j)その他

2015/07/07

ソングライター、カズオ・イシグロ

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カズオ・イシグロの熱心なファンなら知っていて当然なんだろうが、わたしは今回、はじめて知ったので、ちょっとご紹介。

きっかけは、オムニバスのCD「Jazz Woman」をなにげなく聴いていたときのこと。ほとんどがスタンダードナンバーのなかで、ある曲がやけに新鮮だった。「おや、知らない歌だけど、いいじゃないか、これ」と思った。リピートさせて、どれどれ、とライナーノーツを読み始める。ちなみにLPレコード時代と違って、CDのライナーノーツって、よほど興味をひかれないとまず読まないよね。字が小さすぎて。

さて、歌のタイトルは「アイス・ホテル」。歌っているのはステイシー・ケントという人だとわかった。(もちろん世界的に有名な歌手。わたしがたんに知らなかっただけ)
演奏もいい。歌もうまい。声もよろしい。なにより歌詞がきれいに聞き取れる。ふーん、しかしこの歌詞いいなあ、と思って短い解説を読んで驚いた。作家のカズオ・イシグロが作詞を担当した、と書いてある。
なお、この曲、YouTubeで視聴できますので興味があればどうぞ。(こちら)

おやおや、とさっそく調べてみると、こういうことらしい。

2002年に、カズオ・イシグロは、BBCの radio4 の desert island discs というインタヴュー番組に出演した。これは要するに「無人島に持っていくレコード」で、有名人に好きな音楽のことを自由に話してもらうという企画だ。(注1)
そこで、ブッカー賞作家が、自分の好きな音楽としてショパンやボブ・ディランなどと併せて紹介したのが、ステイシー・ケントだった。

ところが、たまたまその放送を、ステイシー・ケント本人が、夫であり音楽プロデューサー、サックス奏者でもあるジム・トムリンソンと聞いていたというのでありますね。ステイシー・ケントは、以前からカズオ・イシグロの愛読者だったので、びっくり。さっそく、ありがとうのeメールを(たぶん事務所とエージェント経由で)送って、そこから両者のおつきあいがはじまった、ト。
お互いに夫婦でランチをとったり、コンサートの楽屋を訪ねたりという交際だったが、2006年にステイシーがレーベルを移籍して最初のアルバムをつくるときに、思い切って作詞を依頼したというのですね。そして、このアルバム「Breakfast on the morning tram」のためにカズオ・イシグロは4曲の詞を書きました。

そして、びっくりするのが、そのときの胸の内をあきらかにしている作家の述懐です。

I don't know whether they knew, but songwriting was an old passion of mine. Earlier in my life I'd been a singer-songwriter until I turned to fiction. So I was both excited and daunted at the idea, as I'd not done any since I was 21. But I went to their house and the next phase of our friendship started.
(注2)

なんと若い時のカズオ・イシグロはシンガー・ソングライター志望だったんですねえ。いまでもステーシー・ケントが夫婦で遊びに来ると、カズオ・イシグロがギターを弾いて、一緒にセッションするらしい。

ところで、アルバム「Breakfast on the morning tram」におけるカズオ・イシグロの詞は、不思議な魅力に満ちています。小説「UNCONSOLED」の世界と共鳴するところが多いような気もしますが、小説と違ってどこかに明るい希望のようなものも感じられて、大好きです。


注1)この録音はBBCのアーカイヴスで聞く事ができます。(こちら)
ただし、ふつうに再生ボタンを押してもエラーになりますので、Download MP3のボタンを押してください。40分くらいの内容です。わりと聞き取りやすい英語です。はじめてカズオ・イシグロの声を聞きました。


注2)引用は以下のサイトから。(こちら)
THE INDEPENDENT
How we met: Stacey Kent & Kazuo Ishiguro
Sunday 22 September 2013


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2015/06/24

オーディオのこと

新しいオーディオを買った。ソニーのCMT−X5CDという機器だ。シンプルな取扱説明書には「パーソナルオーディオシステム」という、これまた愛想のない名称がついております。

近年、音楽を聴くのはもっぱら、クルマの運転中だったが、持っているCDなどを寝床で聴く手軽な装置が欲しくなったのであります。

この機種は、もともとは、BLUETOOTH 接続や、WiFi でスマートフォンやパソコンなどのデジタル音源を鳴らすワイヤレス・スピーカーとして市場に出たと思うのだが、そのときはスピーカーだけではあんまり食指が動かなかった。今回買ったのは、このワイヤレス・スピーカーにむかしのラジカセのような機能がついたものと思えばいいのでありますね。

つまり、CDを聴いたり、録音したりもできる。録音するのはUSBメモリーです。本機でFM、AMラジオも受信したければできますが、うちのような田舎だとよく入らないし、アンテナをつなぐのもブサイクだからまったく使いません。と、いうよりも、ご存知のように、いまはラジオは、インターネットで聞けるので、使う必要がないのですね。

P6248222実際に、スマートフォンとこの機器をワイヤレスでつなぐと、寝っ転がって iPhone で音楽の再生や、インターネットラジオをいじるだけで、いきなり枕元から、まともな音質でスピーカーが鳴り出すのが快感です。

ところで、そういや肝心なその音のほうはどうなのか。

昔はオーディオ装置というのは、いろいろウルサイことを言う人がが多かった。でも、わたしは、年をとって、そういうめんどくさいのは勘弁してほしいと思うのね。あ、きれいな音だな、というのはもちろんありますけれど、それで十分だと思う。そもそも、わたしは、音量をそんなに上げません。音楽聴きながらウトウトしたり、逆に集中して本を読んだりするのが好きなのであって、さあ、いまから音楽鑑賞をするぞみたいな聴き方はするつもりがほとんどないのであります。まあ、それくらいの低レベルのリスナーの感想ですが、本機はコンパクトなわりにいい音が出ていますね。

それにしても、最初に書いたように、わたしがこの機種を選んだのは、スマートフォンやパソコンなどのワイヤレス・スピーカーとして使うという機能より、CD再生、録音という機能を重視していたからだったわけですが、実際に使ってみての感想を言うとですね、たかだか個人が所蔵してるCDを、いちいち選んでかけるなんてのは、面倒くさいわけです。わたしはディスク容量を食うのが嫌いなので、あんまり使わないけど、iTunesに何千曲と入れている人はスマートフォンから、ワイヤレスで鳴らせばいいし、こんどのアップルやグーグルの音楽配信(3千万曲聴き放題だって?聴けねえよ・笑)を待たなくても、いまや好みの音楽の音源はスマートフォンのアプリをいくつか入れれば、いまでもほとんど聴ききれないくらいありますから、結局、そっちのほうが手軽なんだなあ。なにせ、自分のCD聴こうと思うと、入れたり出したりしなきゃならないじゃん。面倒じゃん。って、ほんとに人間どこまで堕落するのであろう。(笑)


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2014/09/25

読書灯のこと

父が入院したので交代で付き添うことが多くなった。
もっとも穏やかに眠っている間は、とくにすることもない。ちょうどいい読書時間なのだが、夜中はさすがに薄暗い。しばらく、小さなマグライトを読書灯にしていたが、ふと思いついて、夜間飛行や深夜バスの乗客向けの商品があるはずだとネットで探すと、写真のようなパネル式の読書灯がAmazonにありました。980円と値段も手頃。
アクリルの透明なパネルを頁の上において、3つのLEDランプでパネル全体を明るくして、下の文字を読むと言う方式です。

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使用してみての感想をご参考まで。

  • 真っ暗な部屋より、すこし薄暗い(けれど本は読めない)というくらいの場所に適する。
  • 電池(単4三本)をいれても軽いので読書の邪魔にはならない。
  • 発光するランプの光がもうすこし均等になればよい
  • パネルのくもりや小さな疵が発光させると目立つ。わたしの場合は裏表はあきらめて、ましな片面だけを使っています。
少々値段は張っても、パネルの材質をスマートフォンの硝子程度にし、光源をもうすこし均等にパネル内に照射するような製品がほかにあれば、文句なく「買い」ですね。
まあ、値段が安いので、これはこれで十分な性能ではあります。


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2014/04/09

恋の奴隷考

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昨日、NHKの「The Covers」を見るともなしに見ていたら、リリー・フランキーが奥村チヨの「恋の奴隷」のことを紹介していた。1969年、なかにし礼作詞、鈴木邦彦作曲のヒット曲であります。わたしくらいの年配ならこのあたりの歌謡曲は、かなしいまでに空で歌える。で、当然のように耳に残ってしまい、次の日も畑で畝立てなどしながら一日中歌ってしまうはめに陥った。鍬をふるって、「あなたにああった、その日からあ、っと」とやっていたわけであります。とんだ阿呆である。(笑)

それはそれとして、そうやって歌いながらですね、思ったわけですよ。よくまあ、こんな歌が許されていたなあ、あの頃は。

同世代から上の方には説明不要だが、若い方はこの歌詞にはなじみがなかろう。まあググれば歌詞もわかるし、YouTubeで奥村チヨの歌も聴けるけど、なにしろひどい歌詞なんだよね。あなたが右を向けとおっしゃれば右を向くわ、それが幸せ。わたしが悪いときはぶってちょうだいね。影のように付いて行くから、好きなときだけ思い出してくれればいいの。わたし、あなた好みの女になりたい云々。

でも当時はこの歌、今でいえば阿部サダヲたちのグループ魂の楽曲みたいに、笑いを取ろうと狙ったあくどい冗談の楽曲だったわけではない。掛け値なしに歌詞通りのことを本気で歌っていたはず。しかし、国民的なヒット曲ですからねえ。なにしろ、小学生だって「わるいときはどうぞぶってね」なんて大声で歌っていたのであります。ありえへん。(笑)

いや、この歌は、じつは当時の自民党政権下の日本とアメリカのことを皮肉っていたのよ、という冗談をいま思いついたが(笑)、まあ、世の中と言うのは、半世紀もたつと、ずいぶん変わるもんだと思う。

では歌詞そのものに真実はないのか、といえば、それはあるだろう。男と女というのは、千年前もいまも同じじゃないかといえばそれはその通りで、そういう意味では、なかにし礼さんの名誉のためにも、この歌詞はたしかに恋する女の一面をあざやかに切り取っていると評してもかまわない。

ただ、こういうあけすけな感情の吐露を社会が許すかどうかは別の問題で、これを進歩というかどうかわからないが、個人の幻想の垂れ流しは、それを嫌う人がいるかぎり、抑圧されることになるのだろう。どこか嫌煙権の話に似ているかもしれない。

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2014/03/30

千本の記事

まったく自分にしか意味のないことで恐縮だが、今日のこのエントリーがブログ版「かわうそ亭」のちょうど1000本目の記事になる。2004年3月21日に最初の記事を書いてから10年たった。
ブログをはじめる前には、ホームページ版の「かわうそ亭」があり、こちらのほうはカミサンの粘土工房サイトをつくったついでに、お遊びではじめたので、たぶん1998年創業(笑)であります。およそ16年、かわうそ亭という号をつかって主に本にまつわる話題を綴って来たことになる。

ブログに移行して、いろんな記事を書いて来た。
1000本のなかには、これはもう消した方がいいかなあと思う文章ももちろんたくさんあるが、(あまり大きな声では言えないが)我ながらよく書けてるじゃないか、と思うようなものもないわけではない。とくにいろいろな方から寄せられたコメントで、蒙を開かれたり、刺激を受けたりした記事には、とても愛着がある。
吉川幸次郎がこんなことを言っている。

中国のことわざに、文章自己的好、老婆人家的好、文章は自分のがよく、女房はよそのがよい、というのがある。文章は自分のが、他の誰のものよりよく見える。これに反し、女房はどうもよその奥さんの方がよい奥さんに見える、というのである。なるほどその通り、少なくともこの諺の前半はその通りであって、私は新しい仕事につかれたときなど、よく自分の旧著をとり出して読む。つかれがほぐれて爽快な気持ちになる。時には、自分の文章に読みふけりながら、深更に至ることがある。
ところでかく自分の文章を読んで爽快な気持ちになること、これにはうぬぼれというものの作用があるにはちがいないが、単にそればかりではないように、私には思われる。私は、私なりのささやかな誠実が、私の書物にあらわれているのを、愛しているのであるように思う。それすなわちうぬぼれの一種だといわれれば、それまでだけれども、人間の世界に普遍であるはずの誠実、それが私のようなもののなかにも何がしか流れていることを、私は私のためばかりでなく、人間全体のために祝福しているように思われる。つまり私自身という一ばん身近なものを資料として、人間の誠実が、証拠だてられることを、祝福しているといってはいけないであろうか。大へんせおってるようだが、私はそう思っている。
吉川幸次郎全集20
「自分の文章」

いや、もちろんあんまりレベルが違いすぎて、引き合いに出すのはどうかとも思うが、要はそういうことなんである。(笑)
とりあえず千本の記事ごくろうさんと自分をねぎらってやろうと思う。

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2013/12/26

みかんのことなど

みかんといえばかつては冬の定番アイテム。むかし糸井重里の萬流コピー塾で、「実録女子大生の夜――おこたでみかん」というのがあった。
ところが、最近の人は、みかん食べないらしいね。
総務省の家計調査によれば、1973年には一世帯当たり年間に55キロ近く食っていたのがピークで、以後だんだんと消費は減ってゆき、直近のデータである2011年では14キロ。ほぼ4分の1になってるわけだ。
ほかの果物がたくさんあることや、生活スタイルの変化という要素もあるけれど、たぶん一番の理由はむくのがめんどくさいということだろう。リンゴや梨じゃあるまいし、手で簡単にむけるんだからそのくらいやれよ、と思うけど、しかたない、そういうご時世なんである。
なにしろ、いまのばか者、じゃない若者はですね「剥いていいのはバナナまで」と宣っているんだそうです。いまにバチがあたるぞ、ホンマに。
まあ、かくいうわたしも、最近、めっきり食べませんけれども。(笑)

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2013/12/07

語学オタクのパラダイス

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NHKラジオ第2の語学番組には、これまでずいぶんお世話になった。基礎英語、続基礎英語、英会話、ビジネス英語、中国語講座など、レベルに合わせた内容がしっかりしているし、なにより聴くだけならタダなのがよろしいのだが、いかんせんきっちりきまった時間に聴かなきゃならんというのが窮屈だった。
テレビなら簡単に予約録画できるが、予約録音できるラジオなんて持ってないし、持ってたとしても、めんどくさくてそんなこと考えるだけでやーめた、になるだろう。

ところがですね、うかつなことに、いまのこの語学番組がどんなふうになっているのか、わたしはぜんぜん知らなかった。
考えてみりゃ当たり前なんだが、番組は全部、ネットのストリーミングで聴けるんですね。みなさんご存知でしたか。

「マイ語学」というサイト(こちら)に利用登録すると、好きな外国語の学習プログラムを登録できて、出席カレンダーをつくってくれる。前の週の番組がいつでもいい音質で聴けて、聴き終えると自動的に出席を記録してくれるのが面白い。
番組はほとんどが15分だから、パソコンに向かわなくても、ちょこっと空いた時間に、iPhoneやiPadで聴くこともできる。
うれしがってさっそく以下の番組を出席登録しました。(笑)

実践ビジネス英語
入門ビジネス英語
まいにちイタリア語
まいにち中国語
まいにちドイツ語
まいにちフランス語
まいにちスペイン語

わたしの場合は英語はテキストはなくてもあんまり問題ない。中国語もなんとか初級はむかし多少やったのでだいたい思い出せる。ただ、ほかの言葉はテキストがないとこころもとない。でも、本来、言葉は耳で覚えるものだから、目で活字を追うよりは、なにもわからんままシャドーイングするのがいいかもしれない。

まあ、いくらなんでも全部長続きするとは思えませんが、これはわたしのような語学オタクにとっては、まさにパラダイスでございますだよ。

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2013/10/25

ステンシルのつくり方

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古い木箱を再利用して山仕事用の道具入れを作りました。このまま軽トラに積んでおいてもちょっとオシャレ。(笑)
買おうと思えば、米軍仕様の金属ステンシルもあるようですが、時間さえ問題でなければ、ありあわせの材料で簡単に手作りできます。
  1. 廃材の木箱の泥やホコリをざっと洗い落して、水性ペイントを塗る。ちょっと剥がれたアンティーク風を出すために違う色を二重に塗るやり方もありますが、今回はもともと何十年も前の木箱ですから、単純に白のペイント。

  2. ワープロなどで切り抜く用紙を作成する。太いフォントの方が作りやすい。ちょっと厚めのA4のポケットファイルなどのビニールを切って上に載せる。紙の文字のまわりや上下にスティック糊を適当に塗ってビニールを固定する。

  3. ふつうのカッターで切り抜く。このとき文字の角をあらかじめ錐で穴をあけておくと失敗しない。曲がった部分はシートのほうをゆっくりまわしながら切るとうまくいく。OPRなどの中の部分は切り落とさないように注意。

  4. 木箱のペンキが乾いたらステンシルシートを当ててみて塗り付ける位置を決めて、シートの裏面にスティック糊を塗ってできるだけ板と密着させる。板がざらついて、どうしても隙間ができるので。スポンジを適用な大きさで棒や割り箸などに巻き糸で縛って写真のようなタンポをつくる。

  5. マスキングテープなどでシートを固定したら、発泡スチロールの皿などにアクリルペイントを出してタンポに含ませる。シートと板の隙間で塗料が滲まないように、できるだけ垂直方向に適度な量で軽く叩いて行く。

  6. 全体に塗ったら、そのまま数時間乾かして、シートをはがすと完成。丸太の切り口などの凸凹した表面でもご覧の通り。

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2013/05/04

モンティ・ホール問題について

畑の草引きは、人によっては退屈な仕事だったり、場合によっては苦役のようなものかも知れないが、わたしは結構これが好きである。手だけを無意識に動かしながら、考えごとができる時間だからだ。今日は、とある本で知ったこんな数学の問題を小一時間ばかり考えていた。専門的には、モンティ・ホール問題といい、数学おもしろ話の定番のひとつらしい。もしご存知でなければ、わたし同様に考えてみていただきたい。

こういう問題である。
いまあなたの目の前に、A・B・Cという三つのドアがあります。そのうちひとつはピカピカの新車の置かれた部屋のドアで、残るふたつはヤギがいる部屋のドアであります。
Let's make a deal というクイズ番組の司会者、モンティ・ホール氏があなたにどれかひとつ選ぶように言います。「中にあるのを差し上げますよ。さあどうぞ」

あなたがA・B・Cのドアのどれかを選んで指差した後で、モンティ氏は残りのふたつのうちヤギがいるのはどちらであるかを教えてくれます。たとえば、あなたがAのドアを指差したとすると、「ヤギがいるのはBですよ」(あるいは「ヤギがいるのはCですよ」)というふうに教えてくれるわけ。かならずヤギがいるほうのドアを教えることになっています。どっちもヤギの場合は、適当にどちらかを言うのね。

さて問題はこれからで、このあと、あなたはもういちどだけ選択を変更することができるというのですね。司会者はこんな風に問いかけます。「ヤギがいるのはBですよ。Aのままでいいですか?それともCに変更しますか?」

草引きをしながら、頭の中で考える。

ええと、最初に選んだ時点でAが新車である確率は三分の一だよな。そして司会者がハズレのドアはBだと教えてくれた時点で、新車はAかCのどちらかになるわけだから、確率は二分の一にあがるけど、それでもどっちが新車であるかはわからない。ということはどっちも確率は同じ二分の一。常に最初の選択のままでいくか、必ず変更するか、そのつどどっちにするか選ぶか、この三つの戦術があるが、そのどれが一番有利なのか?うーん、なんかへんだぞ・・・・

ということで、草引きしながら脳みそのなかでは解決できなかったので、書斎に帰ってから、おもむろに花札を取り出して実験してみました。100回くらいやってこの三つの戦術に差がでるかどうか実際にやってみようという原始的な方法。
ところが三枚の札のうち一枚を偶然に選んで、のこる二枚のうちハズレがどれかを知ってから、かならず変更するやり方を数回やって、「げげっ」と驚愕の真相に気付いてしまった。
花札でもトランプでもいいから、確率の実験をやってみてください。100回も試す必要はありません。ほんの数回で理解できる。(ここで読むのを中断して、実験するときっと楽しめます)

以下は、花札を使ったモンティ・ホール問題の簡単な解説。

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2回目の選択のときにかならず変更するほうがなんと確率は二倍になります。
最初の選択を堅持した場合に、それが当たりである確率は約33パーセント。
逆に言うと最初の選択にもれたふたつの札に当たりがある確率は約67パーセントであります。(写真のパターンね)そして、その場合、ふたつのうちハズレの一枚は教えてもらえるので、常に機械的に選択を変更すれば67パーセントの確率で当たりを引き当てることができる。
直感で最初の選択堅持と思ったあなたはギャンブルはやめたほうがいいと思うよ。(笑)
ま、草引きしながら考えるようなことでもないけれど。


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2012/06/25

奇跡の農法なんてないんじゃね?(4)

ところで、自然農法の本には、虫が食うのは窒素肥料をやりすぎるからだなんて書かれていますね。まあ、一理ありますけれども、わたしだって硝酸態窒素の残留ということにはかなり危機感をもっているので、なんぼベテラン(つまりうちの年寄り)から「もっと○○(化成肥料とか硫安とか)をドカッとやらんにゃあ、大きくならんいーね、色がつかんいーね、実がならんいーね」と言われても、ヘイヘイと笑って、まったく取り合わないのであります。だって自分が食べるんだもの、市場に持って行くならともかく——って身も蓋もない言い方。(笑) 

ということで、たとえば前回見ていただいたブロッコリーなどは、施肥量はむしろ少ないのだ。それでも、青虫は食うのである。連中にもそりゃあ好みはあるのだろうが、窒素が効いていようが効いていなかろうが、目の前に主食の葉っぱがそれしかなければ生き残るために必死で食うのであります。あたりまえじゃん。農薬使わないなら手で取るしかないのよ。(笑)

だから、農薬を使わず肥料もやらず雑草もとらずで、ご近所に阿呆扱いされ、指弾され、収入もなく財産も食いつぶしてもう首を縊るしかない人の農園に、最後の最後の年に神の恩寵のごとく実りがもたらされる。それから先はもう、土づくりだけで、病気も害虫も寄り付かない、味も香りも信じられないほどよくて、数週間たっても汚く腐敗したりしない奇跡のなんたら!なんてのはまあそれはそれでうつくしい話だとは思うし、それがウソっぱちだとも思わないけれど、はたして再現性があるかどうか、普遍化できるものなのかどうか、このあたりはかなり留保しなきゃならない。それに、例の人については話がだんだんオカルトになるきらいもあるから(ある夜、空飛ぶ円盤に拉致されて、後日そのとき出会った外人に再会してたんだぜぇなんて言われても、「はあ」としか言えんよ、わたしゃ)そういうのは少なくともわたしむきではない。
原理主義的な自然農法は、そんなうまくいったら苦労はないよ、というくらいのスタンスであります。

けっきょく、我が田に水を引くようなつまらん意見だなあ、と思われるだろうが、わたしは田舎の小さな農家が自家消費用につくっている野菜がベストではないにしても、普段食べる野菜としてはかなりいい選択だと思う。(コメはいまちょっと置いておきます)
日本の農業ということについては、零細で兼業で高齢の農家を大規模化、集約化、企業化して国際競争力をつければ恐くない、なんていかにも論客っぽい人は主張するわけだけれども、わたしはそれにはあんまりこころひかれないのね。(このあたりのことはTPPについての話でも書いた通り。TPPについて語る時にやつらの語ること
ひじょうにざっくりした話だが、もしかしたら一般のご家庭が、専属専任の小規模農家を、たとえばかかりつけのホームドクターを選ぶようにお持ちになるのが、国の農業のあり方として成り立つのではないかという考えをいまわたしはもっています。このあたりは、もうすこし詰めないと安易に言挙げできないことではありますが。

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