右側面に「長州」、裏は摩耗して読み取りにくかったが「元治元年◯七月十九日戦死」となっておりました。
美しいバラが捧げられているのは久坂玄瑞の墓。久坂も蛤御門の変で戦死していますので、ちょうど今日あたりが命日になります。どなたかファンの、おそらくはうら若き乙女がお参りになったのでありましょう。
そんなん、わからへんやないの、オバハンやったらあかんの、と言われても困る。ここは、ぜひ、うら若き乙女にしておいていただきたい。(笑)
いや、冗談ではなく、この写真を撮っているときに十代とおぼしき少女二人が熱心にこの場所で、それぞれの墓に手を合わせていたのであります。花は、この子達のものではなかったが、なんにせよ感心なことである。志士のみなさんんも、おっさんやオバハンに拝まれるよりは乙女の祈りのほうがよいに違いない。
ちなみに写真、一番右が高杉晋作の墓です。松下村塾四天王の三人がここに祭られていることになりますね。

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